残照日記

晩節を孤芳に生きる。

節分余話

2011-02-03 16:55:12 | 日記
○鬼の来ぬ 木々に小鳥や 春近し  楽翁 

≪西風よ、私の唇を通して、まだ醒めやらぬ全世界に対する/予言の喇叭を響かせてくれ! おお西風よ、/冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!≫(パーシ・ビシー・シェリー詩「西風の賦」。岩波文庫「イギリス名詩選」より) 

∇今日2月3日は「節分」。もともと「節分」は、「季節の分かれ目」を意味する言葉で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していた。現在は特に「立春」の前日を「節分」と呼ぶ。<この日の夕暮、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立て、鬼内豆と称して炒(い)った大豆をまく習慣がある。⇒追儺(ついな)>(「広辞苑」)。旧暦では「立春」が新年で、前日の「節分」は大晦日にあたる。古く中国に始まり、日本では7世紀末、文武天皇の頃から前年の邪気を祓うという意味で、追儺(ついな)の行事が行わたのがその起源だといわれている。平安時代になると、陰陽師たちによって宮中で盛んに行われるようになり、やがては諸国の社寺、そして民衆に広く伝わっていったようだ。尚、中国では大晦日の今日、親族が故郷・実家に集まって、ごちそうを食べたりゲームをしたりと家族団らんの慣わしがある。明日からが「春節祭」で、新年を祝って竜や獅子が舞い、花火が夜空を彩り、無数の爆竹の音が街中に響き渡る。…

∇我が国の宮中行事として、かつては、殿上人が桃の弓、葦の矢で鬼を射て、鬼追いをしたようだが、現在では豆の霊力により邪気を払うということになっている。何故炒り大豆なのか?──それについては面白い話がある。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」などを見ると鬼は大抵角をはやし、寅皮のパンツを穿き、金棒を持っている。一説によれば「鬼門」と「陰陽五行説」に関係があるという。先ず「鬼門」は<陰陽道(おんみょうどう)で鬼が出入りするといって万事に忌み嫌う方角で、艮(うしとら)すなわち東北の称>(「広辞苑」)。こゝから艮=うしとら=丑寅となって、鬼が「丑の角、寅のパンツ」という発想が生まれたとされる。では何故「豆まき」をするのか。炒り大豆は金色で固いもの。即ち鬼の持つ金棒を指す。すぐ後で説明するが「五行説」では、金と火は相剋関係にある。すなわち金は火に剋される。豆(金棒)を火で炒れば鬼も武器を失い退散する、という訳だ。(笑)

∇怪しげな説だが面白いので掲げておくことにする。いずれにせよ炒った豆を年の数だけ食べて、「鬼は外、福は内」とやれば、家内安全・無病息災とあいなるのだそうな。老生は66粒も食べなくては息災延命を得られぬことになる。こりゃ大変だ。最近は更にこの日に「恵方巻」を食すと御利益が増すというので、寿司屋が繁昌している。何でも太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて“恵方”に向かって私語を交えずに丸ごと食べる。「福を巻き込み」「縁を切らない」ためだという。“恵方”とはこれ又、陰陽道でいう「歳徳神」が在座する方位のことをいい、その年の干支に基づいて定められた目出度い方角のこと。今年の干支は「辛卯(かのと・う)」で、「南南東やや右」が恵方とされる。尚、「恵方巻」は、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説があるが、したたかな関西商人が考え出したもの、という説の方が正解だろう。

∇ ところで「陰陽五行説」について、手っ取り早く「大辞林」の解説を借りて説明しておこう。<【陰陽五行説】中国に起源した世界観。相対立する陰・陽二気の考えに、木・火・土・金・水の五行を結合し、自然・人事など万般の現象を説明する。戦国時代に鄒衍などによって体系化され、漢代には大いに流行した。日本の陰陽道もこの流れを汲む。【五行説】中国古来の世界観。木・火・土・金・水の五つの要素によって自然現象・社会現象を解釈する説。五行相勝(相剋)は火・水・土・木・金の順に、後者が前者に打ち勝つことで循環するとし、戦国時代の鄒衍(すうえん)などが説いた。五行相生(そうしよう)は木・火・土・金・水の順に、前者が後者を生み出すことで循環するとし、前漢の劉向などが説いた>。古代中国では、陰陽と木・火・土・金・水の五気を以て宇宙の気を代表させ、この五気の相生・相克で森羅万象の諸象が説明できると考えた。その関係をグーグルから図を借りて上に掲示した。

∇図を大雑把に説明するとこうなる。木は燃えて火となり、火は土(灰)となる。土は金を生じ、金は溶けて水(液体)となる。水は木を潤す。この木→火→土→金→水の関係を「相生関係(そうしょう)」という。一方、木は土を剋(こく=打ち勝つ、いじめる)して成長し、土は水を剋して水勢を止める。水は火を剋して火勢を止め、火は金を剋して溶解する。金は木を剋して伐採する。この木=×(バツ)土、土=×水、水=×火、火=×金、金=×木の関係を「相剋関係(そうこく)」と呼ぶ。漢方医学では、木=肝臓・胆嚢に当て、火=心臓・小腸、土=脾臓・胃、金=肺・大腸、水=腎臓・膀胱に当てた。五行説でこれを説明すると、肝臓・胆嚢が良くなれば心臓・小腸が良くなる。すると脾臓・胃→肺・大腸→腎臓・膀胱と良くなって行く。(相生関係)逆に肝臓・胆嚢を害すれば脾臓・胃→腎臓・膀胱→心臓・小腸→肺・大腸と逐次悪化する、とした。又、色にも五行が割り当てられ、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒とし、効用は上述の通り。etcetc

∇干支(えと)」も「陰陽五行説」が基本になっている。「大辞林」によれば、<干支は「え(兄)おと(弟)」の略。十干と十二支とを組み合わせたもの。木・火・土・金・水の五行を、それぞれ陽の気を表す「え」と陰の気を表す「と」とに分けたものが十干、すなわち、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)。これに十二支、すなわち、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)を順に割り当て、甲子(きのえね)・乙丑(きのとうし)のように呼ぶ。これで六〇の組み合わせができる。年月・時刻・方位などを表す呼称として用いられる。> 甲・乙・丙・丁・戊・己。庚・辛・壬・癸が「十干」、子・丑・寅・卯・辰・巳……が「十二支」。この組み合わせで最小公倍数が60、元の干支に還るにはそれだけかかるので、60歳を還暦という。

∇干支の応用は、上述の通り<年月・時刻・方位などを表す呼称として用いられ>、「占い」に用いられた。例えば、老生の亡妻は壬辰年の壬寅月、壬寅日の戊申時に生れた。この年月日時の4本の干支を以て占うのが「四柱推命」という占術である。江戸時代有数の推命学者・桜田虎門は、<凡そ人一生の間の富貴、貧賤、賢愚、寿夭ならびにその性格形態疾病など、またはその年々の吉凶、父母妻子の禍福にいたるまで、みな四柱八字を以て本とす>と断じた。即ち、人生の禍福はその人の生年月日時刻に一切の運命が宿されている、とするのである。家内の干支を生れた時刻・日・月・年の順に並べると、戊申・壬寅・壬寅・壬辰となる。これを命式といい、日柱即ち壬寅日を元に他柱の陰陽五行の過不及とそのバランスを見て判定するのである。学生時代から「運命」なるものの不可思議を疑い、老生もかなり研究した。性格・大運は驚くほど適中するが、運気特に婚期や死期を当てるのは難しい。いずれこのブログでも取り上げてみよう。──駄文を綴っていたらもう夕刻の5時。明日は「立春」、シェリーの詩の如く、“冬来りなば春遠からじ”である。新しい気分で春を迎えることにしたい!