太った中年

日本男児たるもの

永山則夫

2009-10-13 | weblog

永山則夫連続射殺事件(ながやまのりおれんぞくしゃさつじけん)とは、1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、ピストルによる連続射殺事件である。警察庁による名称は「警察庁広域重要指定108号事件」である。

*****

裁判

永山則夫は、犯行当時19歳の少年だったが、犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされる。

10年を費やした1審の審議では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、2審の東京高等裁判所では、心境の変化(下記参照)家庭環境・生育状況が劣悪であった事、配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。

しかし、検察側はこの判決が欧州の死刑制度廃止への潮流に乗った、現行制度の変更への道筋と考え最高裁へ上告し、事件は死刑制度への審判の様相を呈した(差し戻し判決まで死刑制度は現実的に停止した)。最高裁は1983年に東京高裁の判決を破棄して、東京高裁に審理を差し戻し、1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」と判断して、死刑判決が確定した。

獄中での心境の変化

一審頃まで

永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。

二審頃まで

その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」といった趣旨の発言をしている。

差し戻しから死刑確定頃

差し戻し審で無期懲役が難しくなると一転して1審のような国家権力に対する発言に変わったが関係者の話では1審のような迫力はなかった。また拘置所で面会に訪れた人に対して社会に出た時の話をしなくなった。弁護士に対して「生きる希望の無かった人に生きる希望を与えておきながら結局殺す。こういうやり方をするんですね」といった趣旨の発言をしたとされる。

死刑執行

永山則夫は、1997年8月1日に東京拘置所において死刑を執行された。享年48。

死刑執行の署名をした法務大臣は松浦功。親族は遺骨の引取りを拒否し、弁護人の遠藤誠が引き取った。遺骨は本人の遺志でオホーツク海に散骨された。

*****

手紙

永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。また永山は返信する文面を写していたため遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。

*****

永山基準

この事件以降殺人事件において死刑判決を宣告する際は、永山判決の傍論である死刑適用基準を判例と同等に参考にしている場合が多く、永山基準と呼ばれその影響力も大きい。1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。

1.犯罪の性質

2.犯行の動機

3.犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性

4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数

5.遺族の被害感情

6.社会的影響

7.犯人の年齢

8.前科

9.犯行後の情状

余談だが、傍論の効果や是非について議論される時には、永山基準が参考にされる事が多い。

殺害された被害者の数

この判例以降、4人以上殺害した殺人犯に対しては、裁判所が被告人の犯行時の心神耗弱・自首を認定して無期懲役に減刑して判決をした事例(1980年の新宿西口バス放火事件(6人殺害)、1981年の深川通り魔殺人事件(4人殺害)や地下鉄サリン事件の林郁夫の例)を除けば、裁判所は原則としては死刑判決を適用している。

また、1人だけを殺害した殺人犯に対しては強盗や身代金目的誘拐など金銭目的ではなく、殺人の前科がない場合は、死刑判決を回避する傾向が長らく続いてきたが、近年は厳罰化の世論の影響で、被害者が1人であっても死刑判決が確定されるケースが見られるようになった(三島女子短大生焼殺事件、奈良小1女児殺害事件、闇サイト殺人事件など)。

(以上、永山則夫連続射殺事件 - Wikipedia より抜粋)

一昨日、NHK-ETV特集「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」を観た。半分寝ながらでよく覚えていないからアレなんだけど、永山の心境の変化を獄中結婚した妻(坊主頭のミミさん)のインタビューを中心にした番組構成。つまりは永山寄り=死刑廃止論がNHKの意図するテーマなのは明白。

実は死刑制度に対する存廃問題について避けて通りたい鬱陶しい問題だと常々思っていた。

それは「永山基準」から分かるように裁判の死刑判決、刑の量定ってのは相対的なものだから。

ところが共同体はその時代のパラダイムに基づいて絶対的な死刑判決を下す。だから欧米の裁判員制度導入はイヤだってのはズーと前にエントリーした。ただ、死刑制度を廃止する欧米人権派思想に反対かと言えばそうでもない。一旦犯罪者となればロクな裁判もしないでバカスカ死刑にする中国共産党はオゾマシイ。でも日本の死刑制度廃止の人権派は中国の人権問題には言及しないだろ。日本男児たるものこうした政治の泥沼には関わりたくないのが本音だっつーの。

*****

さて、ミミさんはフィリピン人の父親、日本人の母親を持ち沖縄で生まれ、永山同様親に捨てられた。アメリカ在住中に「無知の涙」を読んで永山と獄中結婚。番組では眼に涙を浮かべ言葉を選んでいた。

獄中結婚なんて被害者家族の気持ちを逆撫でする売名行為だと思いきや、ミミさんの場合は妻となって一緒に被害者へ贖罪する心を持っていた。頭デッカチの左巻き人権派女性弁護士とはエライ違い。

「生きる希望の無かった人に生きる希望を与えておきながら結局殺す。こういうやり方をするんですね」

ミミさんには永山に「人に生きる希望」を与えた責任があると自覚していた。番組の印象はこんなところ。NHK-ETVにしては珍しくいい番組だったけど、如何せん眠かった。惰眠を貪る中年は太るのだった。

 

訃報

軍事評論家の江畑謙介氏死去 湾岸戦争をテレビ解説(共同通信) - goo ニュース

湾岸戦争のとき特異な髪形で彗星の如く現れた江畑さん。60歳とはまだお若い。お悔み申し上げる。