上野の国立博物館に「ハート型の顔の土偶」があるのだが、なんだか、しょんぼりしているように見える。
その原因は、この国の出発に関係しているのかもしれない。
11月23日は勤労感謝の日だったが、もともとは新嘗祭(にいなめさい)、この間の大戦の前には、日本全国の神社で盛大に祭られた。
「新嘗祭」、ここにこそ、この国の本質があった。
新嘗祭は、その年に収穫された新米を神さまに供え、また、天皇自らが召し上がる行事、だから、この国の出発は、水田稲作農耕の農業社会であり、天皇を頂点とするタテ型の社会システムということになる。
それが、長い間の暗黙の了承であり、歴史解釈であったようだ、上野の国立博物館は、まさに、その中心の情報収集センター、だから、これ、あまり歓迎できない・できなかったのかもしれない。
それ以外は、あまり注目されないという流れができてしまった、弥生・古墳時代以前は重要ではないということか、そのひとつが縄文の文化と社会、これで、今までやってきたようだ。
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