太った中年

日本男児たるもの

核議論

2009-04-16 | weblog

「小沢党首、核武装可能と中国けん制」  
 
自由党の小沢一郎党首は6日、福岡市内で講演し、
軍事力増強を続ける中国を批判して
「あまりいい気になると日本人はヒステリーを起こす。
核弾頭をつくるのは簡単なんだ。
原発でプルトニウムは何千発分もある。
本気になれば軍事力では負けない。そうなったらどうするんだ」と述べた。

-以下略-

(以上、2002/4/6 日経新聞より引用)

核問題を専門とする米シンクタンク、核管理研究所は9日、自由党の小沢一郎党首が「日本の核武装は簡単」などと発言したことについて「技術的には正確だが、政治的には危険である」との声明を発表した。

(以上、2002/4/9 時事通信より引用)

自由党時代、小沢さんによる中国への核恫喝発言とそれについて米国からお墨付きを頂いた輝かしい新聞記事。現実に不可能な核武装ではなくて核の民用技術を軍事転化へ仄めかした小沢発言が、実際の有効性は別として、よくも悪くも日本の核抑止力なのだ。宮沢元首相も似た発言をした。

核の歴史を振り返れば米国が日本へ原爆投下したのが最初で最後になって、以後、核攻撃がないことは歴史の事実である。戦後の米ソ冷戦下、核軍拡を経て核軍縮、核拡散の時代になって現在に至るまで核攻撃はない。とどのつまりは対立する核保有国の間で核恫喝の応酬をしていただけだ。

つまり、核戦争とは核抑止力によって実際の核攻撃が封印されたメタレベルの情報戦に他ならない。したがって核議論は核という物質よりも国家精神や戦略、理性、言葉に優位性を置いた観念論である。小沢さんはそれがよくわかっていて核武装は政治的、軍事的に無意味だと反対しているのだろう。

核抑止力によって核弾頭を装着してミサイル発射してはイケナイのが人類の掟。核議論はAV鑑賞しながら発射禁止のオナニ=072をするようなもので、いくら妄想に耽って手でシゴイても永遠に終わることはない。実体性がないことを前提に実体性について議論するジレンマは空しく徒労だ。少し下品だったかな。

核抑止 - Wikipedia