goo blog サービス終了のお知らせ 

ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

かっこよかったイルカショー<小学校3年男子>・(これぞ最高傑作!・声に出して読みたい傑作選93)

2009-10-17 06:29:04 | Weblog
ぼくは10月7日に江ノしまえんそくにいきました。
 ぼくはイルカショーをみにいきました。
 イルカがジャンプしたら水がちょっとだけとんできました。えんそのにおいがしました。ぼくはイルカショーをはんで見ました。

 ぼくと美月君はよくけんかをします。
 えんそくでも3回ぐらいけんかをしました。イルカショーをみたら麗香ちゃんと美月くんがいなくなりました。ずっとまっていたらかえってきました。2人とも息ぎれをしてへとへとでした。
 そのあとべんとうをたべました。ごはんにすながはいってたべられなくなってしまったのでしかたなくかしをたべました。すぎ山くんにかしを10こもらいました。10秒でたべました。おれいにミンツをあげました。
 もらったおかしがおいしかったです。

 かえりにさいとうせんせいにもんだいをだされてあたりました。かえりのでんしゃはきゅうこうでかえりたかったです。けっきょくかくていでかえりました。
 でんしゃにのるまえに石くらさんにとけいをこわされました。先生になおしてもらったけど、じかんがくるってつかえませんでした。でんしゃは20分ぐらいでよいました。よってでろでろになっていたらさいとうせんせいにたたかれました。そのときにひろったかいをおとしました。
 でもけっきょく美月さんのしたにありました。つぎになんにもしてないのにさいとうせんせいにけられて、あしのつけねのあたりに大きなあざができました。かなりいたかったです。えきにつくまえにはきそうになりました。えきにつくすんぜんにたおれそうになりました。
 えきについたらあしがいたかったです。
 ちょっとあるいたらなおりました。かえるときもたのしかったです。
 みんなさわがしくてだぢゃれを1人でブツブツいっていました。
 木にぶつかっていたかったです。

韃靼人風き○たまの握り方

2009-10-14 13:15:00 | Weblog
 中学生にネイティブの英語にふれさせようと、ALTという制度が定着している。骨子が中学生に入る以前から定着している制度で、子どもたちの評判も良好だ。かなり厳しい選考基準があるようで、不良外国人の類はきちんと排除されているようである。また肌の色も様々で、おかしな人種主義とは無縁であることも好ましい。

 しかし問題もある。公立中学では英語が週3時間しかないのに、1時間をALTの時間として使っている。子どもたちは楽しいようだが、これでは基本的な英語の教科内容が身に付かないのではないか。骨子も中学入学当初は英語を苦手としていた。きれいな単語帳を作りながら「単語って暗記しないといけないの」などといっていた。b動詞のことを「美動詞」などともいっていた。学校の英語教育では、会話よりも文法等の基礎力を身につけることが大切だと思う。

 太郎が習っているALTは、シェイクスピア先生。先祖をたどれば、かの文豪に行き着くのだろうか。カナダの人らしい。「カナダのシェイクスピア」。何やらポストコロニアル文学のようではある。小学校にも不定期だが、ALTはやってくる。骨子が小学校3年生の時、ジェファソンという先生がやってきた。「建国の父」の一人と同じ名前だ。シェイクスピアにジェファソン!日本人に置き換えれば、弟は「夏目先生」に習い、姉は「山縣先生」にならったというところか。山縣有朋と同列に語られれば、トマス・ジェファソンは怒るかもしれないが。

 「山縣先生」が、教えていた時のことである。やんちゃなA君が突然先生の前にあらわれ、先生の股間に手をやった。そしてなんと力いっぱい先生のき○たまを握り締めたのである。カリスマ教師の呼び声も高かった担任の男の先生は、その男の子をひっぱたいてこう叫んだ。「お前、ひとのき○たまにぎるなぁー」!傍らでは、「山縣先生」が悶え苦しんでいたことはいうまでもない。

東大ノート

2009-10-10 10:25:37 | Weblog
まじめで成績もよいのだが、何故か授業はいつも後ろの席で聴くいる学生がいる。どうして前の方で聴かないのと尋ねると彼女はこう答えた。前の方の席で聴くとどうしても先生と目があったりする。そうするとうなずいたりしないといけないからとても疲れる。中学高校の時に自分は、「まじめな生徒」を演じることにエネルギーを使いすぎて、勉強の実質がおろそかになってしまった。だから大学では後ろの席に座ることにしたのだと言っていた。ただ私語のひどいクラスだと、先生の言っていることがよく聞こえないのが難点だとも言っていた。

 「まじめな生徒を演じる」。女子生徒に多そうなパターンである。いまの「関心・意欲・態度」を重視する内申制度のなかでは、実質的な意味があるのだろう。女の子ばあい、きれいなノートを作ることに熱中してしまい、内容の理解がおろそかになってしまう場合も少なくない。骨子もそういうところがあった。びっくりするぐらいきれいな単語帳を作っているのに英語の成績がさっぱり振るわない。それもそのはず「単語って覚えないといけないの」などと言っていた。

 そう考えると『東大生のノートはかならず美しい』という本は眉に唾して読むべきではないか。太郎の友だちのお兄ちゃんは東大生だが、中学の時にはひどく乱雑で内申は途方もなく低かった。勉強のよくできる人がきれいなノートを作るのだとすれば、大学教授の黒板は大変読みやすいはずだ。しかし多くの場合、教授たちの板書の評判は最悪である。内容に注意が集中していれば、ノートをとることじたいはおろそかになることは大いにありうる。「美しいノートをとる東大生もいる」という程度であれば嘘ではないだろうが。

 やっぱり形から入ることには無理があるような気がする。大学受験で成功したければ、ノートのとり方を気にするより、まずガリガリと勉強しなければならないのではないか。

見捨てられた若者たち(日本海新聞コラム潮流・9月29日掲載分)

2009-10-07 08:48:01 | Weblog
「数は力なり」。故田中角栄元首相の名言です。民主政治は多数決原理で動きます。多数者が優位に立ち、少数者は苦しい立場に置かれます。日本はすっかり少子高齢社会になりました。しかも年齢の高い人ほど熱心に投票に足を運ぶ傾向が強い。1980年の総選挙では20代の投票者が70代の2倍いたのに、05年の総選挙ではその比率が逆転しています(「東京新聞」8月3日)。これに60代50代を加えれば、中高年の投票者の数は20代の数倍に達するはずです。当然、日本の政治は中高年の利益に奉仕するものとなります。

 相次ぐ総理大臣の政権投げ出し。長期化する景気の停滞。そして小泉改革が広げた格差への憤り。自民党が今回の総選挙で惨敗した原因は様々にあげることができます。しかしそれより何よりしかし人間の数が多い、すなわち強い力をもつ中高年を怒らせてしまったことが致命傷となりました。後期高齢者医療制度は75歳以上の方とその予備軍の怒りを買いました。そして年金問題はやはり大きかった。一番数の多い「団塊の世代」が年金を受け取る年代にさしかかっているからです。今回の自民党の惨敗は「中高年の乱」がもたらしたものといえます。

 どの政党も年金問題を大きく取り上げていました。中高年の歓心を買おうと必死の様子が伝わってきます。手厚い子育て支援策や様々なレベルの学校の無償化案も各党の目玉商品でした。しかし、時ならぬ『蟹工船』ブームで若い入党者を大幅に増やした共産党を例外として、どの党も若者に対して冷淡であったという印象を禁じえません。「若者が安定した仕事に就き、結婚することのできる社会を作ります」とマニュフェストで謳った政党は、一つもありませんでした。若者の歓心をかったところで票にはならないからです。

若者が投票に行かないことにも問題があるという反論が聞こえてきそうです。そうかもしれません。しかし若者たちに選挙に関心をもてという方が無理な注文に思えます。若者たちは年金をめぐる議論にしらけきっています。それが遠い将来の話だからではありません。自分たちは年金など貰えるはずがないと思っているからです。若者たちの多くが自分は生涯結婚できないのではないかという不安を、もしくは結婚できないであろうという諦念を抱いています。その人たちに子育て支援の話を聞かせるのは趣味の悪い冗談でしょう。

各政党が、若者を無視した政策を作る。すると若者の足は投票からさらに遠のき、政党はますます若者を無視するようになる…。そうした悪循環があることは否めません。「右肩上がりの時代」の恩恵を享受した挙句「逃げ切り」をはかる中高年。中高年の愚行のつけを担わされ苦難の人生を送ることが予想される若い世代。いまの日本には若者と大人の間に大きな断層と不平等とが横たわっています。中高年の利益にひたすら奉仕しようとする新政権がこの断層をさらに広げるのではないか。そうした危惧を私は禁じえないでいます。

移植記念日(B型10歳の誕生日・声に出して読みたい傑作選92)

2009-10-04 10:39:59 | Weblog
10月3日の正午ごろから始まった心臓痛は数時間に及びました。本当に死ぬほどつらい経験でしたが、中村江里子似の女医さんの打ってくれた鎮痛剤が効いて、あっけなく寝入ってしまいました。目覚めたのは翌朝の8時。痛みはウソのようにひいていました。中村江里子が来て、昨日の検査結果をいろいろとみせてくれます。症状は完全に心筋梗塞のそれだが、心臓にはどこも悪いところはなく、心電図も正常。ただ炎症反応が爆発的に上がっているとのことでした。いまにいたるまでその原因は分かっていない。謎の心臓痛です。

 続いて尾美としのり似の病棟での主治医が部屋にきます。移植の予定を一日早めるのだと言います。ぼくの移植の方法は抹消血幹細胞移植。薬でドナーの抹消血中の白血球を増やして、それを採血してそこから造血幹細胞を抽出する方法です。ドナーになってくれた兄の薬の効きが大変によくて、順調に白血球が増えているので予定を早めるのだということです。はっきりとは言いませんが、この心臓痛も予定を早める一因になったようです。

 移植は第二の誕生日。家族を呼んで、ポラロイド写真の記念撮影をします。もっとも、家族は無菌室のガラス越しに撮影に加わるのですが。ぼくは自宅に電話をします。無菌室の電話線が切れて何が私の身に起こっているのか分からず、不安な一夜を過ごした妻が「どうしたの?昨日は!!」と息せききって尋ねますが、何しろこちらも気息奄々。「いや、ちょっと心臓が…」と言うのが精一杯でした。移植が一日早まって今日の夕方になった。桜が学校から帰ったらこちらまで来てほしい。と用件だけを告げて電話を切りました。

 移植の開始は当初夕方の6時からということでしたが、なかなか始まりません。準備に手間取っているようです。無菌室の窓の向こうには家族3人の顔が見えます。インターホン越しに話をしようにもその気力もありません。この待ち時間は非常に長く感じました。7時前になってようやく準備が整いました。移植には何やら儀式めいたものがあります。看護婦さんがおごそかに宣言しました。「ただいまより、加齢御飯さんのMDSRAに対するPBSCTを行います」。ぼくは、それでは何のことだかわからないので日本語で話してくれと、しゃれのつもりで言うと「…骨髄異形成症候群不応性貧血に対する、抹消血幹細胞移植…」。うーん、やはりわからん…。

 兄の骨髄液が病室に入ってきました。「トマトケチャップ」(桜)が250ccづつ2パック。これを点滴して翌日もまた同じことをします。それで移植はおしまい。点滴がはじまったところで記念撮影です。「イェーイ」のポーズをとって無理に微笑むのですが、後から写真をみると泣いているようにしか見えません。憔悴しきっていて死相すらあらわれています。窓の外をみると、太郎はワンワン泣いています。桜は、食い入るようなまなざしでぼくの方をみています。子どもたち二人は、父親の変わり果てた姿にショックを受けたのだろうと、その時は思いました。ところが…。

 病院のなかにはマクドナルドがあります。太郎は何度か見舞いにきて、マックに行くのを楽しみにしていました。ところが、マクドナルドは7時に閉まってしまう。移植の始まりが遅れてマックに行けなくなった。だから泣いていたということでした。桜は、点滴棒に吊るされた袋の数を何度も何度も数えていたようです。「14個もあった。あれを間違えずにつけるなんて、看護婦さんって大変な仕事だね」と帰りの電車のなかで妻に話していたそうです。二人ともぼくの様子にショックを受けていたわけではなかったのです。

 「あの時はあぶなかったね」って、医者が言うから
 10月4日は移植記念日

十年一昔

2009-10-01 00:09:17 | Weblog
私が骨髄移植をうけてからの10年間。医学の進歩には目覚ましいものがあります。10年前にはまだインターフェロンで発症を遅らせる他治療法がなかった慢性骨髄性白血病にグリベックという特効薬があらわれました。最初は途方もなく高価な薬だったのですが、保健も効くようになり、いまでは多くの患者さんがその恩恵に浴しています。

無菌率99.9%状態という、あの鬼のようの無菌室も姿を消し、患者さんの闘病も人間らしい環境で行われています。骨髄移植の年齢上限も50代前半と当時はいわれていましたが、簡便な移植法が開発された影響もあり、いまでは10歳近くその年齢も上がっているようです。現在浅野元宮城県知事が、骨髄移植のドナーがあらわれるのを待っています。フルマラソンを何度も完走した頑健な浅野さんのことです。移植さえできればきっと健康を回復されるはずです。

私が罹った骨髄異形成症候群もその発症の原因が明らかになったという報道がありました。原因が分かれば自ずと治療法も定まってきます。10年前に同じ病気に罹るより、いま罹った方がはるかに生存確率は高いし、その予後も安定したものになることは間違いありません。このことはとくに血液関係の疾患について言えます。

  しかし患者さんの社会経済的条件は悪化しています。私は入院中に数百万円を支払いましたが、そのほとんどが還ってきました。月の治療費が4万円を超えた分は還付されていたからです。ところがいまはその額が万円に上がっています。10年前私は自分が死んだときのことを考え、遺族年金の計算をしょっちゅうやっていました。だいたい20万円を超えるぐらいだったと記憶していますが、いまではこれも大幅に減額されているはずです。きちんとした休業保証のある会社や高額医療費を払える人の数は、10年で激減したことでしょう。社会経済的条件の悪化は、医学の進歩による恩恵を相殺して有り余るものがありそうです。

濱野智史『アーキテクチャの生態系』NTT出版 1900円(本のメルマガ・9月25日掲載分)

2009-09-28 19:32:06 | Weblog
 この本が刊行されたのはちょうど一年前のことです。「書評」と称するには躊躇を覚えますが、グローバル化を考える上では非常に重要な書物です。著者の濱野さんはまだ20代。慶応SFCを出ていまはIT業界に身を置く俊英です。

 ファーストフードの店で長居をする人はいません。椅子が快適でないので長くはいられないのです。ある規範を内面化していなくても、また外的な強制が働かなくとも建築的な構造が自ずと人々の行動を水路づけていく。そうしたソフトな管理のあり方を濱野さんは、「アーキテクチャ」と呼んでいます。

 ネットの出現によって日本はアメリカ型の社会に変わると予想した識者も少くありませんでした。アメリカ人はネットに実名をさらし、社会公共の事柄に積極的に発言をしていきます。ネットを通じて自分の世界を広げようともしています。

 他方日本では。「2ちゃんねる」も「ニコニコ動画」も書き込む主体は匿名です。「mixi」が成功したのもネット上に閉じた仲間うちの空間を作り出したからに他なりません。そしてネット上での会話は「つながり」の確認それじたいを目的としたもの。社会公共の事柄への関心は極めて希薄です。

 匿名での投稿(「2ちゃん」・「ニコ動」)。入会には紹介者が必要なこと「mixi」)。これらが利用者に安心感を与える「アーキテクチャ」の機能を果たしていると濱野さんはいいます。自分の正体を明かさずに陰口をきくこと。内輪で当たりさわりのないおしゃべりをだらだら続けること。これらは日本人に深く根ざした習性なのです。「2ちゃん」も「二コ動」も「mixi」もその「アーキテクチャ」は日本文化に多くを負っているのです。21世紀初頭のこの国で世界に類をみない「ガラパゴス的ネット文化」が開花している所以です。

 「グローカル化」ということばをよく耳にします。文化はローカルなものの力を借りながら、グローバルに浸透していくという意味のことばです。日本起源の柔道は、世界の様々な格闘技と融合することによって「JUDO」というグローバルな競技へと発展していきました。「グローカル化」の波に飲まれて日本のとくに男子は形無しです。そして日本人は西海岸カルチャーの一部であったネット文化を陰口と仲間ぼめの日本的世界に適合する形で受容していきました。恐るべし日本文化。いや、「恐るべしグローカル化の力」というべきか。

 近年の日本の若者は、どんどん内向きになっています。若者の海外旅行離れが顕著です。そして世界に広がったネットの世界のなかでさえ若者たちは「日本文化」に浸っているのです。リーマンショックによって経済のグローバル化に終止符が打たれ、世界経済は保護主義に向かうだろうとエマニュエル・トッドは予言しました。

 経済のグローバル化の終焉は文化のグローバル化の終焉を伴うことでしょう。「新しい開国」ならぬ「新しい鎖国」へと向かう時代。「ガラパゴス的ネット文化」は21世紀の「国風文化」なのかもしれません。

統一と正義と自由(壁の崩壊からもうすぐ20年・声に出して読みたい傑作選91)

2009-09-25 13:40:21 | Weblog
『ヒットラーを支持したドイツ国民』(ロバート・ジェラテリー・根岸隆夫訳 みすず書房)を読了。議会で第一党になったときの得票率が示すように、ナチスを支持したドイツ人は過半数にも満たず、多くの人々はヒットラーの支持を「強制」されていた。ジェラテリーはこうした定説に異を唱えている。

 ドイツ国民は、インフレと屈辱的講和の記憶のしみついたワイマール時代を心から嫌悪していた。完全雇用を実現し、列強を相手に講和の条件をすべて覆したヒットラーを心から愛していたとジェラテリーはいう。ヒットラーもまたドイツ国民を「厚遇」した。戦争の終わる間際まで、ドイツでは豊富な物資の配給が行われていたという。

 ユダヤ人の虐殺をドイツ国民が知らなかったわけがない。外国のラジオ(とくにBBC)を聴く習慣は定着していたし、戦争の末期になるとそれこそ人々の家の庭先にまで収容所は広がっていた。収容所が解体された際には、路上で虐殺されるユダヤ人の姿を、一般市民は容易に目にすることができたのである。

 ナチスの統治の時代を通して、密告が花盛りであった。密告されたのはユダヤ人ばかりではない。ドイツ人たちは、自分の利己的な目的を遂げるために、隣人や家族たちすらをもゲシュタポに売ろうとした。あまりの密告の多さにゲシュタポそのものが音をあげていたという。全体主義体制に普通のドイツ人は適応し、それを巧みに利用しさえしていたのである。そして多くのドイツ国民は、ほとんど戦争が終わるその時まで、ドイツの勝利を信じ、ヒットラーのために戦ったのである。

 ジェラテリーの本の内容は非常に衝撃的なものであった。しかし、さらに驚くべきことには、ドイツ政府はこの本の独語訳の廉価版を作り、国民に配布したというのだ。自国の過去の悪行について語るものを「自虐史観」として指弾する日本との、同じ敗戦国でありながら、これはなんという違いだろうか。

新政権に期待するもの

2009-09-22 17:17:16 | Weblog
 今回の民主党政権。経済政策が不安である。大きな政府を目指しているようだが、財源はどこにあるのか。増税は不可避だろう。しかし恐慌のさなかに消費税増税をやると経済は破綻する。97年に3%から5%に消費税率をあげた時は、拓銀と山一の破綻による金融不安が、消費の冷え込みに追い打ちをかけ、景気は奈落の底に沈んだ。

 期待の持てそうな部分もある。国際人権規約の「中高等教育の暫時的無償化」の部分も批准の方向に向かうだろう。死刑廃止議連の大物亀井静香氏が入閣し、。同会メンバーの千葉景子氏が法相に就任した。在任中に死刑を執行させなかった杉浦元法相は官僚に無理やり命令書にサインさせられそうになったらしいが、「政治主導」の新政権ではそうしたこともおこるまい。死刑を乱数表でオートマティックに行うべしと言った首相の弟君はなんというだろうか。

 1989年から3年4ヶ月、日本では死刑が執行されなかった。「死刑廃止条約」締結に伴う「モラトリアム」であった。この間「死刑の執行停止は怪しからん」という声はほとんど聞かれなかった。93年に死刑が再開されたことには意味がある。この年が長期不況の実質的な始まりだからだ。経済の行き詰まりによって人々の間に生じていたフラストレーションを政府からそらすために、凶悪犯に対する憎悪をかきたてることは有効な方法であろう。「犯人を死刑に!」と叫ぶことで人々はカタルシスを覚えるからだ。

 好況がその後も持続していれば、日本は実質的な死刑廃止国(10年間死刑執行が行われていない)になっていたはずである。「死んでおわびをすること」は日本の伝統でもなんでもない。「失われた10年」に捏造されたものだ。鳩山政権下で死刑の執行が行われない可能性は大きいと私はみる。不況の到来が死刑の再開をもたらした。残念ながら、死刑をなくしたからといって景気が回復するわけではない。

失われた20年

2009-09-19 15:22:40 | Weblog
失われた10年といえば、90年代を指す。1990年の東京証券取引所大発会での大暴落によってバブルの崩壊ははじまった。しかし最初のうちはバブル崩壊といっても庶民の受け止め方は、「株をやっていた人たちお気の毒」程度のものであっただろう。「お気の毒」のなかにはもちろん「ざまあみろ」も含まれていた。まさかそれがわが身にふりかかってくるとは思わない。それが90年代初頭の数年間であった。

 92年には、銀行の不良債権が表面化した。銀行の幹部の首をさっさとはねて、公的資金を早めに注入していれば金融危機は早期に沈静したはずである。ところが日本の銀行家の幹部は責任を問われることを恐れ、その実態解明をすぐにしようとはしなかった。銀行はなりふりかまわぬ貸し渋りや貸しはがしをするようになる。93年から実態経済がはっきりと悪化していった。だから93年が「失われた10年」の始まりの年だとぼくは考えている。

 93年には天変地異が相次いだ。北海道の奥尻島は津波の大きな被害にあったし、鹿児島は大水害で江戸時代にできた石橋が流されたりした。そして記録的な冷夏で米が大凶作。需要を満たすためにタイ米を輸入する騒ぎが起こっている。歴史をひもといても天変地異が時代を転換する役割を果たすことが多い。93年の一連の天変地異は、バブルの浮かれた気分を吹き飛ばすに十分なものであったはずである。

 「失われた10年」はいつ終ったのだろうか。戦後最長の「景気拡大」のはじまりとなった2002年あたりが一つの区切りとなるだろう。ちょうどそこが93年から数えて10年ということにもなるし。しかし「景気拡大」は、リストラと円安とゼロ金利によってもたらされたものである。庶民にはまったく実感を伴わないものであった。経済も人心も93年からずっと低迷を続けたままなのである。「失われた」年月は20年に近づこうとしている。