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ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

熊、人に出あう(今年は秋が早そう・声に出して読みたい傑作選88)

2009-08-16 21:19:11 | Weblog
秋来りなば、冬遠からじ。これから冬眠に向けての熊の活動が盛んになる季節でございます。しかしなんですな。月の輪熊も最近はとんと弱くなったもんでございます。先日は、72歳の老人に胸をパンチされて、敗走した月の輪熊がおりました。さらにその前には、キャンプ地でテントを揺らしていたところ13歳の女子中学生にキックされて逃げ出した熊の話が出ておりました。この女の子は寝ぼけていて、妹がまたふざけてテントを揺らしていると思ったそうです。熊と間違われる…。どんな妹君なんでございましょうか。

 しかし、相次ぐ敗退は、熊の世界に大きなショックを与えたようでございます。「熊日日新聞」(略称 熊日)には、「熊、人間に惨敗」の大きな見出しが踊っておりました。「少女の次は老人に!揺らぐ熊の優位」という解説記事には、「最近の熊は生活圏のすぐそばに人間が住んでいるので、残飯をあされば食べるものに困ることがなくなった。昔のようなハングリー精神をなくしたことが人間に勝てなくなった一因」という識者の談話が載っておりました。いるんでございますね。熊の世界にも精神論を説く「識者」が。

 同紙の記事は、「人間の世界では中学生の女の子は部活で、老人はスポーツクラブで熱心に身体を鍛えている。それに対してわれわれは旧熊(ママ)依然。体格の優位にあぐらをかいていたつけがまわってきた。このままでは、人間に出会った時、熊の方が死んだふりをしなければならない時代が遠からず訪れるであろう」と結ばれておりました。

 「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」という格言がございます。こうして人間の勝利が報道されるうちは、まだ熊の優位が続いているということでございましょう。熊が負けてもニュースにもならなくなれば、力関係は完全に逆転したといいわなければなりません。その時、熊の識者たちは憂い顔でこういうのでございましょう。「くまったものだ」。おあとがよろしいようで。

南方妖怪

2009-08-12 09:28:47 | Weblog
 鳥取市では正午の時報に「ふるさと」のメロディーが流れる。作曲者の岡野禎一が鳥取市の出身だからだ。幼稚園児のころの骨子はこのが流れると「♪みずきしげる ふるさと♪」と歌っていた。水木しげる大先生は鳥取県境港市の出身。郷土のほこりともいうべき人なのだから、骨子は正しい。大先生は復員後しばらく相模原の陸軍病院に入院しておられた。ここはいまは国立相模原病院となって、太郎が喘息の治療に通っている。

 大先生は大阪にいる時に召集令状を受け取っている。その関係だろうか。応召先は松江の連隊ではなく鳥取の第40歩兵連隊である。ぼくの母の兄は大先生とほぼ同じ年齢でやはり第40連隊に応召している。南方で戦死したというのだが、場所は不明だ。しかし大先生がおられたのがラバウルだというから母の兄もそこで戦死した可能性が高い。

 大先生は驚くほどにポジティブシンキングの方である。軍隊は過酷なところだとみんながいうが、殴られることを除けば3度の飯が保証され、裁縫などの日常必要な技能も身につくのでそれほど悪いところではないと大先生はいう。また戦場でも大先生は奔放に振舞っておられたようだ。ラバウルで見張りに立っていたら蝶々が飛んできた。見張りの仕事を放擲して蝶々を追いかけていて戻ってきたら仲間が全滅していたという。「だからね。水木さん(大先生はご自分のことをこう呼ぶ)は運が強いと思うんだよ」。そうもいえるかもしれないが、大先生が任務を放擲したために仲間が全滅したという見方も成り立つとネット上で指摘している人がいた。その可能性も否定できない。

 まあ、そんな風に自分を責める人であれば、仲間が次々と餓死したという戦後の大阪でのあの過酷な下積み生活に耐えられなかったであろう。だがもし、その全滅した仲間のなかに母の兄がいたとすれば、大先生に対する私の評価は微妙なものとなる可能性は否めない。

アーニャ・カメネッツ『目覚めよ!借金世代の若者たち』(「本のメルマガ」・7月25日号掲載分)

2009-08-09 11:48:40 | Weblog
  若い論客の「戦争待望論」が話題を呼び、小林多喜二の『蟹工船』が時ならぬブームになったことは、われわれの記憶に新しいところです。昨年、秋葉原で26歳の若者による凄惨な大量殺人事件が起きました。経済的に苦しい立場におかれた若者が増えています。しかし、これは日本に限った現象ではありません。先進国ではどこでもものが溢れています。ものが売れなくなった企業は人を雇いません。労働市場は小さくなっていきます。中高年の生首を斬るわけにはいかないので若者の参入が拒否される。割を食うのが若者です。

  24歳の若い女性ジャーナリストによって書かれた本書を読むと、アメリカの若者の大変さがひしひしと伝わってきます。日本の若者は親がかりで大学に進みますが、アメリカの若者は基本的に自分で学費を稼ぎ出します。アメリカの大学の学費は高い。私立大学では年間約300万円、地元の州立大学に進んでも日本の私立大学程度の学費がかかるようです。バイトだけでまかないきれるものではありません。若者自身でローンを組むことになります。アメリカでは、数百万円の借金を抱えて世に出る若者が急増しているようです。

 アメリカは日本以上の学歴社会です。大学院まで進んで修士以上の学位をとらなければ経済的に有利な仕事に就くことはできません。学部卒は、もはや欠損学歴であると考えられています。大学院の学費は学部以上に高額です。借金はさらに嵩みます。しかも高度な専門的職業であっても、いまでは安定した仕事に就くことは難しい。期限つきの雇用から抜け出すことができないのです。雇用期間が切れてしまうとローンが返せなくなり経済的に破綻してしまいます。弁護士においてさえそうしたケースがみられると著者は言います。

 しかし若者の側にも問題があると著者は考えています。いまの若者たちは消費文化の申し子。借金をしてでも欲しいものを買え、という思想にどっぷりつかって生きている。多くの若者たちはまったく貯蓄をしていないし医療保険にも入っていない。そして彼らは、最高のものを手にいれなければ我慢することができない人たちです。最高の仕事に就くために、ぜいたくな暮らしをするために、次々に学校に通って高次のスキルや資格を身につけようとする。その結果、学費ローンの残高は雪だるま的に膨らんでいくことになります。

 羊のように大人しい日本の若者たちとは異なりアメリカの若者たちはこの10年間にイラク反戦運動のような政治運動を活発に展開してきました。しかし医療保険の欠如や、安定した仕事に就けないことなど自分たちの足元の問題に対して発言をすることはありませんでした。若者たちは、かつてのフェミニストたちのように「個人的な問題は政治的問題である」と気づく必要があると著者は述べています。日本の若者にも同じことばを贈りたいと思いました。グローバル化した世界を引き裂くのは世代間闘争であるという予感をもちます。



引きこもり(もうすぐお盆・声に出して読みたい傑作選87)

2009-08-06 09:50:42 | Weblog
母の49日のことである。和尚さんがぼくに尋ねた。「Nさんをご存知ですか」。Nさんは、母の親友の息子である。「よく存じています」とぼくは答えた。「最近お亡くなりになりました。親族の方たちでお葬式をすませたばかりです」。Nさんは屋久島の民宿に住み込みで働いていた。そこで急に亡くなったらしい。荷物は小さなバッグが一つだけ。そのなかに残されていた手がかりをたどって、地元の警察からお寺さんの方に連絡が来たのだという。

 Nさんのおじいさんは、地元の有名な弁護士だった。豪壮な邸宅を遺している。おじいさんが亡くなった後、家つき娘の母親は離婚。女手一つでNさんを育て上げた。大変な溺愛ぶりだった。おじいさんの跡を継ぎ弁護士になることを期待されて、Nさんは東京の有名私大の法学部に進学する。司法試験を受け続けるのだが、いつまでたっても受からない。30を過ぎて地元に戻ってきた。仕事をするわけでもない。「引きこもり」の日々を送った。

 Nさんが40を過ぎたころに、お母さんが急に亡くなった。彼は食うには困らなかった。豪壮な邸宅の離れを人に貸していて、家賃収入があったからである。「引きこもり」をやめて夜の街を飲み歩くようになった。お母さんが死んで抑圧が解けたのだろう。飲み屋でよからぬ人間と知り合いになった。その男にそそのかされて、Nさんは高級輸入雑貨のお店をはじめた。彼には何の商売の経験もない。加えてバブルが崩壊し景気は冷え切っている。お店はあっという間に潰れてしまった。豪壮な邸宅まで借金のかたにとられ、Nさんは無一物になった。

 Nさんは地元から姿を消した。両親のこんなやりとりを覚えている。「Nちゅうもんは、どうしたでしょうなぁ」。「生きとりゃあすまいで。自分で食うような力は、あのもんにゃあありゃせんけぇなあ」。Nさんの死は、遠く離れた地での野垂れ死にのようにみえる。しかし地元を離れてからの彼は、生涯ではじめて「自分で食」っていた。案外Nさんは清々しい気持ちでいたのではないか。


改正臓器移植法に思う(日本海新聞コラム潮流・7月29日掲載分)

2009-08-03 11:57:31 | Weblog
7月13日の参議院本会議で、脳死を人の死とみなし、本人の明確な拒否の意思表示がなければ家族の同意だけで移植ができるとする改正臓器移植法が成立しました。従来の臓器移植法では、15歳未満の子どもはドナーにはなれませんでした。改正法では臓器提供に際して本人の意思確認が必要ないので、年齢に関わらず脳死臓器移植を行うことができるようになります。改正法の成立によって、これまで海外に頼る他なかった子どもの脳死臓器移植を国内で行うことができるになりました。それが今回の改正の目的でもあります。

 読者のみなさんは脳死臓器移植についてどのような考えをお持ちでしょうか。私は脳死臓器移植の推進には懐疑的です。ただ私も10年前に白血病に罹り、兄から骨髄をもらい一命をとりとめています。治療の過程では、大量の輸血も受けました。骨髄移植は細胞移植で、臓器移植ではありません。またドナーの死が前提となる治療でもありません。しかし、輸血・細胞移植・生体臓器移植は程度の差こそあれドナーの犠牲の上に成り立っています。骨髄移植を受けた自分が声高に脳死臓器移植に反対する資格があるとは思えません。

 では、何故私は脳死臓器移植に懐疑的なのか。自分の子どもが重篤な心臓疾患に罹り、心臓移植以外に治療方法がないと分かればどんな親でも移植の実現を願うことでしょう。もちろん私もそうするのだと思います。しかし、わが子が助かるためには誰か別の子どもが、不慮の事故にあい幼い命を絶たれなければなりません。わが子の生存を望みながら、別の子どもとその家族の上に不幸が訪れることを待ち望んでいる。脳死臓器移植はそうしたモラルジレンマに患者とその家族を直面させる、罪作りな治療法だと私は考えています。

 重要な法案の審議であるにも関わらず、国会の論戦は低調極まるものでした。とくに衆議院では解散総選挙がちらついています。およそ腰を据えて議論をする雰囲気ではありませんでした。改正法も国際的に臓器不足が深刻化するなかで、国内で子どもの脳死臓器移植が行われるための方便として考えつかれたものとしか思えません。臓器移植法が最初に制定された時には、国会の内外で大論争が起こっています。推進派のなかにも傾聴に値する主張は、多々ありました。この10年の日本社会の知的衰退を思わずにはいられません。

瀕死の患者を甦らせる臓器移植は、一見したところ劇的な効果を生みます。しかしある機械に別の機械の部品を埋め込むかのような臓器移植は、エレガントな治療法であるとはいえません。レシピエント(被臓器提供者)の免疫にとって、移植された臓器は異物です。免疫が移植された臓器を攻撃し続けるために、レシピエントは生涯、免疫抑制剤を手放すことができません。臓器移植であれ、細胞移植であれ、移植医療はあくまで過渡的で緊急避難的な性格のものでしかありません。人工臓器の開発と、有効な代替治療の確立が望まれます。

テニスの王子様

2009-07-31 11:53:04 | Weblog
 大学時代はソフトテニス(当時は軟式庭球といっていた)の準体育会的サークルに席をおいていた。オイルショック後の就職難の影響もあるのだろう。教員になり、いまでは中学や高校のソフトテニスの指導者になっている者も多い。千葉県の中学校の先生になったH君もその一人である。

 卒業して何年かたって同期会を開いた時、彼はやってきた。在学中はやさしい感じの男だった。声を荒らげるところなどみたこともない。それが一変していた。精悍に日焼けして眼光が異様に鋭い。口のききかたもぞんざいになっていた。激戦の千葉県を勝ち抜いて彼が顧問をしている中学校は、全国大会に出場したのだという。県下では熱血指導で鳴らしているらしい。「子どもなんていうのはね。力で押さえつけなきゃだめなんだ」。耳を疑った。立場はここまで人を変えるのかと思った。

 それから10年ほど後に、彼が重い病気に罹ったという報が届いた。肺のガンが、脳に転移したという。ぼくが白血病に罹ったのはそれからほどなくしてのことだ。ぼくの同期は50になる前に二人も欠けてしまうのかという思いが頭をよぎった。幸いなことにそうはならなかったのだが。


 ぼくが退院してから数年後に同期会が開かれた。H君も来ていた。彼もぼくの病気のことは知っていた。「お互い生きていてよかったね」とあいさつを交わした。彼が近況を話してくれた。「病気をしてからは無理をしないようにしている。いまはソフトテニス部の『第三顧問』。ボール拾いをしたりして練習を手伝っているよ」。「第一顧問の先生はテニスの経験がないんだ。本で学んだことを子どもに教えている。それが新鮮でね。みていて勉強になるよ」。「子どもをテニス好きにするのが教師の役目。勝ち負けにこだわるのは愚かなことだ。昔の生徒たちには悪いことをしたと思っている」。彼の眼には学生時代と同じ柔和な光が戻っていた。


学園パラダイス

2009-07-28 11:05:00 | Weblog
 ぼくが中学生だった70年代のはじめのころは、部活はそれほど盛んではありませんでした。熱心な指導者がいる強い部活と野球部以外はほとんどお遊び。高校に入ってレベルの違いにびっくりするというのが通例でした。

 中学校が部活に力を入れるようになったのは、学校が荒れはじめた1980年代のことです。荒れる子どもたちを押さえつけるために、学校のなかでは暴力装置のような体育教師が強い権限をもつようになりました。子どもたちのエネルギーのはけ口に部活が活用されていったのです。

 部活がこの時代に肥大していった背景には、子どもたちの「学びからの逃走」があります。学校の勉強が分からないという子どもが70年代から増えていきました。「落ちこぼれ」という不愉快なことばができたのもこの頃のことです。過大な勉強の負担が子どもたちを苦しめ、学校の荒れをもたらしている。そうした認識は、教育に関わる人たちの間に広く共有されていました。以来、「ゆとり教育」の時代にいたるまでの約30年間、小中学校での学習内容は減らされ続けていったのです。「学びからの逃走」を続ける子どもたちを学校に引き留めるために部活が重視されるようにいったのではないか。

 この頃から共働き家庭が増えてきています。親たちは、中学校に託児所的な機能を求めるようになりました。そして80年代は、万引きのような「遊び型犯罪」が増え、戦後3番目の少年犯罪のピークとも言われていた時代です。社会の側も、子どもを野に放たない「留置機能」を学校に求めたといえなくもありません。

 80年代はいじめが注目され始めた時代です。子どもを長い時間学校に囲い込んでおけばいじめが増えるというのは誰にでもわかる理屈です。いじめに苦しみながら、子どもたちを長く囲い込むことを求められるという矛盾した状況に当時の日本の中学校は置かれていたといえます。

 

一瞬の夏(熱闘!相模原球場編)

2009-07-25 11:00:58 | Weblog
7月16日。高校野球神奈川県大会にS高が登場。場所はホームグラウンドの相模原球場です。都心の大学院の最後の授業を終えたぼくは、電車とバスを乗り継いで球場に直行。開始時刻10分前に着いたはずなのに、試合はもう一回の裏。S高の攻撃が始まっています。第一試合で強豪私学が県立進学校を5回コールドで破ったために開始時刻が15分早まったためです。

 相手も県立高校。実力は互角でしょう。守備も打撃もS高が大きく劣るとは思いませんが、いかんせん投手力が弱い。四死球でランナーをためて痛打を浴びます。それでも4対0とリードされた中盤、S高中軸が長短打を集め2点をとったときには応援席は歓喜にわきました。

 応援団部は男女に分かれ、男子は古典的な応援団、女子はチアリーダーです。女子の方は、チアのコンクールとか文化祭とか見せ場は他にもある。男子の晴れ舞台といえば、夏の甲子園予選だけ。なんともストイックな。異様に声の高い「男子」りーダーがいるのが目を引きました。どうやら女子生徒のようです。青春を燃焼させたいという彼女なりの思いがあるのでしょうか。

骨子たち吹奏楽部も必死で応援をしています。最初はルールが全然分からなかった骨子も、ほぼ試合の流れが理解できるようになりました。「ボールが4つたまると一塁に歩けるんでしょ」。たしかに。5番バッターのH君は同じクラス。彼が打席に立つととりわけ力をこめてホルンを吹いたといっていました。

 試合は7回に相手にダメ押しの2点をとられ、勝敗はほぼ決した感がありました。S高側スタンドがざわついたのはその時です。去年に続いてOBの衆議院議員A氏が登場しました。校長が丁寧に接待をします。国会が大変な時のこの母校愛には感動しました。自民党のA氏は、苦戦が予想されています。来年の夏の大会には「元国会議員」としてS高スタンドにあらわれるのでしょうか。

白鯨(アポロが月面に着いた夏でもあった・声に出して読みたい傑作選86)

2009-07-22 12:35:41 | Weblog
中学一年の時の担任だったK先生は、英語弁論の達人だった。「T市で唯一、RとLが発音し分けられる男」、「長年の修練の結果、彼の舌は石になっている」等々、多くの伝説に包まれた人物でさえあった。教師としての彼は、中学生を大人扱いする人だった。彼の出した夏休みの宿題がふるっていた。「夏休み中に一度、徹夜をすること」。徹夜するぐらい熱中できる対象をもたない人生はつまらない。それが先生の持論だったのである。

 この「宿題」をぼくはとても新鮮に感じた。小学校の先生たちは夏休みに入る時、判でおしたように「規則正しい生活を」と繰り返していた。それをK先生は、「徹夜せよ」、「熱中せよ」というのだ。ぼくは徹夜をしてメルヴィルの『白鯨』を読むことにした。前年の夏、影丸譲也が『少年マガジン』誌上で劇画化していたのを読んでいた。ものすごく面白かった。今度は「大人の本」で読んでみようと考えたのである。早速本屋で文庫本を買った。

 執念で白鯨を追い求めるエイハブ船長の冒険には心踊るものがある。しかし、こちらも生涯最初の徹夜に挑むのだ。心の高まりはいささかも、かの老船長に劣るものではなかった。しかし、うんざりするほど長い本だ。とても一晩で読みきれそうにはなかった。それでも、とにかく7月21日を「冒険敢行」の日と決めた。13歳の誕生日の前日である。夜9時に『白鯨』を読み始める。9時にはもちろん意味がある。クジラと「9時だ」を掛けたのだ。

 クジラにまつわる長い長いぺダントリーが気になってそこから読み始めた。気がつくと日付けが変わり22日。ぼくの誕生日だ。エイハブ船長がドアを開けて酒場に入って来る最初の場面を読み始めたまさにその瞬間、ぼくの部屋のドアが開いた。大学受験浪人中の兄がそこにいた。「まだ起きとっただかいや。ああ、今日はお前の誕生日だなあ。お祝いをしようで」。兄は冷蔵庫から何本もビールをもってきた。ぼくたちはそれを次々と空けてしまったのである。翌日、ぼくは生涯最初の二日酔に苦しんでいた。トイレでもどしながら、ぼくの頭にはこんなフレーズが渦巻いていた。「吐くゲー、はくげい、白鯨…」。正直に言おう。ぼくは、この大作をまだ読み通したことがない。

遥かなる甲子園

2009-07-20 10:18:01 | Weblog
高校野球の季節になりました。日本は4000を超える高校に野球部があります。ところがライバルの韓国の高校の野球部は、わずか50数校にしかない。韓国の高校野球はエリートたちのために特化していますが、これは長くスポーツを国威発揚の具としてきた時代の産物でしょう。

 早くに天分を示さなければならない韓国では、日本の上原や野茂のような遅咲きの「雑草組」が大成する余地はありません。逆に日本では、ものすごい競争の中で潰されていく才能も多いのではないでしょうか。全国大会を制するためには何試合戦わなければならないのか。「甲子園の優勝投手は大成しない」といわれる所以です。

 太郎の幼稚園に、ムンソン君という韓国人の男の子がいました。彼のお母さんの話が興味深かった。日本の親はわが子をスイミングに何年も通わせ続けたりする。韓国ではオリンピックを目指すような子どもでなければそんなことはしない。それ以外は泳げるようになったら、別の習い事を始めると彼女はいいます。

 韓国の人は、とてもプラグラマティックにものを考える。強い目的志向性があります。それは無駄な努力を嫌うことにも通じる。野球をどんなにがんばってもプロに届くのは一握りです。それならその他大勢は、高校では野球などやらずに勉強に専念したほうが良い。そうした発想も韓国の高校野球参加校の極端な少なさと無関係ではないでしょう。

 骨子の幼馴染のU君は、神奈川の県立高校の野球部員。練習の後、夜の10時までバッティングセンターで「自主練」の日々です。そんなに頑張っても、甲子園に出る可能性は皆無に近い。過去5年間、夏の大会では1勝もしていないのですから。日本人は、努力や継続を尊ぶところがあります。一つのことを一生やり続ける職人的な生き方が尊重される。日本の高い工業技術を支えているのはそうした価値観です。 しかし、 韓国の人たちがU君の話を聞けばクレージーだと思うのではないでしょうか。