備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

阿久悠さん死去 70歳

2010-06-06 20:24:38 | 文化

Kodak DC4800

'07/08/02の朝刊記事から

「北の宿から」「UFO」・・・5000曲作詞
阿久悠さん死去 70歳


「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」など5000曲以上の作品を手掛け、1970-80年代、昭和の歌謡曲黄金期を代表する作詞家で、作家としても活躍した阿久悠(あく・ゆう、本名深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが1日午前5時29分、尿管がんのため東京都港区の東京慈恵会医大病院で死去した。70歳。兵庫県出身。

サラリーマンを経て「悪友」をもじった「阿久悠」の名で67年、作詞家デビュー。
山本リンダさんの「どうにもとまらない」、森昌子さんの「せんせい」、都はるみさんの「北の宿から」など、アイドルポップスから演歌まで5000曲以上の作品を発表、ヒットメーカーとなった。

70年代半ばからは、沢田研二さんと組み「時の過ぎゆくままに」「勝手にしゃがれ」などでダンディズムを追及。
歌手オーディション番組「スター誕生!」の審査員を務め、山口百恵さん、桜田淳子さんらを発掘。
特に作曲家都倉俊一さんとのコンビで売り出したピンク・レディーは「UFO」「ペッパー警部」など空前のヒット曲を連発した。
子ども向けに「宇宙戦艦ヤマト」などの歌も手掛けた。

小説も執筆。淡路島で育った経験を基にした「瀬戸内少年野球団」が映画化されたほか「殺人狂時代 ユリエ」(横溝正史賞)などを残した。

日本レコード大賞など受賞歴は多数。
代表曲はほかに、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」、小林明さんの「熱き心に」など。

99年、紫綬褒章を受章。2001年、腎臓がん手術を受けた。
7月上旬、体調を崩して入院、治療を続けていた。

阿久悠さんの主な作詞作品
1970年・ざんげの値打ちもない(北原ミレイ)
1971年・また逢う日まで(尾崎紀世彦)
1972年・あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子)
     ・どうにもとまらない(山本リンダ)
     ・せんせい(森昌子)
1973年・ジョニィへの伝言(ペドロ&カプリシャス)
     ・わたしの青い鳥(桜田淳子)
     ・恋のダイヤル6700(フィンガー5)
1974年・ひまわり娘(伊藤咲子)
     ・宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)
1975年・ロマンス(岩崎宏美)
     ・時の過ぎゆくままに(沢田研二)
     ・北の宿から(都はるみ)
1976年・青春時代(森田公一とトップギャラン)
     ・津軽海峡・冬景色(石川さゆり)
1977年・勝手にしやがれ(沢田研二)
     ・UFO(ピンク・レディー)
1978年・たそがれマイ・ラブ(大橋純子)
     ・林檎殺人事件(郷ひろみ、樹木希林)
1979年・舟歌(八代亜紀)
1980年・雨の慕情(八代亜紀)
1981年・もしもピアノが弾けたなら(西田俊行)
1985年・熱き心に(小林明)
1986年・時代おくれ(河島英五)


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朝青龍、2場所出場停止

2010-06-05 21:20:54 | スポーツ

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'07/08/02の朝刊記事から

朝青龍、2場所出場停止
サッカー問題 相撲協会が処分


日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で緊急理事会を開き、けがで夏巡業への休場届を出しながら、故郷のモンゴルでサッカーに興じた横綱朝青龍(26)=本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ、高砂部屋=に対し、9月の秋場所と11月の九州場所の2場所の出場停止と九州場所千秋楽までの謹慎、4カ月間、30%の減俸を決めた。
現役横綱への出場停止、減俸処分は史上初。
また師匠の高砂親方(元大関朝潮)にも4カ月間、30%の減俸処分が科された。

相撲協会の北の湖理事長(元横綱北の湖)は「ファンが夏巡業を期待していたのにもかかわらず軽率だった。ファンあっての大相撲ということを重視した妥当な罰則だ。横綱は常に自分の行動が多くの人に見られているということを自覚してもらいたい。朝青龍本人はがっかりしたかもしれないが、気を取り直して(もう1度)雄姿を見せて欲しい」と説明した。

一方、朝青龍は師匠を通じて「真摯に受け止めます。治療しながら、12月の冬巡業と(来年)1月の初場所に備えていきます」とコメントした。

朝青龍は名古屋場所を14勝1敗で3場所ぶり21度目の復活優勝。
しかし左肘痛と腰の疲労骨折などで全治6週間の診断書を提出し、3日からはじまる夏巡業への休場を決めながら、先月25日にモンゴルで元日本代表の中田英寿氏らとサッカーのイベントに参加。
内外から非難が集中し、理事長に謝罪していた。

現役横綱の不祥事としては、途中休場した1949年秋場所中に日米野球を観戦し、責任を取って自ら引退した前田山の例がある。
また87年末に師匠との確執から双羽黒が廃業した際には、師匠のほか、横綱推挙の責任から全理事に減俸処分が科された。


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赤城農水相更迭 首相「任命責任を痛感」

2010-06-05 20:36:45 | 政治

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'07/08/02の朝刊記事から

赤城農水相更迭 首相「任命責任を痛感」
内閣改造 前倒しは否定


安倍晋三首相は1日夕、不透明な事務所費問題を指摘された赤城徳彦農水相の更迭について「私にすべて責任がある。任命責任を痛感している」と述べ、自らの政治責任を認めた。また、問題発覚後も赤城氏を擁護したことについて「今からすれば反省点がある」として、対応に問題があったとの認識を示した。



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