太った中年

日本男児たるもの

中川氏急逝

2009-10-06 | weblog

気分障害を患って自滅したという点で、安倍氏と中川氏は共通している。

中川昭一元財務金融大臣の突然の死のニュースが流れましたが、自殺だか事故だかまだよく分かりません。しかしイタリアサミットでの泥酔記者会見からわかるように、酒か薬物による中毒状態ではなかっただろうか。それ以前にも中川大臣は二日酔いの状況でテレビに出ていた事があるし、麻生内閣で大臣を拝命した時も酒を断つことを約束していた。

中川氏は鬱病とは言わないまでも気分障害を逃れる為に酒が止められなかったのかもしれない。それが酷くなってアル中状態になってしまったのかもしれない。酒席で酔うのは当たり前のことですが、仕事の最中でも酒を飲むというのは明らかにアル中だ。酒を飲まない時は鬱状態がぶり返して酒に手を出す。その繰り返しで止まらなくなる。

大臣ともなれば重責でありストレスとの格闘の毎日になる。安倍元首相も元々胃腸が弱かったのが、首相になってストレスにより胃腸障害が重症になって辞任しましたが、政治家というものは肉体的にも精神的にも非常にきつい仕事であり、世襲で仕事が務まるような仕事ではない。普通の議員なら何とか務まっても、大臣や首相ともなると二世議員ではひ弱さが出てきてしまう。

欧米では二世議員はほとんど見かけませんが、仕事が過酷でありとても息子や娘には継がせられない職業だからだろう。ところが日本では二世議員がどんどん増えてきて自民党では51%が何らかの意味で世襲議員だ。自民党は万年与党であり政権を維持するには議員が引退しても息子に継がせることが一番適当だったのだろう。

長期政権が続けば官僚たちも政権与党に組み込まれて、大臣がやるべき仕事でも官僚たちがみんな用意してくれて能力が無い議員でも大臣が務まってしまう。国会答弁も前日に官僚たちが聞いてくれて答弁のアンチョコが製作される。だから年功序列で大臣になり出世して行く。普通なら政権交代が起きて与党と官僚との関係も断ち切られるのですが日本は長期政権が続いた。

安倍首相にしても福田首相にしても二世議員のひ弱さが出てしまったのであり、麻生首相も首相になって能力不足を感じさせてしまった。首相ともなる人は権力闘争を勝ち抜いてきた国会議員がなるべき地位であり、人気投票で選ばれた人がなれる職務ではない。しかし自民党内は二世議員ばかりになってしまって、人材不足を露呈してしまった。

中川昭一議員も一議員なら何とか務まったのでしょうが大臣ともなると二世のひ弱さが出てアルコール依存症になってしまった。世界に醜態を晒して自民党が野党に転落する原因の一つを作ったとも言われますが、本人も選挙で落選して、順風満帆だった人生で始めて大きな挫折を味わった。叩き上げの議員なら一度や二度の落選でもここまで落ち込む事はなかっただろう。

議員の世襲が是か非かと言う問題よりも、議員という過酷な仕事が世襲できる事の方が異常なのであり、本人はもとより選挙区の有権者も先代の息子さんだからという事で議員を継がせるのは国の為にも良くない。中川昭一氏の死は残念な死でもありますが、アル中になった段階で周囲の人が国会議員を辞めさせるべきだったのだ。中川氏の死は自殺に近い病死だ。

民主党政権になって民主党の各大臣も職責の重圧と戦っている事だろう。鳩山首相も岡田外務大臣も席が暖まる閑がないほど海外を飛び回っている。前原大臣もダム問題からJALや沖縄に至るまで問題が山積している。長妻厚生大臣も待ったなしの問題を抱えているが、官僚を敵に回して仕事が出来るのだろうか? 本来は官僚を敵に回しても政策を貫き通すのが大臣の仕事ですが、二世議員内閣といわれた麻生政権では公務員制度改革は当然無理だ。

自民党は政権奪取のためには議員を総入れ替えするくらいの出直しが必要だ。中川昭一氏も国会議員を引退して第二の人生をスタートすべきだった。支持者の中には首相になるべき人だったという人もいるが、アル中では国政は任せられない。死因はおそらく薬物の大量摂取だろう。鬱病の苦しさはなった人でないとわからないのであり、ひ弱な二世は国会議員になるべきではない。

(以上、株式日記 私のコメントより)

上記は株式日記トラちゃんのかなり手厳しいコメント。アル中ってのは何らかの精神障害とセットであり、中川さんも精神が病んでいたのだろう。中川さんで思い出すのは例の「もうろう」会見の他、拉致議連会長として会合で横田夫妻と同席したとき、涙を流して拉致被害者救済を訴えたこと。繊細で心優しき愛国者なんだけど政治家個人の資質として問題があると思った。そのニュースは当然北朝鮮も監視しているワケで、つまりは北朝鮮に鼻で笑われるだけだ。安倍さんも拉致問題には積極的に取り組んだけれど、結局、何ひとつ進展しなかった。やはり政治家は肉体及び精神がタフでないと務まらない。死んでしまったら何もならないのだ。

 

「これからも生きていく、私は生きていく」 鈴木宗男

 

報道関係者から9時50分過ぎ、中川昭一さんが亡くなったらしいという連絡を受け、直ぐ別の報道関係者から亡くなったと伝えられる。

10時過ぎるとテレビ、新聞等、マスコミ関係者から取材要請があり11時過ぎ札幌事務所でインタビューを受ける。

「ただただ驚き、びっくりで言葉もない。何という事か。私と中川さんについては、昭和58年の最初の選挙で骨肉の争いとか、確執とか言われたが中川一郎先生は世襲反対論者だったが息子さんが出る以上、息子さんの事を心配されたであろうし又、私の事も心にかけてくれたと思う。だから私は二人当選することが天国の中川一郎先生に報いる事だと思いながら戦った。その証拠に中川一郎先生の弟さんが後援会長もして下さり、ご兄弟も応援してくれた。中川一郎先生の議員会館にいた秘書仲間も全員私の元に駆け参じてくれた。お陰様で2人共当選出来て私は何よりだったと思った。

私は中川昭一さんに対しては堪えずお仕えした人の息子さんという思いで接してきた。その最大の証(あかし)、出来事は平成7年中選挙区制から小選挙区制になった時、中川昭一さんは十勝、今の11選挙区を希望した。私も十勝生まれ、十勝育ち、ましてや先祖の墓もある生粋(きっすい)の十勝っ子である。中川さんは東京生まれの東京育ちだ。私にもこだわりがあったが釧路根室管内に国替えをし中川さんに譲ったものだった。
 
あの時、コスタリカ方式で残ることも出来たが私にはやはり、お仕えした人の息子さんの強い意向というものを尊重しなくてはという思いにかられた。いつも私はその事を胸に刻みながら接してきました。こんなにも早くお別れするのなら一度ゆっくりいろんな話をしたかったと叶わぬ事とはいえ今、とっても残念でなりません」と話させて頂く。
 
中川昭一さんのご冥福を心から祈るのみである。
 
人生何があるかわからない。失望や挫折はついてまわる。自分の計算通りにはいかない。私自身十分経験し天国と地獄をみてきた。しかし私は正直に、信念を持って生きてきた。これからも生きていく。
 
改めて政治の世界が厳しいものだと実感する。
 
私には松山千春さんはじめ変わらざる後援者、秘書スタッフ、何よりも家内はじめ家族の支えに心から感謝するものである。今、生かされている事に感謝しながら与えられた環境で精一杯生きていく。
 
「生きる事が辛いとか 苦しいだとかいう前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」
 
松山千春さんの名曲「大空と大地の中で」のフレーズを頭に刻みながら私は生きていく。

(ムネオ日記より)

心を打つ弔詞、ソウルフルなメッセージだ。