アラビア語のメディアには報じられていないこともあり、すっかり失念していましたが、この11月はイスラエルの元首相ラビンが暗殺されて20年になるのですね(1995年11月4日イスラエルの右翼青年により暗殺)
このため10月31日の土曜日には、テルアビブの中央広場に数万人の群集が集まり、彼の業績を偲んだとのことです。
然 し、これを報じるy net news は、集会は静かで厳かなものであったが、民主主義を失い、人種主義におかされているイスラエル社会と、中東和平問題の挫折を反映して、エネルギ―に欠け、 将来へのメッセージのないものであったと、極めて冷たくまた悲観的な見方をしています。
多分それがイスラエルと中東和平問題を取り巻く現実なのでしょう。
今から振り返ってみると、確かにラビンの時が中東和平への期待が最も高まり、又パレスチナ(西岸、ガザ)での自治の動きも盛んであった、明るい未来を考え得る時代であったかと思います。
そのラビンが暗殺に倒れ、その後当然選挙に勝つと予測されていたペレスが、パレスチの(確かエルサレムだったかの)テロの影響で選挙に敗れ、右翼のリクードが出てきた頃から、イスラエルの西岸併合の動きとパレスチナ側の無力感と暴力指向が出てきたように思われます。
そ の後、一時イスラエル国民の和平の欲求に動かされて、リクードに代わって労働党が帰り咲き、バラク首相がレバノンからの撤退に引き続き、パレスチナ問題の 解決を求めて、クリントン大統領が彼とアラファト議長をキャンプデービッドに招いての首脳会談で、解決を図ったが、アラファトがイスラエル提案を飲めな かったために、会談は失敗に終わり、その後はネタニアフの下で、中東和平問題は益々置き去りにされてしまったと言うのが、ごく手短に見た中東和平の動きか と思います。
今回のテルアビブの集会には、クリントン元大統領も出席したとのことですが、彼は正しくラビンとアラファトが和解をしたところを見守 り、のちにバラクとアラファトの首脳会談を取り持った大統領で、その意味では歴史の証人で、彼が集会に出席したのは、当然のことだろうと思います。
問題は、このような歴史的意味のある集会が、アラブのメディアでは殆どと言うか、全く取り上げられず、又イスラエルの国内でも、y net news の報じる通り、冷たい現実があると言うことだろうと思います。
中東和平が今日まで停滞した最大の理由がイスラエルのかたくなな、と言うか自己利益優先の行動とそれを十分抑えられなかった米国にあることは間違いないと思いますが、アラブ側でも最後まで暴力を否定できなかったことにも責任はあると思います。
そ れよりも何よりも、アラブのインテリとかと話していると、皆同様に「イスラエル人なんて、労働党だろうが、リクードだろうが、変わりはないよ、皆人種差別 主義のシオニストだ」などと、如何にも判ったような言い方をして、労働党、特にラビンやぺレスのように和平に積極的な人達を正当に評価しなかったことに大 きな責任があるような気がします。
アラブ世界でも、報道はされなかったものの、アラブと和解しようとしたラビンを悼む集会とか人々がいればいいのですが、どうでしょうか?無理な期待でしょうかね?
いずれにしても、ラビンの中東和平への努力も、クリントンの協力も、今となっては死児の齢を数えるようなものです。
中東和平は本当に死んでしまったのでしょうかね?
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