茨木童子という鬼がいますね。
大江山の酒呑童子の家来で羅生門もしくは一条戻橋でチョーシに乗ってたら渡辺の某に片腕切り落とされたり取り返してみたりな話で有名な方。その名の通り、大阪は茨木市にゆかりのある方なわけですが、近頃『大江山花伝』とか見たせいもありまして、ちと出かけて参りました茨木まで。
茨木さん、平家物語やら太平記やらで語られた上に能や歌舞伎の題材になったりと伝説界(?)では大変な有名人でありますから、全国各地に我が町こそは出身地と主張される場所も越後だのなんだのとあるようです。摂津・茨木に伝わるのは広く人口に膾炙しているタイプの話で、16ヶ月母親の胎内にいたあげく、生れ落ちたその時から歯は生え揃い髪もフサフサ、母親の顔を見てニタリと笑ったことからショックのあまり母死亡、父は九頭神村の床屋の前(モノによると茨木川の橋の下ともいいます)に童子を捨てた。子のいなかった床屋の親父は授かりモノとして童子を養育、童子は長じて父の仕事を手伝うも、ある日あやまって剃刀で客を傷つけ、とっさに流れる血を舐めた。その時の血の味が忘れられずにしばしば客を傷つけるようになった童子。ある時店の近くを流れる小川に顔を映し見ると、オノレの顔が鬼と化していることを知り、そのまま丹波の山奥へと逃げ去ってしまった、というもの。
JR茨木駅を降りて東に向かうとすぐにぶつかるのが茨木駅前商店街。どうやら童子をマスコットキャラにして地域活性化をはかろうとしてらっしゃるようでありますが、茨木童子って1人ですよと思わずツッこんでしまいたくなる感じの鬼の町的様相がなきにしもあらず。各種お店のシャッターや壁面には様々な童子くんが描かれ、結納屋さんには記念撮影用の顔出しパネルまである始末。や、なかなか楽しげでよいのですよ。
JR茨木駅側は市役所や裁判所なんかの官庁街があるもんだから当初はかつての中心地はこっちかと思いましたが、JR=旧国鉄の停車場周辺なんですから元々郊外だったと考えてよろしいわな。現在は埋設され公園となっている茨木川がJR茨木と阪急茨木市駅のちょうど中間あたりを南北に走っておりまして、それより東が旧城下町となるようです(茨木神社拝殿に懸かる江戸末期の絵図より確認シマシテョ)。川を渡ればぴたりと童子くんのイラストを見かけなくなってしまったのは・・・町の矜持の差だったりするのかしらw 旧城下町側は、随所に倉持屋敷があったり当て曲げの街路が見られたり、商店街には間口の広い呉服屋がでーんと構えているなど、実に風情のある街デス。
街の北に位置する小学校がかつての茨木城、その南の大手町をさらに南へ下がった新庄町にある茨木高校の東隣に、ひっそりとたたずむのが「茨木童子貌見橋」碑。今は川の流れもなく、よってもちろん橋もあるはずもない所ではありますが、2年ほど前に近くの某神社で禰宜をやってる友人に案内してもらったところによると川は随分前に埋められたようですね。ちなみにこの石碑は茨木高校の東門のすぐ前にあるわけですが、東門脇にはずいぶん唐突な感じに文久年間の銘がある石灯籠が立っております。この地が旧茨木川沿いの立地である上に城下町で城以外にかくも広い敷地を保有できるのは、と考えると、おそらくこの茨木高校の敷地には寺か神社があったんでしょう。さらに阪急駅前通りにせせこましく建つ東本願寺茨木別院を思うと、そちらさんの旧地だったんじゃないかしらとか思ったんですが。・・・知りませんけどねw、調べてないし。
で、まぁそんな辺りが茨木くんのいた床屋の近所ということになりますから、彼はそこそこの都会ッ子だったんだなぁと、山の暮らしはさぞかしキツかったことでしょうなぁと、思いを馳せたのでありました。橋の他にも、昭和のはじめ頃に刊行された『郷土研究上方』29号なんかが掲載するところによりますと、童子が育った家、てのも残っていたらしいんですがねw 探せば見つかるかもしれませんが、今回はわかりませんでした。

茨木駅前商店街、結納屋の写真パネル。

市民会館前のポストの上にいたメカ童子。

茨木童子貌見橋の碑。昭和50年建立。
次の予定がツマッテおりましたのでそそくさと茨木を後にし、向かいましたのは摂津国にあるもう一つの茨木童子出身地、兵庫県尼崎市は富松であります。阪急電車でトツトツと、武庫之荘駅から徒歩約10分にある、富松神社にお邪魔して参りました。
富松は東西に走る西国街道と南北に走る中山寺への参道が交差する辺りに位置し、海にも近く交通の要衝であったことから中世には両細川の乱などで幾度か戦火に見舞われた土地だったようです。茨木童子が富松の生まれであるとするのは『摂陽群談』(1701年刊の地誌)等で、こちらに伝わる童子の話を、神社の宮司さんにうかがうことができました。
生まれた時に歯は全て生え揃い髪はのびすでに赤子とは思えない姿だった童子、村の人々から忌み恐れられ、両親はこの子を捨てることを決意。父は幼い童子を背たろうて富松を後にしたものの、とはいえ我が子のこと、捨てるにしのびず思い悩んで西国街道を東へ東へ行くうちに、茨木まできたところでやっとの決心がついた。その頃ちょうど茨木を通りがかった酒呑童子、捨てる人あれば拾う鬼ありというわけで、茨木の地で拾ったから、茨木。と、あんちょくな感じに名前をつけ(まぁ妙に気の利いた名前にされても困りますケド)、おのが片腕となるまでに育てあげたそうな。
ここでどんとはれ、とはなりませんで話はまだまだ続きます。酒呑童子のもとで立派な(?)鬼になった茨木、ある日その妖力で故郷の両親が病に倒れたことを知ります。赤ん坊だったのに誰が捨ててそいつがどこに住んでるかまでわかる上に病気なことまでビビビとくるんだから茨木ちょうすげぇ。そんでまた捨てられた過去があるにも関わらずのこのこ見舞いにやってくるんですなこの童子わ。驚き喜んだ両親は、一目姿を見るなり病はたちまちに治り、童子を団子で饗します。さすが、捨てるまで尼崎→茨木の間(ゆうても22km程ですから徒歩一日とかかりゃしませんが)を悩んだ親だけに愛情があったんですねぇ。その後、茨木はもはや会うことはないでしょうと富松を後にし、二度と戻ることはなかったそうで。この時童子に団子をふるまった故事にちなんで、村では年に一度9月1日に「だんご祭り」をするようになったんですと。どんとはれ。
またえらいハートフルな童子さんですなと言うて終わりにならない面白さがありますでしょう。お話の後半はどう見ても、共同体外部からやって来た強力なモノ(疫神とか)を丁重に迎え饗して送りかえすという神事を原形としているわけで、それがモノ→鬼→茨木童子、な転化が起こっていることは一目瞭然。しかも富松神社に代表されるように、この辺りの神社のほとんどがスサノヲを祀っているといいますからもう疑いようのない感じですネ。
帰り途々、だんご祭が開催される西富松の須佐男神社に立ち寄ってきましたものの、こちらは9月1日にお邪魔しない限りはその楽しさが少々足りませんかなといったところ。某歌劇団にてこのたび晴れて初舞台をふむ生徒さん達の雄姿を拝むべく、ケツカッチンで富松を後にしたのでありましたー。

富松神社境内にあった絵馬型パネル。細川澄元と高国に見立てた牛が描かれているのは今年が丑年だからなだけで、町内で闘牛が行われているわけではありません。ちなみに行司なキャラは茨木童子とのこと。
大江山の酒呑童子の家来で羅生門もしくは一条戻橋でチョーシに乗ってたら渡辺の某に片腕切り落とされたり取り返してみたりな話で有名な方。その名の通り、大阪は茨木市にゆかりのある方なわけですが、近頃『大江山花伝』とか見たせいもありまして、ちと出かけて参りました茨木まで。
茨木さん、平家物語やら太平記やらで語られた上に能や歌舞伎の題材になったりと伝説界(?)では大変な有名人でありますから、全国各地に我が町こそは出身地と主張される場所も越後だのなんだのとあるようです。摂津・茨木に伝わるのは広く人口に膾炙しているタイプの話で、16ヶ月母親の胎内にいたあげく、生れ落ちたその時から歯は生え揃い髪もフサフサ、母親の顔を見てニタリと笑ったことからショックのあまり母死亡、父は九頭神村の床屋の前(モノによると茨木川の橋の下ともいいます)に童子を捨てた。子のいなかった床屋の親父は授かりモノとして童子を養育、童子は長じて父の仕事を手伝うも、ある日あやまって剃刀で客を傷つけ、とっさに流れる血を舐めた。その時の血の味が忘れられずにしばしば客を傷つけるようになった童子。ある時店の近くを流れる小川に顔を映し見ると、オノレの顔が鬼と化していることを知り、そのまま丹波の山奥へと逃げ去ってしまった、というもの。
JR茨木駅を降りて東に向かうとすぐにぶつかるのが茨木駅前商店街。どうやら童子をマスコットキャラにして地域活性化をはかろうとしてらっしゃるようでありますが、茨木童子って1人ですよと思わずツッこんでしまいたくなる感じの鬼の町的様相がなきにしもあらず。各種お店のシャッターや壁面には様々な童子くんが描かれ、結納屋さんには記念撮影用の顔出しパネルまである始末。や、なかなか楽しげでよいのですよ。
JR茨木駅側は市役所や裁判所なんかの官庁街があるもんだから当初はかつての中心地はこっちかと思いましたが、JR=旧国鉄の停車場周辺なんですから元々郊外だったと考えてよろしいわな。現在は埋設され公園となっている茨木川がJR茨木と阪急茨木市駅のちょうど中間あたりを南北に走っておりまして、それより東が旧城下町となるようです(茨木神社拝殿に懸かる江戸末期の絵図より確認シマシテョ)。川を渡ればぴたりと童子くんのイラストを見かけなくなってしまったのは・・・町の矜持の差だったりするのかしらw 旧城下町側は、随所に倉持屋敷があったり当て曲げの街路が見られたり、商店街には間口の広い呉服屋がでーんと構えているなど、実に風情のある街デス。
街の北に位置する小学校がかつての茨木城、その南の大手町をさらに南へ下がった新庄町にある茨木高校の東隣に、ひっそりとたたずむのが「茨木童子貌見橋」碑。今は川の流れもなく、よってもちろん橋もあるはずもない所ではありますが、2年ほど前に近くの某神社で禰宜をやってる友人に案内してもらったところによると川は随分前に埋められたようですね。ちなみにこの石碑は茨木高校の東門のすぐ前にあるわけですが、東門脇にはずいぶん唐突な感じに文久年間の銘がある石灯籠が立っております。この地が旧茨木川沿いの立地である上に城下町で城以外にかくも広い敷地を保有できるのは、と考えると、おそらくこの茨木高校の敷地には寺か神社があったんでしょう。さらに阪急駅前通りにせせこましく建つ東本願寺茨木別院を思うと、そちらさんの旧地だったんじゃないかしらとか思ったんですが。・・・知りませんけどねw、調べてないし。
で、まぁそんな辺りが茨木くんのいた床屋の近所ということになりますから、彼はそこそこの都会ッ子だったんだなぁと、山の暮らしはさぞかしキツかったことでしょうなぁと、思いを馳せたのでありました。橋の他にも、昭和のはじめ頃に刊行された『郷土研究上方』29号なんかが掲載するところによりますと、童子が育った家、てのも残っていたらしいんですがねw 探せば見つかるかもしれませんが、今回はわかりませんでした。

茨木駅前商店街、結納屋の写真パネル。

市民会館前のポストの上にいたメカ童子。

茨木童子貌見橋の碑。昭和50年建立。
次の予定がツマッテおりましたのでそそくさと茨木を後にし、向かいましたのは摂津国にあるもう一つの茨木童子出身地、兵庫県尼崎市は富松であります。阪急電車でトツトツと、武庫之荘駅から徒歩約10分にある、富松神社にお邪魔して参りました。
富松は東西に走る西国街道と南北に走る中山寺への参道が交差する辺りに位置し、海にも近く交通の要衝であったことから中世には両細川の乱などで幾度か戦火に見舞われた土地だったようです。茨木童子が富松の生まれであるとするのは『摂陽群談』(1701年刊の地誌)等で、こちらに伝わる童子の話を、神社の宮司さんにうかがうことができました。
生まれた時に歯は全て生え揃い髪はのびすでに赤子とは思えない姿だった童子、村の人々から忌み恐れられ、両親はこの子を捨てることを決意。父は幼い童子を背たろうて富松を後にしたものの、とはいえ我が子のこと、捨てるにしのびず思い悩んで西国街道を東へ東へ行くうちに、茨木まできたところでやっとの決心がついた。その頃ちょうど茨木を通りがかった酒呑童子、捨てる人あれば拾う鬼ありというわけで、茨木の地で拾ったから、茨木。と、あんちょくな感じに名前をつけ(まぁ妙に気の利いた名前にされても困りますケド)、おのが片腕となるまでに育てあげたそうな。
ここでどんとはれ、とはなりませんで話はまだまだ続きます。酒呑童子のもとで立派な(?)鬼になった茨木、ある日その妖力で故郷の両親が病に倒れたことを知ります。赤ん坊だったのに誰が捨ててそいつがどこに住んでるかまでわかる上に病気なことまでビビビとくるんだから茨木ちょうすげぇ。そんでまた捨てられた過去があるにも関わらずのこのこ見舞いにやってくるんですなこの童子わ。驚き喜んだ両親は、一目姿を見るなり病はたちまちに治り、童子を団子で饗します。さすが、捨てるまで尼崎→茨木の間(ゆうても22km程ですから徒歩一日とかかりゃしませんが)を悩んだ親だけに愛情があったんですねぇ。その後、茨木はもはや会うことはないでしょうと富松を後にし、二度と戻ることはなかったそうで。この時童子に団子をふるまった故事にちなんで、村では年に一度9月1日に「だんご祭り」をするようになったんですと。どんとはれ。
またえらいハートフルな童子さんですなと言うて終わりにならない面白さがありますでしょう。お話の後半はどう見ても、共同体外部からやって来た強力なモノ(疫神とか)を丁重に迎え饗して送りかえすという神事を原形としているわけで、それがモノ→鬼→茨木童子、な転化が起こっていることは一目瞭然。しかも富松神社に代表されるように、この辺りの神社のほとんどがスサノヲを祀っているといいますからもう疑いようのない感じですネ。
帰り途々、だんご祭が開催される西富松の須佐男神社に立ち寄ってきましたものの、こちらは9月1日にお邪魔しない限りはその楽しさが少々足りませんかなといったところ。某歌劇団にてこのたび晴れて初舞台をふむ生徒さん達の雄姿を拝むべく、ケツカッチンで富松を後にしたのでありましたー。

富松神社境内にあった絵馬型パネル。細川澄元と高国に見立てた牛が描かれているのは今年が丑年だからなだけで、町内で闘牛が行われているわけではありません。ちなみに行司なキャラは茨木童子とのこと。
しかし・・・茨木市、浮かれすぎ(笑)。
そんな、とんでもないですー
茨木市←大阪の中心部から電車で20分とかからない場所だというに、なかなか見れないベタな感じを拝見できたと思いマス(笑)。
>いつきの…様
富松神社宮司さん←そうですかお知り合いでしたか。とてもご親切にいろいろ教えていただきありがたかったです。
道饗祭←直感的に思っただけなんで、違うかもしれません・・・すいません(汗)。