未成年の男女を有力者に提供していたことが問題になって7月6日に逮捕され、MCC(メトロポリタン矯正センター)で死亡したジェフリー・エプスタインに関する新たな証言が出てきた。
証言者のアリ・ベンメナシェは1974年から77年にかけてイスラエル軍の情報機関ERD(対外関係局)に所属、87年から89年にかけてはイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めている。
1989年にベンメナシェはイランへ武器を不正に輸出したとしてアメリカで逮捕されているが、これはイランを巡る工作で生じた内部対立が原因。イラン・コントラ事件やイラクゲート事件と呼ばれるスキャンダルが浮上したのも対立による暴露合戦があったからだ。
イランへの武器密輸の背景には、1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが始めたアフガニスタンでの秘密工作がある。アフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を誘い込み、アメリカが訓練して武器/兵器を提供した戦闘員に戦わせるというものだ。
その戦闘員の中心はサウジアラビアが送り込んだサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、パキスタンの情報機関が選んだアフガニスタンの武装勢力も使われた。工作資金はサウジアラビアが提供するほか、パキスタンからアフガニスタンにかけての地域でケシを栽培、それを原料にして作った麻薬のヘロインでも儲けている。
武器密輸や麻薬取引でのカネ儲けに手を出していたグループはふたつで、それぞれアメリカとイスラエルの情報機関が関係している。
この秘密工作はPROMISという不特定多数のターゲットを追跡して情報を収集、蓄積、そして分析するシステムも関係していた。アメリカとイスラエルは別個にそのシステムへトラップドアを組み込んで売りさばいていたのだが、イスラエル版のシステムを販売していた会社の経営者がロバート・マクスウェルだ。
そうした関係でベンメナシェはマクスウェルを1980年頃には知っていたのだが、当時、そのマクスウェルからエプスタインをベンメナシェは紹介されたという。マクスウェルはエプスタインを武器取引へ加えようとしていたようだ。
エプスタインとギスレイン・マクスウェルと会ったのもそのころだとベンメナシェは話している。一般に言われているより10年程前に会っているというのだ。ニューヨーク・ポスト紙の元発行人、スティーブン・ホッフェンバーグによると、ふたりはあるパーティで知り合っている。
その前、1973年から75年にかけてエプスタインはドルトンスクールで数学と物理を教えていたが、76年には投資銀行のベア・スターンズへ転職、その時の顧客の中にエドガー・ブロンフマンがいたという。その父、サミュエル・ブロンフマンは禁酒法時代に密造酒で大儲けしたひとりで、密造酒仲間のルイス・ローゼンスティールやジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問だったロイ・コーンと同じように、有力者のスキャンダルをつかみ、脅してコントロールしていたと言われている。
エプスタインは未成年者を有力者に提供、未成年者との行為を映像などで記録して脅しに使っていたのだが、未成年者との性的な行為が法律で処罰の対象になっていると、脅しは効果的だ。意識をなくした女性をホテルへ連れ込み、性的な行為をしても犯罪にならない国で未成年者との行為を厳しく罰する法律が作られたことは興味深い。
エドガー・ブロンフマンの弟、チャールズ・ブロンフマンが1991年に創設したメガ・グループはイスラエルの情報活動を統括しているという。エドガーもそのグループのメンバーだ。
ベンメナシェによると、エプスタインは1980年頃にはイスラエル軍の情報機関へ入っている。ロバートとギスレインのマクスウェル親子もイスラエル軍情報機関の人間だという。エドガー・ブロンフマンやマクスウェル親子との関係を見ると、エプスタインはイスラエルの情報活動において重要な役割を果たしていた可能性がある。
エプスタインが2005年に逮捕された際、地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、その容疑者は「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。イスラエルの情報機関ということなのかもしれない。