バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

オウム真理教がもたらした宗教恐怖を煽る日本教

2018-07-07 07:34:20 | 日本教から脱出するにはどうするのか
6日の朝からオウム真理教サリン事件の首謀者たちの死刑が執行された臨時ニュースで流され、

一日中、そのニュースで覆われました。昨日からの西日本で大雨の被害が相次いでいるにもかかわらず、

このニュースが常にトップでした。

この死刑で23年前の事件に大きな区切りがついたことは事実でしょう。

この事件のあった1995年に私は豊田市五反田町に断食祈祷院をオープンしました。

しかし、事件から6ヶ月経過していたのですが、

まず、私の建設した施設はあくまで断食祈祷する施設でしたが、

オウム真理教ではないかという噂を地元五反田だけではなく周辺の町々も信じ込んでしまい、

まず自治会に入れない、ごみの収集は拒否、村八分どころか村十分になってしましました。

しかも、足助警察の公安につねに監視対象にまでなったのです。

おそらくオウムの事件がなかったら、決してこのような扱いはなかったのです。

私たちの断食祈祷院は、日本キリスト教年鑑にも記載され、

日本国内のキリスト教会の牧師、信徒が集まる超教派の施設であり、

オウム真理教ではないことは明白なのですが、まず断食と祈祷だけでそのように判断されて、

地元から完璧に拒否されてしまいました。

明川地域では、本気でオウム真理教と信じ切っていた人たちがいたのは驚きました。

この反応を体験した23年間でしたが、この足助地域の反応は、

すなわち日本人とそれを支配する日本教の特質だいうことです。

日本教の特質は、まず宗教熱心者を最も嫌うことです。

これは織田信長など戦国を収めた武将、中でも徳川家康の思想が、

日本を支配したからです。

家康は信長、秀吉と戦国の支配者たちが

一番手に負えなかった仏教徒集団であった一向一揆をいかに無力化するかが最大の課題でした。

そこで家康は一向一揆を支えた仏教の骨抜き政策として、檀家制度を敷きました。

これは一向一揆以上に大変だと判断したキリシタンの取り締まりも兼務したものです。

この家康こそ、日本教を完璧に日本に敷いた人物です。

その思想的なブレーンが鈴木正三でした。

その鈴木正三が生誕したのが足助町だったのです。

そして町の中心部に鈴木正三記念館があり、学校では鈴木正三のことを教え、また町の誇りなのです。

町の本屋さんには、何と鈴木正三の本がずらりと並んでいます。

日本教について書いた山本七平さんは、

はっきりと鈴木正三こそ日本教の宣教師だったと明確に書いておられます。

このような鈴木正三を拝する足助町に断食して祈るという施設を造ったのですから、

その拒否反応は、私の想像をはるかに超えていたのです。

そこにオウムサリン事件です。

この事件が相乗して、完璧な村十分とされてしまいました。

日本教は恐ろしいものです。
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