太った中年

日本男児たるもの

異文化に憧れたとき

2010-03-12 | weblog

前エントリーコメントで暇な奥さんより指摘して頂いた文化人類学者の青木保氏。

以下、ウェッジでピーター・バラカンと対談しているのでそれを今回より4回に分けて転載。

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異文化に憧れたとき

すばらしい文化との出会いは、その国のイメージをも良くすることがあります。結果、そうしたイメージが、現代の多文化世界における国家間の関係を好ましいことにすることもあるでしょう。

文化人類学者としてアジア諸国をフィールドワークし、タイにおいては僧修行まで経験している青木氏と、日本のポップミュージックに憧れて来日したバラカン氏は、それぞれどのようなきっかけで海外文化に興味をもったのでしょうか? まずは、お二人にその体験を伺いました。

異なるものへの憧れ

編集部(以下――) おふたりに伺いますが、最初に他国に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

バラカン わたしが生まれたイギリス以外の国に興味を持ったのは、最初はアメリカでした。きっかけは、アメリカの映画だったり、ポピュラー音楽だったり。まさにソフトパワーと言われるものですよね。ただ、当時のアメリカのソフトパワーというのは、軍事力があってこそのソフトパワーでした。戦後のアメリカは、圧倒的な軍事力を持っていたということと、文化の力が一体となって切り離せなかったように思います。でももちろん、子どもの頃はそんなこと意識しませんでした。物心がついたときからそういうテレビや音楽に接していましたから。だって、うちが初めにテレビを買ったのは、僕が5歳ぐらいのときなんです。まだうちにテレビがない頃も、近所にテレビを持っている家があって、ときどき見に行ったのを覚えていますね。何を見ているかといったら、「ローン・レインジャー」なんです。要するにカウボイものの連続テレビドラマ。

「ローン・レインジャー」に代表されるようなアメリカの番組が、一世を風靡した時代だったんです。ほかにも、「ルーシー・ショー」だとか。当時のテレビ番組といえば、ほとんどアメリカ発だったんですね。イギリスでもつくっていましたが、1950年代は圧倒的にアメリカのものの輸入。僕なんかはその影響を受けています。

青木 私はバラカンさんとは一回りほど年が違いますから、戦争が終わったときには小学校1年生くらいでした。当時、東京から地方に疎開していて。その時に接した異文化って、最初はやはりアメリカ文化でした。アメリカ軍がジープに乗って地方の村にも来る。最初は怖かったんですが、兵隊がニコニコしていてね。それでチョコレートとかチューインガムとかをくれるもので、だんだんなついていった。それから、当時のアメリカ兵は態度が非常に良かったんですよ。アメリカ軍の兵隊が日本に駐留したり占領したりしている。本当は脅かされるかと思ったら、逆ににこにこして感じが良かったものですから、そのときはすっかりアメリカが好きになりましたね。

それから、だんだんアメリカの映画やポピュラーミュージックが盛んに流されてきましたから、それを見てアメリカを知るようになりました。アメリカのことを知ると、そのうちヨーロッパもあるしとなる。でも、日本の近代は、ヨーロッパとアメリカの影響ですから、逆にアジアの情報はほとんど入ってこなかった。

バラカン なるほど。

青木 今で言う歴史問題は当時もあったんだろうけど、日本人が中国や朝鮮半島でどういうことをしているかなんて全然情報が入ってこなかったですから、そういう情報が入ってくるのは、戦争が終わってかなり経ってから。敗戦日本の混乱から立ち直るのが精一杯でした。中国とも国交回復もしていませんでしたしね。だから、情報は文化に関してもアメリカ、あるいはヨーロッパのものばかり。僕個人は、文化人類学を研究しようと思って、1960年代当時は東南アジアに行く人はほとんどいなかったものですが、タイなどに行くようになったんです。

日本人の一般的な体験としては、戦後はアメリカ文化からの圧倒的な影響があった。それは、一種の“モデル”みたいに感じられていました。ほんの半年ぐらい前まで「鬼畜米英」なんて言っていたのに、敗戦で一度に変わっちゃったわけです。実際に私が見た兵隊たちは、非常にまじめな態度で感じが良かったですね。アメリカは軍事力が強かったし、今でも世界で一番強いですけど、軍事力というハードパワーの使い方というのはあって、一つは、もちろん武器で戦争したりするような、本当の物理的な力ですけど、もう一つは、軍事力であっても、やり方によってはソフトパワーに変わることがあると思うんです。自衛隊も、例えば今や災害救済の力として評価されていますね。

―― 「態度が良かった」というのは、アメリカ文化が日本人に受け入れられた前提のひとつということでしょうか?

青木 その文化がいかに素晴らしくても、やはり持ってくる人の態度が悪ければ反発しますからね。ですから、後になって日本でも『日本の黒い霧』(松本清張著、文春文庫)に描かれているように、アメリカ占領については闇があることも分かってきたけれど、少なくともわれわれが接触した最初の兵隊さんは、非常に態度が良かった。また当時アメリカ文化は輝いていました。ハリウッドにジャズに豊かな生活と明るさ。

バラカン 当時の日本は、もう戦争が終わっていたということもあるかもしれませんね。

青木 そういえば、いつだったかオーストリアのウィーンに行ったんです。コンツェルトハウスに行って、アルバン・ベルクのコンツェルトを聴こうと思ったら、すでにソールドアウト。そうしたら受付のおじさんが「今晩いいのあるぞ」と言う。何かと思ったら、ジャズコンサートで、これがウィーンのグレン・ミラー楽団なんですよ。

バラカン へえ。

青木 行ってみると、オーストリア人によるグレン・ミラーが件の演奏会でした。G.I.の帽子をかぶってミラー・サウンドを出している。第2次世界大戦後、ウィーンも米英仏ソによって4分割されたでしょう。その中でウィーンの人たちにも、アメリカに対する好感、信頼といった感情があったんじゃないかと思う。

バラカン 演奏者は年配の方なんですか?

青木 そうです。全体が同好会のような感じといえばいいかなあ。パリ開放のときに米軍のジャズバンドがスイングジャズを街頭で演奏すると、解放に沸く街で市民が熱狂するというような。たとえばトミー・ドーシー、ベニー・グッドマンなどのビッグバンド・ジャズ。アメリカジャズ文化が一種の平和のシンボルとなっていた。アメリカのまさに「ソフトパワー」の影響ですよ。21世紀になっても残っている。アメリカについては大きな批判もあるけど、大学も含めたその文化にはみな惹かれている。

クリントン国務長官が先般の来日時に、明治神宮を参詣し、お神酒を飲んだ。「日本文化への尊敬」と言っていました。21世紀は文化が中心となる時代。グローバル化の中に「文化」がある。それを強く認識しなければならない。

バラカン あの時代、アメリカは自由のシンボルですからね。当時、例えば「カサブランカ」みたいな映画なんかを見てもそう。

青木 今では一種のノスタルジーなんだけど、当時はそうでした。

バラカン そうなんですよね。

青木 アメリカは、おおむねいいイメージで日本を占領したと思うんです。「日本文化論」で、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(講談社学術文庫)という本があるでしょう。これは、戦時中、アメリカ軍が日本をいかに占領するかのマニュアルをつくるため、アメリカの人類学者などを動員してワシントンD.C.で始められた研究会の報告書が元になっているんです。そうした当時の戦略プロジェクトで研究をしたベネディクトが、その成果を自分の本としてまとめたのが『菊と刀』なんです。

バラカン でも、当時のアメリカは、日本がどこまでコロリと変わるかということは見込んでいましたかね?

青木 いや、それは見込んでなかったと思いますよ。当時の沖縄では、激しい抵抗戦があったわけですから。

バラカン さかのぼってみると、戦前・戦後で日本文化の様相が変わったのは、やはり1945年に敗戦したことが出発点のような気がしてしょうがないんです。

青木 文化はだいぶ変わりましたね。ただ、戦前からもちろんアメリカのダンスミュージックは入ってきますし、日本人のプレイヤーがジャズもやっていました。

そういう意味では、戦争の一時期、1930年代後半から45年までが「鬼畜米英」と言ったりして反発を強めていた時期ですが、その後は、戦前の状態にまたつながったような気がします。明治以降、西欧の悪口を言っても西欧崇拝がある、という二重構造があって、このことは大きいですね。逆に、アジア、とくに現代アジアに対して日本人はほとんど関心がない。中国の古典とか、朝鮮の焼き物、陶器、古典文化・伝統文化に対してはみんな関心を持っていますけど、現代の文化に対してはほとんど関心がない。それでも、21世紀になってだんだん変わってきました。

バラカン やはり明治維新以降の日本がもう西欧の一員になろうと一生懸命になったことがきっかけなんですか? 要するに自分はアジアの国なんだけど、多くの面でヨーロッパに追いつき近代国家になろうとした、というような。

青木 列強と同じような力を持ちたいということです。ですから、教育制度から軍事まで、当時の列強大国に倣っている。

バラカン だから、植民地主義に走ったというのも、ある意味ではヨーロッパのようになろうという流れでしょう。ヨーロッパがなぜ強いかといったら、植民地を持っているから強いという要素もある。ヨーロッパのように強くなろうと思ったら、植民地を持たなきゃいけない。これは極めて合理的なプロセスかもしれません。ただ、そのやり方が急すぎて失敗したというのは、もちろん歴史を見れば誰にでも分かる話なんです。

青木 当時の日本人が持っていた感覚というのは、明治から大正にかけての、片一方でヨーロッパやアメリカがモデルとしてあるわけですけど、同時に中国大陸まで列強の植民地化が進んできているし、片一方では、ロマノフ王朝のロシアには、南進というのがありましたからね。そういう中でまだまだ未熟な状態の中から近代国家をつくらなくてはいけないというのは、想像以上に大変だったと思うんです。今ではいろいろな批判も出てくるんですが、当時としては列強攻勢の中で何とか国の独立を保って、かつ、西欧列強みたいに力をつけなければ負けてしまうという強い思いがありました。

日本文化の特徴は「混成」

―― 日本文化の歴史をふりかえると、中国の文化や南蛮文化をうまく受け入れて、そこを日本流にアレンジして、日本文化を変容させてきています。でも、明治時代以降というのは、欧米のシステムや文化をまるまる受け入れてしまっているような感じがします。それまでのスタイルであった、いったん受容して変容させるやりかたと、変わってしまったと考えられるでしょうか?

青木 いや、そうじゃないと思う。僕は日本文化を「混成文化」っていうふうに呼んでいるんですけど、日本はもともと土地に根付く神道文化があり、天皇制の基盤にもなっています。そして、アジア大陸から儒教、道教、それから律令体制、仏教の影響も大きく受けてきた。その後明治になって、今度は西欧やアメリカの影響を受けた。だけど、だからと言って神道文化がなくなるかといったら、なくなっていない。これはずっと現代でも天皇制を含めて存続している。今でも全国どこを歩いても、お寺もあれば鳥居もあるし、キリスト教の教会やイスラム教のモスクまであるでしょう。日本人は取捨選択が結構うまい。これを「混成文化」と呼んできました。中国やインドの影響を受けていても、中国やインドになったわけではないし、そういう欲望もなかった。いいものはきちんと受け入れるけれども、自分では受容できないなと思うものに対しては、積極的に受け入れない。

徳川時代があったから、逆にその選択がうまくいっていたのかなと思います。16世紀以来、ポルトガルが来て、オランダが来て、イギリス、フランスが来て、日本はあれこれ取捨選択する暇もなく、時間もなく、西欧のいろいろなものを受容せざるを得なかった。

バラカン でも面白いのは、僕はその後の鎖国時代だと思うんです。長崎の出島みたいな、オランダ人や中国人が出入りするところもあったけど、ほとんど海外からの影響が途絶えたその間が、いろいろな庶民文化がジュワーッと醸し出された時代だった。

よく音楽の世界でも、下手にいろいろな人の影響を受けすぎると、自分のアイデアがわかないということが言われます。もちろん、誰でも最初は誰かの影響を受けながら自分の個性をはぐくんでいくものですが、その辺のバランスがうまくいったのではないでしょうか。

青木 そういうこともあるかもしれませんね。でもその後、江戸時代が終わって、明治政府ができたでしょう。それは、ある意味では江戸時代を否定したということなんです。それで、江戸時代の文化についての記憶も薄れてしまった。

現代になって、この20年くらいは「江戸学」として新しい光が当たっています。「江戸文化にはすばらしい点、現代人が見習うべき点がたくさんある」と主張する人たちもいます。江戸時代の芸術や文学も素晴らしいし、いろいろな趣味の世界も深いものが蓄積され、庶民の文化にも厚みが加わり社会に広がったんですね。それまでは宮廷とか、よくても武士階級までだった文化が庶民に広がり、独自の文化を生み出した。

この20年ほどで、明治政府が否定した江戸時代の生活スタイルを見直そうという気運も出てきている。

―― 江戸時代に鎖国をして、300年間海外との交流を制限していた中で庶民文化が花開いたという事実や、バラカンさんが音楽の例でおっしゃったように、あまり影響を受けすぎるとかえって自分が何者かが分かりにくくなるということを考えると、文化が成熟していくのには「時間」が必要なのでしょうか。

バラカン もちろんそうです。英語で言うカルチャーというのは、例えばキノコのようなイメージなんですよね。

最初は一つの固まりだったものがじわじわと地を這って広がっていくような、そういうものをカルチャーと言うんです。文化とはそういうものだと思うんですね。計画を立てて伸ばしていくものではなく、自然培養で何百年もかかって、目に見えない発展を遂げるものだと思っています。

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ピーター・バラカンはトークボックスの魔術師ザップ&ロジャーの大ファンで趣味が一致する。

 

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