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安倍首相と親しいトルコのエルドアン大統領は難民を利用してEUから66億ドルを脅し取る

 
 
 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は今でもシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうと必死で、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)への支援を続け、言論統制を強化している。

 その過程でトルコはロシアとの関係が悪化、シリアやイラクで盗掘した石油の輸送が難しくなっていることも加わり、経済的に苦しい状況だ。そうした中、トルコ政府は「難民問題」を演出、さらなる難民の流入を恐れるEUから66億ドルを「援助」として提供させることに成功したという。シリア領内に「難民キャンプ」を作り、侵略軍の「盾」にしようと目論んでいるとも言われている。

 昨年10月7日から8日にかけてエルドアン大統領が来日した際、安倍晋三首相は「シリアの難民危機」で日本はトルコを支援すると確約したという。恐喝を助けるということなのだろうか?

 11月13日には安倍首相がトルコを訪れてエルドアン大統領と首脳会談、両首脳は日本とトルコが共同で制作した映画「海難1890」を見たらしい。筆者はこの映画を見ていないが、映画の解説によると、1890年にあったエルトゥールル号の遭難事件とイラン・イラク戦争時の逸話を合体させた作品だという。

 1890年といえば、日本が東アジア侵略を本格化させつつあった頃だ。薩摩藩と長州藩を中心とする新政府は1871年7月に廃藩置県を実施、中央集権体制に向かうが、その翌年に琉球国を潰して琉球藩を設置、79年に沖縄県を作る。琉球国を併合したわけだ。

 新政府が琉球国を日本だと認識、あるいは当初から日本に併合しようと考えていたとするならば、琉球藩を設置してから廃藩置県という順番だったはず。常識的に考えると、廃藩置県を実施してから琉球国を併合しなければならない事情が生じたということになる。

 カギを握る人物のひとりが1872年に来日したチャールズ・リ・ジェンダー。フランス系アメリカ人で厦門の領事を務めていた人物だ。彼は外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、1875年まで外務省の顧問を務めることになる。ちなみに、このアメリカ人は2003年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ザ・ラスト・サムライ」のモデルだとされている。(実態は映画と全く違っていたようだが。)

 日本は1874年に台湾へ派兵するが、その口実として使われたのが1871年10月の宮古島漁民の難破事件。台湾に漂着した漁民の一部が殺されたとして日本政府は清に抗議、被害者に対する賠償や謝罪を要求、そして軍隊を台湾に送り込んだのだ。この口実を成立させるためには、宮古島が日本でなければならない。つまり琉球国を併合して日本にしなければならなかった。

 台湾へ派兵した翌年、日本は軍艦を江華島へ派遣する。そこは李氏朝鮮の首都を守る要衝。挑発のために軍隊を送り込んだわけである。その結果、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席したという。リ・ジェンダーは外務省の顧問を辞めた後も日本に滞在して大隈重信に助言、離日したのは1890年。その年から99年まで朝鮮王朝の王、高宗の顧問を務めた。

 その当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(高宗の妻)が対立していた。主導権を握っていたのは閔妃の一族である閔氏だったが、1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、その体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。

 清の敗北で閔妃がロシアへ接近することを阻止するため、まず日本政府は閔妃を買収しようとして失敗、「強硬策」に転換した。アメリカの支配層が他国を侵略する場合、まず「エコノミック・ヒットマン」を派遣して買収を試み、それが失敗すると本当の暗殺者を派遣することになっている。その常道に従って日本も動いたことを状況は示している。強硬策=王妃殺害と考えるのが常識的だということだ。

 王宮を襲撃した実行部隊は日本陸軍の600名と「壮士」と呼ばれる民間人47名が参加したが、その作戦は三浦梧楼公使の独断だと言い張っている人もいるらしい。本当に独断で行われたなら、三浦がその後、枢密院顧問や宮中顧問官という要職につくことはなかっただろう。
 
 
2016.03.08
 
 
 アメリカで行われている大統領選で、共和党の候補者争いでトップを走っているのはドナルド・トランプである。これまで共和党の議員や大統領選びで大きな影響力を及ぼしてきたのはラスベガス・サンズを所有、日本の政治家とも関係の深いネオコン/シオニストのシェルダン・アデルソンだが、トランプはネオコンから嫌われている。ロイターによると、そのトランプに外交政策のアドバイスをしているのは前DIA(国防情報局)局長のマイケル・フリンだという。

 本ブログでは何度も指摘しているように、フリンが局長だった時代、つまり2012年8月にDIAはシリア情勢に関する報告書を政府に提出している。反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。

 シリアのバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指すバラク・オバマ政権は傭兵を使う。その戦闘集団に「穏健派」というタグをつけ、支援していたのだが、その「穏健派」の実態は「過激派」だとDIAは警告、アメリカ政府が方針を変えなければ、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげると予測していた。実際、その通りになり、それをロシア軍が敗走させているのだ。退役後、フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている

 2015年2月にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もCNNの番組でアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと主張していたほか、2011年10月から15年9月まで統合参謀本部議長を務めていたマーチン・デンプシー陸軍大将はダーイッシュを危険であり、オバマ政権の政策を危ういと判断したいた。

 1991年にネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったというが、実際にイラクを先制攻撃したのは2003年。ジョージ・W・ブッシュ政権は2002年に開戦する予定だったが、統合参謀本部の幹部が抵抗して約1年、延期された。大義がなく、作戦が無謀だという理由だった。戦争犯罪人になりたくないという気持ちもあったのだろう。

 イラク侵攻に批判的だった将軍には、例えば、グレグ・ニューボルド中将、エリック・シンセキ陸軍参謀総長、アンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将などがいる。

 ネオコンやズビグネフ・ブレジンスキーの人脈は最終的にロシアを侵略、支配するつもりで、ジョセフ・ダンフォード現統合参謀本部議長はロシアを敵だと公言しているが、フリン中将たちはロシアと手を組み、ダーイッシュのような武装集団と戦うべきだと考えている。ネオコンが最も恐れているのは「9/11」に関する情報が外へ出てくることだと推測する人は少なくない。
 
 
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