〇拡散宜しく《死んでも死にきれない思いの方々へ》
■昨日、久しぶりに郵便受けを空にしてきました。
受け取れず戻った宅急便とか郵便がかなりありましたが、
お手数をおかけして申し訳ございませんでした。
お手紙は、病院に持ちかえり拝読させていただきました。
その中に
『靖国神社崇敬奉賛会:平成二十九年度:講演記録集』を送ってくださった方がおり、
講師が私が尊敬していたアナウンサーの鈴木史郎氏でしたので
熟読させていただきました。
そこから一部抜粋させていただきます。
鈴木史郎氏が大分で本人に訊いたエピソードです。
《…その仲間曹長が、リョウヨウ川が中国にあります。
川幅百メートルぐらいの大きな川ですが、両岸で川を挟んで
日本軍と中国軍が銃撃戦を激しくやりました。
その銃撃戦のさなかに、何と日本側の川岸から中国人の一人の少年が
川に飛び込んで一生懸命向こう側に行こうと、
つまり向こう側に自分の村があったのでしょうね。
びっくりしました。
中国兵は少年を助けようと必死に撃ってきます。
日本兵は少年に当たらないように弾を上に向けて撃っている。
みんなは撃ちながらかたずをのんで見ていますと、
少年が川の中ほどに行って力が尽きたのか、かなり流れの強い川ですから、
おぼれたのです。
それを見た日本の仲間曹長が何と軍帽を脱ぎ捨て、それから帯剣を落とし、
靴を脱いでザブンと飛び込んで、抜き手を切ってその少年のところに泳ぎ着き、
その少年を敵陣の向こう側に送り届けて、少年のほうをたたいて、
「ほら、行け」。
少年は「謝々、謝々」と言いながら転げるように村のほうに行きました。
その間もちろん銃撃戦はぴたっととまっておりました。
もし戦争がなかったら両岸から大拍手だったでしょうね。
そのまま銃撃戦のないところを仲間曹長は帰ってきた。
「おまえ、何でそんなことをしたんだ」とびっくりして隊長が尋ねましたら、
「私は大分で、水錬でかなり大分の海で鍛えましたので、見捨てておけません。
少年がおぼれるのを私は見捨てておけなかったのであります」これが日本兵です。
こういう行いが中国全土で、いろいろなところで行われておりました。
中国人を助けていた。
それが先ほど申しましたように、日本兵はやさしい、助けてくれる、役に立つ、
日本兵が来ると中国兵が逃げてくれる。
だから日本兵が来たら助かった。拍手と歓迎だったのです。
これは、今、第一次史料の写真集として日本の書店で売られていますけれども、
水間政憲さんという方が集めた写真集にも、
私の記憶と全くぴったりする拍手で迎えられる日本兵の姿がいっぱい載っています。
もしチャンスがありましたら書店でごらんください。……》と、
鈴木史郎氏は「ひと目シリーズ」を評価くださっていて光栄です。
鈴木史郎氏が「拍手で迎えられる日本兵の姿がいっぱい載っています」と、
紹介された「ひと目シリーズ」は、
『ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍』と
『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』の二冊だと思います。
小堀桂一郎先生にも高く評価いただいた「ひと目シリーズ」は、
『ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍』ですが、
タイトルが刺激的なせいか、増刷になっておりません。
またいただいたお手紙に、
昭和13年から昭和17年まで父上が南京に赴任されていたお知り合いは、
毎月一回、三ケ根山に出向き墓そうじをされていらっしゃる方がいて、
父上の遺言「必ず南京の嘘を暴け」と託され「死んでも死にきれない」と、
仰っていたとのことです。
このような方は、南京攻略戦に従軍した兵士の
ご親族にはたくさんいらっしゃると思っています。
同じように思われていらっしゃる全国の方々に、
とうとう「南京の嘘が暴かれるときがきました」と伝えていただければ幸いです。
※今週、退院できるようになりました。「1年プラス」は、
南京を必ずケリつけなさいとの「天命」と認識し、
結果をだしますので宜しくお願い致します。
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
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