残照日記

晩節を孤芳に生きる。

不条理

2011-02-15 09:50:20 | 日記
≪神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。≫(アルベルト・カミュ著「シーシュポスの神話」清水徹訳 新潮文庫版より)

∇賢者コーヘレトは言った。<日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである>と。神から賜った<空なる命の日の間>、折角戴いたたった一度の人生だから、できるだけ長寿に、しかも、どうせ生きるならゲーテ的なオプチミズム(optimism=楽天主義)で、というのが、確かに長寿社会を生きる重要なキーワードである。しかし「徒然草」に、<死期は序(ついで=順序)を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。>(百五十五段)とある通り、死はいつも背後に迫っている。コーヘレトの言葉を裏返して読めば、人生は<空なる命の日の間>しか与えられていない。どう生きようが人はいつか必ず死ぬのである。ヘーゲル流「弁証法」で言うと、ゲーテ的なオプチミズム的人生論をテーゼ(「正」)とすれば、既にそれを否定する「反」(アンチ・テーゼ)が内在しているのである。

∇思想的に早熟だった老生は、中学時代に「人間必ず死ぬことが分っているのに、努力することに意義はあるのだろうか、そも/\人生そのものに意味はあるのだろうか」に取り憑かれて懊悩した。洋の東西構わず哲学書を濫読したが分らず仕舞。大学時代まで引きずって、当時学生間を席捲していたマルクス主義の片側で静かな論陣を張ったフランス「実存主義」に出会った。サルトル全集を読み、カミユ、サガンに耽った。そこにやゝヒントを見出した。サルトルある人に「人生とは何か?」と問われ、応えて曰く、「生きているということはそれ自体偶然に過ぎない。従って人生に意味などなある訳がない。だから人生の意味は自分で見つけるしかない」と。要するに頭で“人生の意味”を考えても「分らない」と言っているのだ。じゃあ、俺に分る訳がない。もう一段深く導いてくれたのが冒頭に引用したアルベルト・カミュ著「シーシュポスの神話」(以下「神話」)であった。これが時々頭をもたげて沈静化剤になっている。

∇<本当に深刻な哲学的問題はひとつしかない、それは自殺だ。>で始まるこの評論というかエッセイは、サルトルのやゝオプチミズムな実存主義より深い洞察に富んでいる。若き老生が考えあぐんだ通り、人は皆いずれ死んで、それまでの人生は全て水泡に帰す。それを「不条理」だと、承知しているにも拘わらず、生き続けなくてはならない。その人間の姿をギリシャ神話に出る「シーシュポス」になぞらえて、“人生”を問うた傑作である。主人公のシーシュポスは、<人間たちのうちでもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。しかしまた別の伝説によれば、かれは山賊をはたらこうという気になっていた。>(「神話」)彼は神の怒りに触れる罪を犯した。その原因にも幾つかの説がある。「神話」本文中にも述べられているし、呉茂一著「ギリシャ神話」(新潮社)に詳しい。孰れにしても冒頭に掲げたように、シーシュポスに課された刑罰は、<休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまう>というものであった。彼はまた初めからやりなおす。その永遠の繰り返しである。

∇シシューポスが地獄で行なう労働は実に“無益な労働”である。人生も同じだ。頭脳で考えれば考える程、終末のある人生を生きることの無意味さが浮かびあがる。この「不条理」に満ちた人生をどう生きていけばいいのか。カミユの提示を一端脇に置いて、筋萎縮性側索硬化症に苦しむ長男の求めに応じて人工呼吸器の電源を切り、窒息死させたとして、有罪判決を受けていた妻を、今度は夫が殺害したとされる事件や、くも膜下出血で寝たきりの夫に懇願され首を絞めて殺害したとして、嘱託殺人罪に問われた事件に戻ろう。何故この人たちは罰せられなければならないのか。<ひとは自分の生き方を自由に選べるが、死に方は選べないのだ。われわれは死を、偶然か運命が決めるまで、どんなに恐ろしくとも、辛抱強く待ち、耐え忍ばねばならない。われわれはこの決定には無縁である。少なくとも、社会からは何の支持も期待できない。……この「正当性」性に勇敢にも意義を唱えたのがジャカールとテヴォスであった。>(「安らかな死のための宣言」のル・モンド紙評)

∇<もし平穏に生きようとするなら、死に備えよ。(精神分析学の創始者)ジグムント・フロイトは、死の三十年前に、親友の医師マックス・シュールと、苦痛がひどい場合には生命を縮めるとの契約をかわしていた。(児童心理学者)ブルーノ・べテルハイムも同じ措置を講じていたのだが、彼の主治医は彼の少し前に死んでしまった。>(「安らかな死のための宣言」R・ジャカール+M・テヴィス著 新評論版) 彼らの主張は「安楽死」への弁護である。<どんなに不幸せでも、どんなに苦しくとも、何としてでも生きねばならぬ義務はない。ひとは義務で生きるのではない。生きたいから生きる。もしその気持ちが失せたら、各人は自分の自由な選択に従って、現在の薬学によって可能な安らかな死に近づくことができるはずだ。…ひとは望んでも、自分の生の中絶の権利をもてないのだろうか。リルケも「私は医者による死ではなく、私自身の死で人生を終わりたい」と書いた。…>。オプチミズム的人生論の「反」(アンチ・テーゼ)として、当然ながらペシミズム(pessimism=厭世主義)的な考えが鎌首をもたげてくる。それをどう止揚(アウフヘーベン=高い段階へ発展させること)して、「合」(ジンテーゼ)へ導くか。しかも哲学的だけではなく、現実問題への対応として。「不条理」への対応について更に考えてみたい。(続く……今日はこれから歯医者です。)