くらしのうつわ

信楽焼の窯元に生まれた娘の日記

炎の味がま

2011年09月03日 23時48分23秒 | 炎の味がま
このブログを立ち上げて早1ヶ月あまり。

大事なことを忘れてました

「炎の味がま」の紹介です。


今日は少しだけ、私の職場である「炎の味がま」についてお話します


「炎の味がま」 ひのみがま といいます。

ほぼ100%の割合で ほのおのあじがま と読まれます

名づけは私の父親です。信楽の窯元で叔父と一緒に仕事をしていたのですが、自分の志があってか、独立して「炎の味がま」を設立しました。

父はくらしのうつわをテーマに、日々のくらしに馴染みやすく使いやすい器作りをしています。

少々・・・かなり「へんくつ」なところもありますが、まあ、父親としては、よき父親ではないでしょうかね。

そんな父が三人姉妹である真ん中娘の私を後継ぎに・・・なんてたいそうな事言うから、娘の私は半ば本気に、半ば嫌々・・・陶器の勉強を経て、炎の味がまに就職しました。

当時はまだ景気も良く、仕事もたくさんあり、社員の方も何名かおられました。

私は何も考えずに、この陶器の仕事をしていました。

そのうち、いろんな事があり、陶器の仕事を初めて自分の仕事だと思うようになりました。

言われるがままに仕事して、それで良かった時代も過ぎ、自分の仕事・・・となると、何をどうしてよいのやら・・・

父親に聞けばいいものの、一人旅のように外の世界に飛び出し、工組青年部に入りたくさんの人に出会い、そしていいろいろな気づきをもらいました。

外に出て初めて分かったのです。

本当に恵まれた環境だったんだと

父が一生懸命築いてきた くらしのうつわ である炎の味がまのうつわ。

私なりに感じた言葉で言います

「うつわは、使ってもらってこそはじめて意味が出来るのです。そこには人々の日々のくらしがあります。毎日のくらしに食卓を通して繋がりあう、私の家庭がそうであったように。そこには毎日「炎の味がま」のうつわがありました。主張しすぎず、ただそこにある。なんとなく、もいいのではないでしょうか。
昔は分からなかったけど、今なら言えます。
くらしのうつわ炎の味がまのうつわは、生活のために生まれました。特別ではないけど、毎日のくらしには欠かせないものです。気軽に使っていもらって、生活の一部になっていく。そんなごく当たり前の生活とうつわが繋がりますように。」


いつも当たり前のように使っていたうつわたち。

父の思いやうつわの良さを知るまで、ずいぶん時間がかかってしまいました。


まだまだ、そんな自分の運命や環境に向き合うのが嫌になる時もあるのだけど、少々向き合って進んでいきたいと思います


しかし・・・現実は厳しく、分かってはいるけど、そんな父が理解できなく、反発も多々ありながら、毎日仕事しています


そんな中で生まれる「くらしのうつわ炎の味がま」のうつわ達を楽しんでやってくださいね


父が築いてきたくらしのうつわに、私なりの表現をプラスして、進化していけたらなって思います





本日のくらしのうつわ

鯛のあらだき

お魚提供「海のさち」さん