残照日記

晩節を孤芳に生きる。

理想社会

2011-02-08 13:53:25 | 日記
<ユートピアは実現可能である。生活はユートピアにむかって進んでいる。そしておそらく、知識人や教養ある階級がユートピアを避け、より完全ではないがより自由な、非ユートピア的社会へ還るためのさまざまの手段を夢想する、そういう新しい世紀が始まるであろう。>(ニコラ・ベルジャアエフ)
──「すばらしい新世界」(松村達雄訳 講談社文庫)の扉より──

∇菅直人首相は、今年の1月29日、スイス東部にあるダボスで行なわれた「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)で「開国と絆」をテーマに特別講演を行った。その際に「最小不幸社会」の政治理念を語った。曰く、<《最小不幸社会》という言葉も、海外で初披露した。“The Least Unhappiness”という耳慣れない表現が理解してもらえるか少し心配だったが、ベンサムの「最大多数の最大幸福」を前置きで述べてから、きちんと意味を説明して話したところ、大きな反響があった。最小不幸社会という言葉は私が若い頃から使ってきたオリジナルな言葉だが、逆にそのことが、好感をもって受け入れられることになったようだ>、と。しかも<終了後のロビーでは、わざわざ歩み寄ってきて「素晴らしかった」と握手を求めてきてくれた外国の方もいた。「哲学的なスピーチだった」という感想もいただいた。総理として、日本のプレゼンスが示せたように思う>と自画自賛した。(from「KAN-FULL BLOG) 

∇「首相官邸」HPに「最小不幸社会」の概念がより具体的に語られている。<かつてベンサムは、「最大多数の最大幸福」という政策を提案いたしました。私は、政治の果たすべき役割は社会の不幸を最小化すること、つまり「最小不幸社会」を目指すことだと、若いころから考えてまいりました。なぜ、「最小不幸」なのか。幸せや豊かさは、自由な個人がそれぞれの価値観の中で理想を抱いて追求するものです。政治という権力行為で、あなたの幸福はこれですと決めつけることは、政治が行うべき役割ではないと考えます。しかし一方では、病気とか貧困とか戦争といった、だれにとっても不幸をもたらすこと、この不幸を最小化することこそが政治という権力行為のやるべき仕事だと考えるからであります>、と。 で、そのためにどうされるか? <従来の絆が希薄化する中で、…「新しい絆の創造」が必要となります。この観点から、「社会的包摂」(注:別途解説)の取組が大変重要だと考えます。不幸に陥った人を、家族だけでなく政府やボランティアも協力して社会全体で包み込むことが必要なのです。云々>と。

∇菅首相は、“最小不幸社会の実現”を政治理念に掲げたキッカケを、<高校時代に読んだオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」の影響>だ、としているが、どんな小説なのか解説しておこう。この小説の題名は、シェイクスピアの戯曲「あらし」から取られている。孤島で暮らしていた娘のミランダが、父が妖精に命じた魔法によって難破して、島に打ち上げられた人間の集団を見て、思わず発した次の台詞から。<ああ、不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいと思わなかった、人間というものが!ああ、素晴らしい、新しい世界が目の前に、こういう人たちが棲んでいるのね、そこには!>(福田恆存訳・新潮文庫版)──題名にすでに「ユートピア」が暗示されているが、まさに架空国物語である。但し、<機械文明の極度の発達のあげく、人間がみずからの発見した科学の成果の奴隷となり果て 、一切の人間的価値と尊厳を喪失するにいたる悲劇を描きだしたものである。>(松村達雄氏の「解説」) 即ち「すばらしい新世界」とは、全体主義的総統によって統治された架空の人工社会で、それをアイロニカルに風刺した作品なのである。

∇<世界国家の「共有・均等・安定」>というスローガンを掲げた「中央ロンドン人工孵化・条件反射育成所」なる名称の最先端生命科学研究所がある。そこでは培養壜で幾百万という一卵双生児を生み出す技術が確立されている。実際には必要な質の人間が必要数だけ生み出される。人口構成は氷山になぞらえて構成される。つまり九分の八が水面下、九分の一が水面上に。水面上の統治者達だけが集団をスローガン通り導く責任がある。水面下を構成する八分の人間たちは、労働時間は七時間、子どもでもできる易しい仕事に従事しているため筋肉は労せず、割り当てられた仕事をすればいい。胎生ではないので、家族だとか親子関係はなく、恋愛・結婚・離婚も自由だ。この国の人々は幸福と安定のみを信仰している。良い遺伝をし、自由な選択をし、責任を取ることが一定限度内に可能なように始めから条件づけられている。一切の欲望は即叶えられ、叶えられないような欲望ははじめから感じないように作られている。従って総ての人々は怒る・憎む等の所謂“人間的情緒”に左右されることはない。

∇社会は統制が取れ、安定しているので、未来を案じ悩む必要はさら/\ないし、心身ともに活動を楽しんで止まないので、休息の必要もない。若々しい欲望に満ちていて、老齢に対する衰弱・無気力・不快などの心情や、自分以外の他にすがる宗教も必要としない。その上、極度に発達した医療科学のお蔭で「ソーマ」という妙薬が出来ている。何か不幸な偶然から偶々不愉快なことでも起こったら、この薬をほんの適量飲めば、たちどころに副作用なしに酒のほろ酔いや宗教的陶酔に浸ることができる。この薬さえあれば、いかような苦痛も避けられ、誰もが桃源郷に入りこめる。「あらし」の娘ミランダが、<ああ、不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいと思わなかった。…ああ、素晴らしい、新しい世界が目の前に>と発した言葉でいえば、<綺麗なお人形>は選び抜かれた優性卵子・精子群から孵化した一卵双生児たちであり、<素晴らしい、新しい世界>とは苦痛の一切ない、自由で楽しみばかりを満喫出来る社会のことだ、と言える。

∇恐らく、菅首相はこゝまでの印象を以て「最小不幸社会」の概念が閃いたものと思われる。「すばらしい新世界」のスローガンは<世界国家の「共有・均等・安定」>であった。まさにこの理想人工国に於ける架空社会は、「首相官邸」HPに謳われている、<病気とか貧困とか戦争といった、だれにとっても不幸をもたらす、この不幸を最小化すること>が出来あがっているからである。この社会の国民は皆春風駘蕩で、喧嘩やまして戦争などは起きない。老いや病気だって心配ない。──但し、である。この小説がこの論調で展開されるのは、全編の4分の3まで。後半の4分の1から急転直下、この共有・均等・安定の理想国家に抵抗する反逆者が登場してくるのである。培養壜での操作不備によって不具者となり、環境に順応できなくなった青年Aと、逆に優性過ぎて全体主義的国家政策に懐疑的思想を抱く青年B。そして特に、壜からではなく母親の腹を痛めて生れた、未開の野蛮国(=現在の我々の世界)から偶然訪れたジョン青年が、この理想国の痛烈な批判者となる。実はこの小説で著者オルダス・ハクスリーが最も主張したかったモチーフがこゝから展開されるのである。

∇ジョン青年は理想人工国の統治者であるムスタファ・モンド総統と激論を交わす。総統はとにかく物事を愉快にやるのが好きだし、それが皆のためになる、と信じている。彼は老齢のために醜くなっていいのか、梅毒や癌になっていいのか、食べ物に不足したり明日の不安に怯える苦悩多き社会でいいのかと攻める。以下は、よく纏められた「解説」の文章をそっくり借用する。<旧世界の住人である彼(ジョン)は、幸福は苦悩と表裏をなすものであることを知っている。苦難なき欲望の成就は信じない。また宗教的情緒の存在を否定し、激情による魂の動揺に生甲斐を感じている。偶然彼が手に入れて耽読したシェイクスピアの世界、人間の情緒が大きな振幅をもち、魂が内に深淵を蔵している世界を礼讃している。彼の目から見れば、年中魂の休日をたのしんでいる文明国(理想人工国)の痴呆的幸福は、肯定できない。彼はこの愚者の楽園にいたたまれなくなって、人里はなれた田園に孤独を求めて逃亡するが、文明国の住民たちは彼の孤独を放置しておかない。文明の民の迫害的干渉に追詰められて、人間的価値と尊厳の信奉者である青年ジョンは、ついに自殺をとげる>のであった。(完)──

∇というわけで、まとめると、「すばらしい新世界」とは、文字通りの「すばらしい意」ではなく、極度に発達した未来の科学的な文明が、一部の全体主義的権力者たちによって悪用されると、人工的で画一表面的な「共有・均等・安定」社会が生れるだけで、人間自らの尊厳を喪失してしまうこと、単なる愉快・安定志向が却って非人間的「アンチ・ユートピア」を出現させる危険性を鋭く突いたSF小説なのである。悪質の遺伝子を棄却し、優良なる遺伝子を以て人間を選別しようとする優生学的な考えで、人工孵化・条件反射育成された人間の集団、それは<綺麗なお人形のような人間たち>の集団であるが、喜怒哀楽の感情を犠牲にした“間”社会である。人類の幸福とは何か、人間的価値とは何か、それをもう一度原点に立って考えてみようじゃないか。ハクスリーが言いたかったのはその点なのである。とすると、菅直人青年がこの小説に感銘したのは分るが、政治家となって、ベンサムの「最大多数の最大幸福」を<最小不幸社会云々>という政治理念に昇華させた発想過程がよく分らなくなってくる。どうも上面読みの菅(勘)違いというか、怪我の功名的思いつきに過ぎないように思えるのだが……。(続く)