さて、縄文の土器や土偶は本当に素晴らしいものなのか、その評価は分かれる。
暗く・野蛮で呪(のろ)いに満ちたグロテスクな作品、それに対して、モダンでユニークでエネルギーに満ちていて、中には、大変な傑作がある、どちらが正しいのでしょう、明治の巨匠・岡倉天心は、縄文文化は、全く価値がないと断言、考古学者の国分直一は、縄文の土器に奇妙なヘンテコリンの模様があるのは、なにもないとヒトは不安になる、そこで土器の表面を模様で埋めたという解釈。
「なにもない」ことは「食べ物がない」ことにつながり、食べ物がなければヒトは生きていけない、まあ、そこまで考えることはないと思うが、そのように解釈したのです、さらに、縄文の土器に大きな目が描かれているのは、「悪霊」を見張るためだというんです、アタマのいい人は、未開で野蛮な社会だと決め付けている、ようです。