怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.101 波をかしこみ淡路島(下)

2008年06月27日 23時56分02秒 | 怪道
最近なかなか上げれなくてどうもスイマセン。なんだかパソの調子が悪くてですね。突然電源が落ちたり、本体は起動していても画面が反応しないとかで使い物にならず。一文書くごとにバックアップをとる始末です・・・そろそろ寿命なのかしら、ヤだなぁお金ないのに(泣)。

というわけで、淡路島です。神話・伝承の旧跡といわれる場所をニヤニヤしながらめぐり歩くのが大スキというワタシが淡路島まで来ていかずにおくはずがない、南あわじ市はおのころ島神社に行って参りました。おのころ島。記紀神話の国生みのクダリで、大地の完成を命じられたイザナギとイザナミが天浮橋にたって天の沼矛で大地をかきまぜる、その時矛から零れ落ちたものが凝ってできた島です。二神は島に降り立ち、そこで国生みをし、我らが大八洲のクニができたわけですね。

おのごろ島だと言われる島は7ヶ所ほどあるようです。有名どころで言うと加太沖の友ヶ島や兵庫県の家島諸島、淡路島の南にある沼島あたりですが、本居宣長なんかは淡路町岩屋の絵島がそうだというし(『古事記伝』)、鳴門海峡の飛島だというのもあります。元禄時代頃活躍した碧湛なる僧は淡路島自体がおのごろ島なる珍説を出す(『淡国通記』)一方、この旧三原郡三原町にある「おのごろ島神社」の場合はその立地からしてなかなかオツ。

神社周辺は、まぁものの見事にペタンとした平地です。そんなところに突然ポコンとあるから当初は古墳かぃなと疑ったんですが、周囲を歩いてみるとそれにしては形がなってないかなぁと思われ、まぁ自然の丘陵だと思います。現在の海岸線は西に4キロほど行った先とはいえ、かつてのこの付近はおそらく海中、そこにぽつんと、幅50m程度、高さも2~30mがいいところな丘がある。浅瀬に浮かぶ小島という観があったことは間違いないわけで、それが淡路島にあったであろう巨大な内湾にすっぽり抱かれる具合にあるわけですから、おのころ島、という発想はなるほどうなずけるところがありますナ。


おのころ島神社。巨大な鳥居はなんでも日本三大鳥居だそうで。

「日本の原点を省みて将来の日本を考える、人々に、とって忘れることのできない尊いお社(読点ママ)」であるそうです。といいつつ、辺見えみりがキム兄との結婚前にここでお守り買ったてことで有名になったせいで、その手のお守り購入希望者にとって忘れることのできない尊いお社になってます。結婚だけに特化するならまぁよろしいでしょうが、イザナギとイザナミ祀ってるとこに後の末永いシアワセまでお願いしてはいけませんてことを見事に証明された感じですネw 摂社の八百萬神社とかもぅ、ナニそのどうしたらいいのw?な名前の神社があったりですね。え、そういう意味では大変楽しめるお神社でございますョ。

また鳥居前の観光地図眺めてたら、駐車場内の無人販売所で買ったタマネギ思わず落としそうなことが書いてあるわけです。

天の浮橋 西へ400m
葦原国  西へ800m

・・・オイw 浮橋ってここは高天原かとか、そもそも葦原国ってナニw とかもうどこからどうツッコんでいいか・・・いや、ツッコむ気力もないし、もういいよねw というわけで、「スイマセン、葦原国はどこですかー?」て聞いてる自分が何かガンダーラとかを目指してるヒトみたいよねなんて思いつつ、それならそこを左にまがって、と説明してくれる親切な土地の方。あぁこれだからやめられないんです伝説めぐり。葦原国は、田んぼのど真ん中で木が数本立ってる下に径2mぐらいの沼っぽい水辺に葦とか植えてあって、その脇に鳥居と石碑が立ってるようなところでしたョ。

といいますのも不届き千万なキモチでシャッターを切っていたせいか、ここから十数枚分、デジカメからデータが消えるという不幸にあいましてorz 帰宅後に大般若経を転読してみたりしましたが(←ウソつけ)願いは聞き届けられず、よって上の二つの様子はおのころ島神社公式ホームページ掲載の写真で我慢してください(→コチラ、うーんと下のほうにありますので)。葦原国、今はこれほど木は茂っておりません。

さてさて、イザナギ・イザナミのお二人が一番シアワセだった頃を過ごされた場所をあとにし、向かうは熟年離婚後のイザナギさんが鬱々とお過ごしになったであろう幽宮・伊弉諾神宮へ。ここがもう・・・なんていうか、どうしてくれようという神社でありましたw

旧津名郡一宮町にあるこの神社はその地名からもわかりますように淡路国一宮。イザナギがこの地にカクレたとするのは日本書紀で、古事記の方は近江の多賀としておりますのは皆さまもご存知の通り。カクレノミヤとは絶妙の言い回しで、この神社は郡家港から郡家川沿い(河口に蛭子神社がありましたョ)に遡って山地に入ったすぐの所、山に囲まれた中にあるんですね。まさにカクレてるというかヒキコモッてる感じです。神社の鎮守の森の裏手にはその郡家川が流れてるわけで、ここで毎日カラダ洗ってたんじゃないかしらと邪推したくなっちゃいます。社殿は変形型の神明造かなというところでしたが、現在のこの社殿は明治に入ってからのようですのでその辺はご注意ください。

参道を歩いていると謎の巨大な日時計が・・・と思ったら、「陽の道しるべ」と書かれた、すなわちレイライン信奉者な宮司サンによるオブジェなわけです。イタ車ならぬイタ社。気を取り直して二の鳥居の内側へ入ると、そこはちょっとした現代神話の狂気うずまく地でございましたw まず、ナヤミムヨウのリ○ブ21の碑があるんです。ワクワクしながら案内の碑を見たら、「髪はカミと訓じ、神や上に通ずる語彙です(略)ここに髪に宿る生命の尊さを伝えてきた日本特有の精神文化(えw?)を継承し、(略)頭髪感謝の赤誠を捧げる(原文、旧仮名遣い)」。わははははは。笑ったところで、なぜに他でもないナヤミムヨウが選ばれたのかはよくワカリマセン。

目を転ずれば夫婦大楠と呼ばれる大樹が石築地に囲われてたっており、その根元には小祠が。なんでもこの夫婦大楠、イザナギとイザナミ、そしてなんと小祠に祀られているのはヒルコだとおっしゃる。しかもこの3セットで「夫婦円満、子授け、子育てに霊験あらたかと崇敬」されている・・・っておかしいからソレw ヒルコは最初に産まれたとはいえ「失敗w」て流されたお子さんですね。絶対、子授けにも、子育てにも効きませんから。そしてイザナギとイザナミが夫婦円満とは・・・記紀読破を志せば挫折する前にすぐ、そのスサマジイ別れっぷりに出会えますことウケアイ。イザナギさんは桃の実とか投げて必死こいてヨメから逃げ帰ってくるわけです、別れたヨメの居場所を「いなしこめしこめき穢き国」とかいうしね(←この言い回し好きらしw)。それに関わるんでしょう、神社の絵馬は桃の実。そうまでしてイヤがってるのに、本殿に祀られるはイザナギ・イザナミの二神(ヨメの合祀は昭和7年)。・・・かわいそうだと思わなかったんでしょうかwww

とりあえずお正月には大変多くの方が参拝するにぎやかな神社になるそうです。よかったね、イザナギさん。


淡路のヒトは少々クチは悪いんですが(スイマセンw)、ワタクシがぼんやり立っていると何かと話しかけてきてくださる、とってもフレンドリーで親切な方が多く、あやうくウチの息子のとこにヨメに来てくれなんて勧誘を受けたりするほどで。淡路島、さすが日本発祥の地だけに、タヌキとタマネギだけじゃありませんね。

拍手喝采して帰路についた旅だったのでしたw



陽の道しるべオブジェ。


ナヤミムヨウの「頭髪感謝」碑。


夫婦大楠と大楠大明神・ヒルコ。


あっちいけバカヤロ、な桃絵馬。


伊弉諾神宮、本殿にございます。