残照日記

晩節を孤芳に生きる。

桃源郷

2011-02-07 08:36:37 | 日記
<つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。>(「徒然草」序段)

≪碩鼠(せきそ)≫(「詩経」魏風より)

碩鼠碩鼠  碩鼠(せきそ) 碩鼠
無食我黍  我が黍(きび)を食ふ無かれ
三歳貫女  三歳、女(汝)に貫(仕)えしも
莫我肯顧  我を肯へて顧みること莫(な)し
逝將去女  逝(行)きて將(まさ)に女(汝)を去り
適彼樂土  彼の樂土に適(ゆ)かん
樂土樂土  樂土 樂土
爰得我所  爰(ここ)に我が所を得ん

<でっかい鼠よ、でか鼠、おれの黍を食うのはやめよ。三年お前に貢いでやったが、おいらの面倒を見てくれぬ。さあ、もうお前を見捨てるぞ。楽しい国へ行くのだ。楽しい国よ楽しい国、そこなら落ち着くところもあるだろう。>(吉川幸次郎訳参考)

≪小旻(しょうびん)≫(「詩経」小雅より)
(天のはげしい怒り)

∇今や天のはげしい怒りが/下界に行きわたっている/だのに王の謀りごとは邪悪のみ/いつになったら止むのやら/王は優れた策をば取り上げず/却ってよくない謀を用いてる/こんなことではどうなることか/我が心は、憂うるばかりだ。/朝廷は付和雷同と悪口雑言の館/何と愛想の尽きることよ/よい謀には皆背を向け/悪い謀には/皆がついてくる。……何やかやと思いつきを言うものが多く/結局収まりがつかない/発言する者は朝廷内に五万といるが/責任をとって決断する者は誰もいない/それはまるで、座して旅するようなもので/一歩も進みはしない。……(海音寺潮五郎訳参考)

∇老生は棺桶に片足を突っ込んでいる一介の閑老人だ。個人的には満ちたりて、特にこれといった不満も欲望も沸かない。だが、閑なるが故に却って邪正が見えすぎることも多い。そこで<物言わぬは腹ふくるるわざなり>と徒然草にある如く、今日も<心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付く>ることにしよう。さて、我が国政治の「しっちゃかめっちゃか」振りは、幾つかの新聞の見出しを一寸拾い出しただけでも明々白々だ。<「死ぬ気でやれ」社会保障改革案 首相、副大臣らを鼓舞>⇔<小沢元代表:予算関連法案、年度内成立は難しい>⇔<税と社会保障:協議開始は首相退陣が前提 大島副総裁>、<歴代厚労相、党派超え危機感「社会保障、持たない」>⇔<子ども手当:「国が全額負担、考えず」閣議決定 神奈川知事ら反発>、<岡田幹事長「しっかり答え出す」><政治資金:小沢氏団体「迂回」寄付 「迂回献金」指摘、市民団体が小沢元代表告発>⇔<「小沢軍団の力、民主に不可欠」亀井氏、党執行部を牽制>、<ロシア国防相の北方領土訪問 前原外相が不快感>⇔<鳩山氏「怒るだけじゃだめ」ロシア国防相の北方領土訪問>……。

∇ところで、約三百篇の詩が載る「詩経」は中国最古の詩集で孔子の編とされる。政治家がよく使う“国民の皆さん”の心情は、現在まさに「詩経」の上記二編そのものであると思うがどうであろう。「碩鼠」を「菅政権」、「小旻」を我が「国会」に当てれば、政情は約2800年ほど昔も今も少しも変わらない。「為政者」には「進化論」が適用しないものとみえる。尭・舜のような優れた古代の聖天子は、「修己治人」又は「修己安人」と言って、「修己」すなわち自分の徳を磨いて知・仁・勇という「天下の達徳」を備え、「治人」「安人」すなわち万民に広く施し、万民の幸せのために統治することを唯一無二の使命とした。その背景には、天命を受けて天下を治めながら、もしその家(姓)に不徳な者が出れば、他の有徳者が天命を受けて新王朝を開くという「易姓革命」と呼ばれる政治思想があった。“君は民の父母”でなくてはならなかった。天命が革(あらた)まることを「革命」と言うが、ダメ政治家がウヨ/\し出したら「天のはげしい怒り」が発せられ「革命」が起こる筈なのだが……。

≪南山有台≫(「詩経」小雅より)

<南山に桑有り、北山に楊(柳)有り/楽しき君子は、邦家の光 /楽しき君子は、万寿 かぎりなし 。/南山に杞(ひいらぎ)有り、北山に李(すもも)有り/ 楽しき君子は、民の父母/楽しき君子は、音已(や)まず。>(南山には桑が、北山には柳があって、双方の山が美しい。徳に溢れた君子(君主)が居て邦家を輝かしめている。永久の寿命あれかし。 南山にはひいらぎが、北山には李があって、双方の山が美しい。徳に溢れた君子は民の父母。音(=声誉、善き名)のいつまでも続かんことを。(高田真治訳参考)

∇「碩鼠」の「樂土」や「南山有台」の如き「桃源郷」はいつか出現する可能性があるのだろうか。「桃源郷」といえば、陶淵明の「桃花源記」に曰く、<中国六朝時代の東晋の国(4世紀ごろ)の、湖南の武陵というところに住んでいた漁師が、道に迷って岸を挟むこと数百歩、一本の雑樹木なく芳しく花咲きにおう桃林の奥にある人里に迷い込んだ。そこでは、過去の戦乱を逃れた民の末裔が暮らしていた。土地は広く平らかにして美麗な家屋が並び、良田、美池、桑竹の類があり、道は縦横に通じ、鶏や犬の声がのどかに聞こえた。漁師は歓待され酒食を存分馳走になって、数日逗留したのち暇を告げて去った。「他の方には話さないように」と言われて帰ったが、その後、漁師は太守にそのことを伝えると、太守は人を派遣して漁師と目印を辿ったが、再びそこを見つけることはできなかった>。結局俗界の我々に「桃源郷」は無縁だろうか。──先日発注していた菅首相が影響を受けたという「すばらしい新世界」(講談社文庫)が届いたので、それを皮切りに、次回以降「俗世とユートピア」について考えてみようと思う。