お久しぶりの怪情報は、わが町四條畷の北西に位置する寝屋川市に飛び出してみましょう。何のことはありません、ワタシの職場が寝屋川にあるってただそれだけです。
「鉢かつぎ」というお話はご存知ですよね。
子どもに恵まれない長者夫婦が観音様の霊験によって女の子を授かる。観音様のお告げにより観音様がくれた鉢を頭にかぶせることになる。やさしいお母さんが亡くなり、いじわるな後添えに鉢かつぎ姫は家を追い出される。行くあてのない姫は川に身を投げるが、鉢をかぶってるせいで沈まない。どんぶらこっこと流れて行くうちに通りがかりの船に助けあげられるが、鉢をかぶった異様な姿に人々は姫をほおりだす(ひどい・笑)。道行く人々にも避けられる日々。全ての元凶・頭の鉢は、はずしたくてもはずせない。ようやっと貴人の家で住み込みで働くようになり、やがて親切なその家の息子(決して長男ではない)と心を通わせるようになるものの、姫の異様な姿にその結婚を誰もが反対。嫁くらべなるものをすることになるが、負けは目に見えてるさぁ逃げようと二人して家を出たところ、あら不思議、あれだけはずせなかった鉢がぽろりとおち(姫一人で逃げてって追いかけられもみあううちにとれたというのもありましたっけ)、中からは見まごうほどの美しい姫があらわれ、鉢からは金銀ざっくざく。晴れて嫁くらべにも勝利した姫は、末永く幸せに暮らしたのでした、というお話。
『御伽草紙』にもあって、わりに全国的な広がりを持つポピュラー民話なんじゃないでしょうか。ですからどこがオリヂナルだとかはよくは知りません。ですが、江戸時代に書かれたという『河州交野郡寝屋長者鉢記』では、この鉢かつぎの姫は河内国交野郡寝屋の長者・備中守藤原実高と摂津国鳴海里の芦屋長太夫の娘・照見の間に生まれた「初瀬」の話だということになっております(「初瀬」の名は子どもが生まれるようお願いし、かつ鉢をかぶせろとお告げした観音様が「長谷寺」の観音様だったから)。
そしてその河内国交野郡寝屋、というのが、寝屋川市東部に位置するわけです。交野郡というだけあって東隣の交野市との市境近くで、JR学研都市線「星田駅」から西へちょっといったところにあります。今も長者が住んでいたとされる地域には「堀ノ内」や「今屋敷」という地名が残っているそうで、長者の屋敷跡と言われるところは公園になっているらしいです。現在探し中でまだ訪ねてませんが(笑)。
とはいえ寝屋を流れるから寝屋川というのでありまして、「行くあてもなく」飛びこんだ川はやっぱり寝屋川でしょうか。だとしたら人生あきらめるのものすごく早いです、ご自宅から歩いて数分なんじゃないでしょうか。寝屋川はこの辺りの水運にはかかせない川だったと推察できますし、すぐに見つかって引き上げられたと思います。てことは姫さんがさすらい歩いた地域は、うちの病院付近も含まれるんでしょうかねぇ。
この鉢かつぎのお姫さん、寝屋川のマスコットキャラになってます(はちかつぎちゃん)↓。顔がかくれてませんよーという感じなんですが、首がないのは鉢の重さで体にめりこんだからでしょうか、その辺がちょっとリアルでよいと思います。

寝屋川市、鉢かつぎが大好きです。市の文化振興の場面ではいたるところにこの鉢かつぎ姫が活躍してらっしゃいます。市内の史跡や案内板はすべてこの鉢かつぎ姫の石像が持っておりますし、ウチの病院裏にはサイクルロード・鉢かつぎがはしります。こういった民話というか伝説というか怪異な話というかが市を代表しているというのはとっても楽しいことでして、わが町四條畷のマスコットキャラ「まさつらくん」(四條畷は楠木正成の嫡子・正行/まさつらがかの四條畷の戦いで高師直に敗れた地でありまして・・・太平記の時ちょっとだけにぎわいました・苦笑)なんかよりよっぽど素敵だと思います。
ちなみにこの場をお借りして化繊クンをはじめとする国文系の方に質問。
たとえばこんなふうに「鉢かつぎ」という話を追いかけたいなと思った時、国文の方々というのはまずどんな作業をされるのですか?我ら歴史学は・・・古代&中世の人間は、大日本史料やら史料総覧やら古事類苑、国史大辞典のあたりをのぞきに行くというのがだいたい定法なんですが。近世の方を含め、アレと思った次のアクションをどうとってらっしゃるのかというのを、ぜひお聞きしたいのです。
さてさて、町中に散在する鉢かつぎ姫の案内板をフと見ておりますと、なんと。うちの病院の近くに秦河勝の墓と伝えられる石塔があるとおっしゃる。えぇ、マジで(笑)?!・・・とよくよく考えてみればウチの病院の道を挟んで南側は秦町ですし、さらによぅ考えたら病院の住所は川勝町だったなぁ、と半年勤めてようやく気づきいたわけで(笑)。そういや河内にもいました秦氏が。というわけで、次回・怪情報は、寝屋川の秦伝説と参りましょう。

「サイクルロード 鉢かつぎ」の傍標と、背景の川沿いの柵に鉢かつぎの透かしが入ってるのがお見えでしょうか・・・。

寝屋川を案内する鉢かつぎ姫ちゃん。礎石には「ねや川 文化と歴史の道」。像の向かって左側をはしるのは、サイクルロード・鉢かつぎデス。
「鉢かつぎ」というお話はご存知ですよね。
子どもに恵まれない長者夫婦が観音様の霊験によって女の子を授かる。観音様のお告げにより観音様がくれた鉢を頭にかぶせることになる。やさしいお母さんが亡くなり、いじわるな後添えに鉢かつぎ姫は家を追い出される。行くあてのない姫は川に身を投げるが、鉢をかぶってるせいで沈まない。どんぶらこっこと流れて行くうちに通りがかりの船に助けあげられるが、鉢をかぶった異様な姿に人々は姫をほおりだす(ひどい・笑)。道行く人々にも避けられる日々。全ての元凶・頭の鉢は、はずしたくてもはずせない。ようやっと貴人の家で住み込みで働くようになり、やがて親切なその家の息子(決して長男ではない)と心を通わせるようになるものの、姫の異様な姿にその結婚を誰もが反対。嫁くらべなるものをすることになるが、負けは目に見えてるさぁ逃げようと二人して家を出たところ、あら不思議、あれだけはずせなかった鉢がぽろりとおち(姫一人で逃げてって追いかけられもみあううちにとれたというのもありましたっけ)、中からは見まごうほどの美しい姫があらわれ、鉢からは金銀ざっくざく。晴れて嫁くらべにも勝利した姫は、末永く幸せに暮らしたのでした、というお話。
『御伽草紙』にもあって、わりに全国的な広がりを持つポピュラー民話なんじゃないでしょうか。ですからどこがオリヂナルだとかはよくは知りません。ですが、江戸時代に書かれたという『河州交野郡寝屋長者鉢記』では、この鉢かつぎの姫は河内国交野郡寝屋の長者・備中守藤原実高と摂津国鳴海里の芦屋長太夫の娘・照見の間に生まれた「初瀬」の話だということになっております(「初瀬」の名は子どもが生まれるようお願いし、かつ鉢をかぶせろとお告げした観音様が「長谷寺」の観音様だったから)。
そしてその河内国交野郡寝屋、というのが、寝屋川市東部に位置するわけです。交野郡というだけあって東隣の交野市との市境近くで、JR学研都市線「星田駅」から西へちょっといったところにあります。今も長者が住んでいたとされる地域には「堀ノ内」や「今屋敷」という地名が残っているそうで、長者の屋敷跡と言われるところは公園になっているらしいです。現在探し中でまだ訪ねてませんが(笑)。
とはいえ寝屋を流れるから寝屋川というのでありまして、「行くあてもなく」飛びこんだ川はやっぱり寝屋川でしょうか。だとしたら人生あきらめるのものすごく早いです、ご自宅から歩いて数分なんじゃないでしょうか。寝屋川はこの辺りの水運にはかかせない川だったと推察できますし、すぐに見つかって引き上げられたと思います。てことは姫さんがさすらい歩いた地域は、うちの病院付近も含まれるんでしょうかねぇ。
この鉢かつぎのお姫さん、寝屋川のマスコットキャラになってます(はちかつぎちゃん)↓。顔がかくれてませんよーという感じなんですが、首がないのは鉢の重さで体にめりこんだからでしょうか、その辺がちょっとリアルでよいと思います。

寝屋川市、鉢かつぎが大好きです。市の文化振興の場面ではいたるところにこの鉢かつぎ姫が活躍してらっしゃいます。市内の史跡や案内板はすべてこの鉢かつぎ姫の石像が持っておりますし、ウチの病院裏にはサイクルロード・鉢かつぎがはしります。こういった民話というか伝説というか怪異な話というかが市を代表しているというのはとっても楽しいことでして、わが町四條畷のマスコットキャラ「まさつらくん」(四條畷は楠木正成の嫡子・正行/まさつらがかの四條畷の戦いで高師直に敗れた地でありまして・・・太平記の時ちょっとだけにぎわいました・苦笑)なんかよりよっぽど素敵だと思います。
ちなみにこの場をお借りして化繊クンをはじめとする国文系の方に質問。
たとえばこんなふうに「鉢かつぎ」という話を追いかけたいなと思った時、国文の方々というのはまずどんな作業をされるのですか?我ら歴史学は・・・古代&中世の人間は、大日本史料やら史料総覧やら古事類苑、国史大辞典のあたりをのぞきに行くというのがだいたい定法なんですが。近世の方を含め、アレと思った次のアクションをどうとってらっしゃるのかというのを、ぜひお聞きしたいのです。
さてさて、町中に散在する鉢かつぎ姫の案内板をフと見ておりますと、なんと。うちの病院の近くに秦河勝の墓と伝えられる石塔があるとおっしゃる。えぇ、マジで(笑)?!・・・とよくよく考えてみればウチの病院の道を挟んで南側は秦町ですし、さらによぅ考えたら病院の住所は川勝町だったなぁ、と半年勤めてようやく気づきいたわけで(笑)。そういや河内にもいました秦氏が。というわけで、次回・怪情報は、寝屋川の秦伝説と参りましょう。

「サイクルロード 鉢かつぎ」の傍標と、背景の川沿いの柵に鉢かつぎの透かしが入ってるのがお見えでしょうか・・・。

寝屋川を案内する鉢かつぎ姫ちゃん。礎石には「ねや川 文化と歴史の道」。像の向かって左側をはしるのは、サイクルロード・鉢かつぎデス。
えー。とりあえず当たり前ですが読みます。
御伽草子なら、大系、全集両方入ってると思います。それぞれ読んで注釈、解説参考にします。それからあとは人によりテキストにより違うと思いますが、
1.事典類に頼る(国史事典みることもありますし、御伽草子事典、ってのがあるはず)
2.基本論文探す(「~を学ぶ人のために」とか「~の講座」を参考にすることが多いです。)
3.専門論文探す(Webcatもさりながら、国文学論文検索に頼ること多々。便利すぎて年鑑見忘れたりするので反省。)
ってところが基本ではないかと…。こんなところでよろしいんでしょうか。逆にお聞きしたいのですが、日本史専門の論文検索ってないんですかね?
うつぼ船の伝承や秦川勝伝承とも含めて鉢かずきは一時期調べてましたでつ。
今は昔のお話ですが。
ワタシも大概半人前ですからねぇ(汗)。日本史専門の論文検索ですが、なんかそんなようなものの存在を聞いたことがあるような気がします・・・けどもアナロギーなワタシですからやっぱり『史学雑誌』の回顧と展望・・・?でも余計な論文が多すぎてですね、めんどくさがりなので、一番最近の5年ぐらい見て、見つけた論文からその人が引用してるのをさかのぼるという乗っかった探し方をしがちかもしれません・・・あーんど、書庫にこもってそれらしぃ雑誌を直接順番にパラパラめくって探してるかもしれません←だから読みモレが多発する上に余計に時間かかってんじゃねーかというウワサ・・・。
>屋敷紙さま
やーん、調べてたことあるんだ鉢かじゅき(←言いにくい・笑)!西蓮寺にねぇ・・・ふぅん。そのうち行ってみます・・・けど、ここにドカンと、お調べになったものを発表される気はございませんか(笑)?
びっちゅうのかみふじわらのさねたか
と
びぜんのすけふじわらのさねたか
「さねたか」ってどっかで聴いた音韻だとずっと思ってたら、こういうわけだったのね。
偶然なんだろうか。
屋敷紙さん、何かご存知でしたらこご教示賜われ。
吉田と芦屋と純友とが初瀬の観音にかかわるわけぇ?しかも寝屋川沿いは交野の地でぇ・・・近くは百済王氏の子孫が、室町時代までは確実に勢力もってた地域だぜい。で、禁野や牧には事欠かない所だし。
いろんな情報が錯綜するに相応しい所ですねぇ。
そういえば、藤原山陰は確か備前守を務めたことがありませんでしたか。
鉢かつぎについては確か保立道久さんが山陰流が「天の羽衣」に関わっていたことを指摘されていたと思いますが(いいかげんな記憶…もしかしたら違うかもしれません)、大阪つながりでいえば茨木市にある総持寺は山陰流の氏寺だったそうで本尊は千手「観音」でその創建は寺伝によれば山陰の父高房が大宰府から帰る途中(…ということは瀬戸内海を通過するわけですね)山陰が海におちて(淀川で助けたという)亀に助けられたことによるらしいです(『今昔』では山陰の子が落ちたことになりますが)。しかもこの本尊は遣唐使に依頼して購入した香木で出来ているというお話しもあるそうで、山陰さんといえば料理なんかを想像しますがどっちかというと船とか海に縁のあるお方に思えます。
あー、更に言えば山陰のお父さん高房の父藤嗣の姉妹は桓武天皇の妻であり、茨田(萬多)親王を生んでいるので…その線で百済王氏ともつながる…かな、そこまでいけば他人か。
川の身投げに重点を置いて、この地に残る同じように川から流れて来た川勝伝説との共通や、異形のものが水から、来る物語の共通点。桃太郎、一寸法師(お椀)=うつぼ船?
というような感じでどうなんだろーと言っていた程度ですです(汗)
あと鍋冠祭りと関連性とか・・・。
ちなみにこの地にある細屋神社は農耕の水利の神で秦氏と関連があるのだそうです。
あと、鉢記に出てくる首なし地蔵(身代わり地蔵)は妙光寺に祭られていますよ。
鉢かづき伝説コースhttp://www2.opas.gr.jp/neyagawa/gyousei/23/244/2450.htm
なんてのもあります。何時か温かくなった頃に皆さんと行く・・・なんて案はどうでしょう?
またいただいた情報を追いかけてみますねぇ。
鉢かつぎ伝説コースよいですね。ヨシ、皆さんで行きましょう。時期がくればきっちりシキらせていただきます。