太った中年

日本男児たるもの

偽メール事件の犯人と小泉家

2010-03-09 | weblog

前エントリーに続いて松田ツイッター。以下、偽メール事件について。

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どらえもんと@tuesugiくんは、あの男のおかげで危うく例の「偽メール事件」の犯人にされるところでした。あの男が知り合いの記者を呼びつけては「犯人は民主党議員の秘書だったジャーナリスト」とガセネタを流したおかげです。以来、@tuesugi君とは「被害者同盟」を結成してますが。

個人攻撃の「ガセネタリーク」は、あの男にとっては、常套手段なのです。どらえもんや@tuesugiくんの「被害者同盟」に、さらにひどい形で加わったのが、村木厚子さんということになります。

ちなみに、あの男が偽メール事件でガセネタを流した時の模様は、被害者同盟の@tuesugiくんがブログに記録してくれているので、参考まで。゛http://www.uesugitakashi.com/archives/50347212.html 

引き続き@tuesugiくんのブログから「被害者同盟」結成のくだり。 http://www.uesugitakashi.com/archives/50347813.html ここまで読んでいただくと、あの男とわれわれの歴史もおわかりいただけるはず。

どらえもんのところにFTV記者が「○○秘書官がどらえもんが偽メール持ち込んだ犯人だと言ってますよ。本当ですか?」と聞いてきたので、「ウソウソ。真犯人は、山口組系のヤクザの下っ端のNってヤツ。中川秀直とその××組の若頭が銀座で飲んでたって言うから調べてるんだ」と答えたっけ。

 @tuesugiくんのブログでは、配慮して伏せてあるけど、どらえもんは取材に対しては、「あの日は原口さんの予算委質問作りでずっと一緒にいたから、アリバイは原口さんに聞いてよ~。永田議員の質問は一度も作ってないし、どらえもんが作ったらこんなドジな質問しないよぉ」と答えてきました。

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てなワケで@tuesugiくんは上杉隆氏、あの男はもちろん飯島元秘書官。

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どらえもんは、小泉、安倍、福田の3代の首相について、脱税宰相だと週刊誌に書いてきました。それについて、一度も訴えられたことはありません。すべて収支報告書に書かれた事実や小泉家の家政婦の証言テープをもとに事実をできるだけ客観的に伝えるように心がけてきたからです。

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小泉さんが金にクリーンなイメージを喧伝したのも飯島元秘書官だった。

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続いて小泉さんの家系をツイート、面白い。

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小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました。当時、現在の稲川会の母体である横須賀一家と小泉組の間に抗争があり、二代目の長男が殺されたためです。

当時、又次郎は、上野のあたりで職を転々として、家出状態。今でいうフリーターでした。それを跡取りがいなくなった曾祖父が連れ戻し、「堅気の商売ができなように」と手下に又二郎を押さえこせて全身に刺青を掘ったという逸話が「小泉又次郎伝」に記されています。

小泉家では、なぜか三代目を襲名したあとの又次郎は、「長男」として扱われました。名前に「次」を入れた通り次男であったことは、「小泉又次郎伝」にも書かれていますが、衆議院議員になってからの公的な資料では、又次郎は「長男」という届け出になっています。なぜなのか、調べました。

小泉家の関係者の証言によると、二代目の長男の名前は死亡とともに戸籍から消され、又次郎を長男に繰り上げる更生手続きがとられたのだといいます。つまり、ヤクザの抗争に敗れて死んだ長男は、小泉家の歴史から消されたのです。小泉家の菩提寺を隅から隅まで探しても、長男の墓はありませんでした。

どらえもんは、横須賀とかつて小泉家があった横浜市金沢区を歩き回って、関係者を取材しましたが、「長男」の名前すら誰も口にしようとしませんでした。それだけ、「小泉組二代目」のことは、タブーになっているということです。

小泉組三代目を襲名した又二郎は、ヤクザ稼業が性に合わないと二年余りで三男の岩夫に小泉組の家督を譲り、再度上京して東京毎日新聞の記者になります。記者時代に上野公園で聞いた岩倉具視の自由民権演説に心酔して政治家を志したのは、有名な話です。

小泉組は、元首相の大伯父にあたる4代目当主岩夫の時代に大きく発展します。横須賀港に入る貨物の荷揚げ屋から運送業、建設業へと事業を拡大。ついには海軍お抱えの業者として、台湾に海軍が軍港を作る際には、工事の一切を小泉組が仕切るまでになったと横須賀市立図書館の昭和初期の蔵書にあります。

小泉組4代目の小泉岩夫は、日露戦争当時、横須賀界隈の篤志家から寄付を募り、戦勝を祈念して成田山新勝寺に「戦勝祈念碑」を建立した。現在もその横に小泉岩夫の胸像が立っている。新勝寺境内に隣接した公園を少し入っていくと見つけることができる。

成田山新勝寺の「日露戦争戦勝祈念碑」建立から100年経った2005年春。3メートルほどの高さの塔の脇に腰の高さほどの「建立100周年碑」が立った。除幕式には出席しなかったが、ひときわ大きな文字で彫られた名前は「内閣総理大臣小泉純一郎」。防衛族宰相のルーツは軍の政商・小泉組だった。

小泉家の秘密シリーズは、ここでいったん中断して、あの男の話。あの男の「郵政民営化利権」の全貌を解明するため、政権交代前からもう半年以上にわたって郵政公社化直前からかんぽの宿まで処分された4000件以上の郵政物件の全登記簿を精査中。こんなことしてるのは、どらえもんだけでしょうね。

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松田ツイートは最高だ。あの男の話はまたエントリーする。


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