太った中年

日本男児たるもの

あらゆる関係はS-Mである

2010-03-04 | weblog

ところで私は、数年前からこのような意味での「関係性」に注目してきた。

思想や世界観だけで虚構を支えることは、しだいに不可能になりつつある。それらの要素は、つまるところ、「この物語を所有したい」という欲望に奉仕するだけだ。われわれが物語の「テーマ」を急いで理解しようとする場合、そこで作用しているのはこうした所有欲にほかならない。

あらゆる関係はS-Mである - 斎藤環コラムより)

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斎藤環は「世界はSM関係」と言っているので以下、SMをウィキで本格的に学習。

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SM(エス・エム)とは、サディズムおよびマゾヒズム的な性的嗜好に基づいて行われる倒錯的プレイ全般、ないし同プレイを含む文化様式(サブカルチャー)群の総称である。一般には、サディズムとマゾヒズムが独立した性的嗜好であるように見られる傾向もあるが、実質的にはコインのように表裏一体のものであるケースも少なからず報告されており、また人格否定的な側面があるという誤解も根強い[要出典]ものの、プレイの一環として実情は人道に反するような性質は無い。

なおSMは、サディズム(Sadism)と マゾヒズム(Masochism)の頭文字を合わせた頭字語である。またプレイの一環で支配・被支配という役割を演じる傾向から、支配する側の人を「トップ」、「S」、または「主人」と呼ぶことがある。服従する側の人を「ボトム」、「M」、または「奴隷」と呼ぶことがある。SMは、Sadomasochismとも呼ばれる。

概要

精神医学面での「性的サディズム」などでは、性的興奮を得るために(相手の意向にお構いなく)一方的に何かを虐待するという性格異常を発揮し、一方の「性的マゾヒズム」では辱めを受けたり自らの肉体を損傷する(自傷行為)ことで性的興奮を得るとされる。ただこれらは、性的倒錯(パラフィリア)と呼ばれる精神障害である。

性風俗や性の文化としてのSMの場合は、一種の倒錯プレイ(何かの役割を演じることで性的興奮を得る様式)として行われるものが主となっており、これは「抑圧の開放」などといった意味付けも見られ、非日常的な行為を体験することと解される。

この中ではボンデージなどといった独特のファッションスタイルも見られ、ことさら非日常性を演出する傾向が見られる。日本では俗に「緊縛」と呼ばれる縄で縛り付ける行為も見られ、この緊縛にも「緊縛師」と呼ばれる専門家が存在するなど独自文化も形成しており、いわゆる「ソフトSM」と呼ばれる行為では「手を(軽く)縛る」や「目隠しをする」といったプレイも見られ、それを含めると潜在的愛好者層は相当数にのぼると見られている。日本では羞恥プレイや緊縛プレイといったジャンルのポルノ媒体も相当な比率を占め[要出典]、同愛好者層の幅の広さも伺える。

なお性的サディズムの傾向はドメスティックバイオレンス(DV:配偶者からの暴力)という悲劇的な状況も発生させうるが、いわゆる性風俗におけるSMでは双方同意のうえで「叩いたり、叩かれたり」といった行為が行われ、また深刻な負傷を発生させないよう抑制された暴力または工夫された擬似的暴力であるといった相違がある。

その一方で、いわゆる「ハードSM」と呼ばれるものでは「鞭打ち」や「ロウソク責め」、性器ピアスを取り付け乱暴に引っ張る・性器が原形を留めないほどに弄り回される(身体改造の歴史的背景を伴わないものの類)などのプレイの分野もある。

語源

サディズム

加虐嗜好であるサディズム(Sadism)については、サディズムに関するさまざまな描写をした小説を書いたマルキ・ド・サドが、サディズムの語源とされる。当然サド以前にも、加虐嗜好の人は存在したはずであるが、数々の小説作品(『悪徳の栄え』、『ソドム百二十日』など)を発表しSM行為を実践した彼が由来となった。

マゾヒズム

被虐嗜好であるマゾヒズム(Masochism)は、19世紀のオーストリアの小説家ザッヘル・マゾッホの作品のテーマから彼の名をとって命名されている。

拡大解釈

しばしば性的ファンタジー的な視点も手伝って、いわゆる「S」や「M」といった俗称もみられる。これは性風俗のイメージから切り離され「性格パターンを表わす一般的用語」として広まっているためであり、例えば「S」は粗暴な性格や他人に暴力的に接する傾向が、「M」は自罰や自己犠牲・悲観的性格と関連付けられている。こういった視点の延長には「S男」ないし「S女」、または「M男」ないし「M女」という表現もあり、性行為に限らず「その人の性格や、日常生活における行動全般」に対しても、これらの表現が用いられている。例えばS側は積極的かつ活動的である者を指し(いわゆる「攻め」)、M側は受動的で、ともすれば相手が欲求すれば無条件で応じ易い(いわゆる「受け」)傾向があるとみなされる。 ただこれらも、サディズムやマゾヒズムの原義における対象に虐待する側と自身への虐待を希望する側という存在とは別のものであり、こういったステレオタイプにはありがちな問題として、実際には必ずしも全てに合致する訳ではないという部分を含んでいる。

行為

主人の役割を演じる者が、奴隷の役割を演じる者を責める方法には、文化的・民族的な趣味嗜好の違いがある。道具や準備が簡単な方法では、主人の役割を演じる者が、奴隷の役割を演じる者を叩いたり、つねったりして肉体的に責める、または罵倒する。むちやろうそく、ロープなどの道具を使って奴隷の役割を演じる者を肉体的に責める方法もあり、この場合は道具を事前に揃えたり、器具を配置するなどの準備が必要である。日本では、古くから伝わる緊縛の技術が、SMの行為によく取り入れられている[要出典]。SMにおける緊縛とは、奴隷の役割を演じる者の体をロープなどで縛って身動きがとれないようにすることである。

SMの行為を行なうときに、必ずしも裸になる必要はない。コスプレを好む者は、あえて着衣で行う場合もある。

痛い責めのほか、精神的な恥辱を与える責めもある。主人の役割を演じる者が、奴隷の役割を演じる者を罵倒するような言葉によって相手を責めることがある。奴隷の役割を演じる者に、普段なら人前では見せないような、羞恥心を煽る恥ずかしい恰好をさせることがある。奴隷の役割を演じる者に、排泄をさせたり、主人の役割を演じる者が奴隷の役割を演じる者に向けて尿をかけたり、尿を飲ませたりすることがある。第三者に行為の様子を観覧させることがある。

SMの行為において、主人の役割を演じる者が奴隷の役割を演じる者に対して行為を施すことを調教になぞらえて呼ぶことが多い。(以下略)

SM - Wikipediaより)

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ヒィ~ヒィ~女王様、世界は倒錯した関係性によって保たれていたのだった。

ヒィ~ヒィ~女王様、もう今日で最後。

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「大島幹事長の顔、怖すぎ」 自民若手が面前で批判(朝日新聞) - goo ニュース

顔がこわい――。自民党の大島理森幹事長が3日、党本部で若手と懇談して党再生策を尋ねたところ、面と向かって思わぬ批判を向けられた。

「幹事長の顔が怖すぎる。ちょっと演技がかっていて信頼感を失うので直してもらいたい」と迫ったのは、当選2回の平将明氏。大島氏は「気をつける」と素直に応じ、終了後に記者団にも「これからは笑顔でいないと。何でも言えるってことが大事」と笑顔を振りまいたが、周辺は「しばらく慰めなければ……」。

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女王様、コワイ。