バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

NHK朝ドラで描かれたクリスチャン主人公たち

2023-11-25 04:00:00 | ゴスペル・エッセイ
NHKテレビの朝ドラマの後期で今、放送されているのが、

そしてSNSなどで毎日、話題の「ブギウギ」です。

このドラマのモデルは、笠置 シヅ子(注・01)です。

朝ドラでは当然、フィクション仕立てなので

かなり脚色して変更されていますが、

私が今回、このドラマが放送されるのが楽しみでした。

その理由は、1951年に彼女の再スタートの後援会長を引き受けたのが、

無教会キリスト者の南原茂(注・02)だったからです。

私は長年、仕事が忙しく、朝ドラを見る時間がほとんどありませんでしたが、

下記の2つの朝ドラだけは欠かさず見ました。


1・花子とアン(2014)

村岡花子(注・03)の生涯を描いたもので主演は、吉高由里子


2・あさが来た(2015)

広岡浅子(注・04)の生涯を描いたもので主演は、波瑠


その理由は、モデルとなったお二人ともクリスチャンだったからです。

「ブギウギ」の主人公はクリスチャンではありませんが、

南原茂が支援した方だっただけの理由で、観ることを決めていました。

どうして南原茂のようなキリスト者が

クリスチャンではない、笠置 シヅ子の後援会長を引き受けたのでしょうか。

下記の注・01のエピソード欄にありますように

南原茂と実父とは、同郷であり、幼馴染であったからです。

さて、上記1と2の主人公は、正真正銘の熱心なクリスチャンで

私にも多大な影響を与えた女性たちです。

まず、村岡花子の訳した「赤毛のアン」の大ファンで、

子供たちにも読み聞かせをした愛読本だったからです。

また、広岡浅子は、私が保険の代理店営業を開始した時、

振り出しは大同生命で、その創業者であったので

朝礼などでよく聞いた名前だったのです。

二人ともクリスチャンであるばかりか、時代のパイオニアでした。

そしてドラマも出来が良く、視聴率も高く(平成ではトップ)、

毎回、楽しみに観ました。

2つの朝ドラは2014、2015年でしたが、2014年の大河ドラマは、

キリシタンであった黒田官兵衛を描いた「軍師官兵衛」でした。

創価学会員の職員が多いNHKでよくぞキリスト者の生涯、

3人を2年連続で3作品を主人公にしたのか不思議でしたが、

NHKのプロデューサの中に熱心なクリスチャンがおられたから

可能であったと言われています。

日本ではクリスチャンがわずか国民の0.45%という極少数にも関わらず、

連続して3人のクリスチャンが放送されたのは、ほんとうに奇跡だといえます。

今回の朝ドラは、クリスチャンではありませんが、

今年、福井に移住して時間もあり、またNHK+1でも

見れるようになったことから、初回から楽しみに見ています。



笠置 シヅ子(注・01)
1914年8月25日 - 1985年は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子。戦前から戦後にかけて活躍し、特に戦後は「ブギの女王」として一世を風靡した。1914年8月25日に香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)黒羽で生まれる。生後まもなく豪農の息子である父親・三谷陣平が亡くなり、母親・谷口鳴尾(三谷家の住み込みの女性。陣平と恋に落ちて妊娠したものの、彼の両親から結婚を許されていなかった)は静子を連れて実家に戻ったが、母乳の出が悪く、偶然近所へ出産のために帰省していた大阪市福島区の米屋の妻だった女性に貰い乳をしていた。結局、その女性・亀井ウメが自分の実子とともに静子を大阪へ連れて帰って養女となったが、シズ子が自身の出生について気付くのは後年になってからだった。
エピソード
1951年春にシヅ子の後援会長を引き受けたのが、実父の友人で同じ香川県出身の南原繁である。南原は当時、東京大学総長の要職にあった。(ウィキ)


南原茂(注・02)
(1889年9月5日 - 1974年5月19日[)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。東京帝国大学法学部政治学科に入学する。入学後、内村鑑三の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。一高に入学したときの校長は新渡戸稲造であり、影響を受けた。1945年3月 - 東京帝国大学法学部長に就任。高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄とともに終戦工作に携わるが失敗に終わり、敗戦を迎える。12月 - 東京帝国大学総長に就任。1946年2月11日 - 紀元節には日の丸をかかげ、日本精神そのものの革命を通じての「新日本文化の創造」を説く。日本に宗教改革が必要であり、真の覚醒は神の発見とその神に従うことで可能となるため、日本的神学とは別の宗教が必要と述べた。(ウィキから)

村岡花子(注・03)
(1893年6月21日 - 1968年10月25日)は、日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。基督教文筆家協会(現・日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長。クリスチャンである父の希望により、2歳でカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受ける。父の逸平は駿府(現静岡市)の小さな茶商の家に生まれ、茶の行商中にカナダ・メソジスト派教会に出入りするようになり、熱心なクリスチャンとなる。(ウィキから)

広岡浅子(注・04)
(1849年10月18日 - 1919年)は、日本の実業家、教育者、社会運動家。大同生命の創業者。明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた。1904年、夫(広岡信五郎)の死去を機に事業を娘婿の広岡恵三(大同生命第2代社長)に譲る。以後は女子教育や婦人事業に貢献することを是とし、社会貢献事業と自身の学問に専念、長井長義らに学ぶ傍らで愛国婦人会大阪支部授産事業の中心的人物としても活動した。1909年1月に大学病院において胸部の悪性腫瘍手術を受け回復。同年年末に大阪の菊池侃二宅で宮川牧師と知り合い、同席者の成瀬から宗教哲学を勧められた縁で1911年に宮川経輝より受洗。 婦人運動や廃娼運動にも参加し、当時発行が相次いでいた女性雑誌に多数の論説を寄せる。(ウィキから)

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