とある学会に参加してきました。
発表もしました。
持ち時間8分、質疑7分のところ、
全部で、23分もかけてしまいました。
その時、司会でもあったので、
非常に恥ずかしかった・・・昨年妻が発表したときは原稿を作り、
きっちり8分、
教授から、「来年は原稿を作ってきて、修行しましょう!」と
おっしゃってくれました。
主催の教授は、非常に優しい方です。
都合がつく時、我が子のIEPミーティングにも参加してくれます。
今回の学会で気づいたことを少し愚痴ります。
今回の発表の中に「構造化」という言葉が出てきました。
(私もその一人ですが・・・)皆さん、勘違いしているように感じました。
参考となる本を見て、
それをまねて、
パーテーションを作りました、写真を使いました、スケジュールを作りました。
など、などそこで何も考えない私は、
いつもどおり、「アセスメントはどのように行ったのですか?」とたずねる。「特に行っていません」的発言・・・・
「なんじゃーそれー!」と心で怒鳴りながらマスクをして表情に出さず、
「わかりました」と答える自分・・・・
一人だけ、初めての特学担任なのに、素晴らしい取り組みの方がいらっしゃいました。
もちろん、○○附属養護の先生や私の知人の数名は
私が教えて頂きたい方々はなので、別格です!
アセスメントなしで、なぜ構造化が出来るのでしょう?
それは、本人の構造化ではなく、
支援者が考えた、環境の整理であって、
それで、構造化がだめだとかの評価に結びつけて欲しくない・・・
以前、「TEACCH」の事を学びもせず、
絵カードは・・・、構造化なんて社会はそんなに環境を整えられない・・・
などと、根底にあることを無視して、否定非難されます。
そして現在、非難していた組織?方々が、「構造化」ということを奨励しています。
それはある意味良いことであのですが、
「構造化」を広めるアプローチを間違っているように思います。
事例をまねるという形(手法)から入っているようで、
本人にあった環境等の整理という意味を無視しています。
支援者だけが納得している「エセ構造化」(それと支援者)がだめなのを
「構造化」や本人の性にして欲しくない!
言葉とは難しいもので、
それぞれが理解している物よって
同じ言葉でも違うように受け取られます。
相手のバックボーンを理解しないと
間違って理解されてしまうことを痛感させられました。
「構造化」の誤解は、今後も続くでしょう・・・
みなさん、しっかり勉強しましょう!!
私も勉強します・・・
長くなってしまった・・・仕事に遅れる・・・
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