副島蒼海・題字
副島蒼海(1828-1905)
佐賀藩士。
大隈重信らと尊王攘夷思想の志士として活動。
伯爵。
政治家、軍人であるが、書家としても名高い。
漢学の素養が深く漢字、漢詩に長じる。
独創性の強い独自の書風で時流を超越した趣のある書を残している。
胆大心小
副島蒼海(1828-1905)
佐賀藩士。
大隈重信らと尊王攘夷思想の志士として活動。
伯爵。
政治家、軍人であるが、書家としても名高い。
漢学の素養が深く漢字、漢詩に長じる。
独創性の強い独自の書風で時流を超越した趣のある書を残している。
胆大心小
高杉晋作(1839-1867)
幕末の尊皇攘夷・討幕運動の志士として名高い。
西行に倣って東行と号した。
吉田松陰門下で久坂玄瑞と並んで松下村塾の双璧と称された。
町人・百姓から募った奇兵隊を編成し、
二度に渡る幕府の長州征伐を不成功に終わらせる原動力とした。
当初、尊皇攘夷を主張したが、下関砲撃事件などを経て、
倒幕・開国を主張するようになる。
詩歌を好み茶を愛し三味線も嗜んだと言う。
晋作も維新を待たずに29歳で夭折する。
この書が晋作11歳の作というから驚かされる。
まさに天賦の才に恵まれていた事が覗える。
踏尽渓山遠訪君話新談旧與忻々客愁塵
幕末の尊皇攘夷・討幕運動の志士として名高い。
西行に倣って東行と号した。
吉田松陰門下で久坂玄瑞と並んで松下村塾の双璧と称された。
町人・百姓から募った奇兵隊を編成し、
二度に渡る幕府の長州征伐を不成功に終わらせる原動力とした。
当初、尊皇攘夷を主張したが、下関砲撃事件などを経て、
倒幕・開国を主張するようになる。
詩歌を好み茶を愛し三味線も嗜んだと言う。
晋作も維新を待たずに29歳で夭折する。
この書が晋作11歳の作というから驚かされる。
まさに天賦の才に恵まれていた事が覗える。
踏尽渓山遠訪君話新談旧與忻々客愁塵
坂本龍馬(1835-1867)
幕末勤皇の志士。
千葉周作に剣を学び、後に、勝海舟に師事した。
長州の久坂玄瑞、薩摩の西郷隆盛、小松帯刃など諸藩の有力者と交友があった。
薩長同盟を画策成立させるなど、倒幕に奔走し、
「船中八策」にて来るべき国家構想を示したが、
明治維新の目前に暗殺される。
豪快奔放の筆致の中に粋を感じる。
雲鶴
幕末勤皇の志士。
千葉周作に剣を学び、後に、勝海舟に師事した。
長州の久坂玄瑞、薩摩の西郷隆盛、小松帯刃など諸藩の有力者と交友があった。
薩長同盟を画策成立させるなど、倒幕に奔走し、
「船中八策」にて来るべき国家構想を示したが、
明治維新の目前に暗殺される。
豪快奔放の筆致の中に粋を感じる。
雲鶴
武田耕雲斎(1803-1865)
幕末の志士。
熱烈な尊皇攘夷論者で自論を貫徹すべく、
慶喜への進言するが捕らえられ斬刑に処せられる。
強烈な個性と意志の堅固さが覗える筆致だ。
故石嶋忠次娘共
居延之義先達而中
幕末の志士。
熱烈な尊皇攘夷論者で自論を貫徹すべく、
慶喜への進言するが捕らえられ斬刑に処せられる。
強烈な個性と意志の堅固さが覗える筆致だ。
故石嶋忠次娘共
居延之義先達而中
佐久間象山(1811-1864)
幼少より才知聡明で天才児の誉れが高かった。
詩文、易学、朱子学、蘭学当に通じ、
海外事情を調べ「海防八策」を著し海防の重要さを進言した。
勝海舟、吉田松陰は彼の高弟であった。
松蔭に海外事情探索の必要性を説き、
松蔭の密航を画策したが失敗し捕らえられる。
獄中、謹慎、放免後を通じ、開国論を唱え、
過激な攘夷派の志士に暗殺される。
力強い豪快な筆致は彼の真骨頂を如舌に示す。
謄々快馬洋装軽信馬離城
不程計背日林間革轡響
遂風提上鉄蹄鳴
幼少より才知聡明で天才児の誉れが高かった。
詩文、易学、朱子学、蘭学当に通じ、
海外事情を調べ「海防八策」を著し海防の重要さを進言した。
勝海舟、吉田松陰は彼の高弟であった。
松蔭に海外事情探索の必要性を説き、
松蔭の密航を画策したが失敗し捕らえられる。
獄中、謹慎、放免後を通じ、開国論を唱え、
過激な攘夷派の志士に暗殺される。
力強い豪快な筆致は彼の真骨頂を如舌に示す。
謄々快馬洋装軽信馬離城
不程計背日林間革轡響
遂風提上鉄蹄鳴
久坂玄瑞(1840-1864)
幕末の志士。
長州藩の尊皇攘夷派の代表的人物。
吉田松陰門下の秀才、妻は松蔭の妹。
蛤御門の変で会津・薩摩藩との戦闘中に戦死。
如何にも秀才らしい才気が迸る書だ。
寒冷之砌ニ御坐候処
起居如何承り候へハ
(御尊母様遠逝)
幕末の志士。
長州藩の尊皇攘夷派の代表的人物。
吉田松陰門下の秀才、妻は松蔭の妹。
蛤御門の変で会津・薩摩藩との戦闘中に戦死。
如何にも秀才らしい才気が迸る書だ。
寒冷之砌ニ御坐候処
起居如何承り候へハ
(御尊母様遠逝)
緒形洪庵(1810-1863)
幕末の蘭学者、医者、教育者。
日本の医学の基礎を築いた功績は高い。
蘭学塾緒方塾を開き一千人の門人を育て、
大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、らの逸才を送り出した。
数多くの医学書を残す。
温厚誠実にして生涯を医に捧げた高い精神性を感じる気骨有る筆致だ。
臨事無為賎丈夫
幕末の蘭学者、医者、教育者。
日本の医学の基礎を築いた功績は高い。
蘭学塾緒方塾を開き一千人の門人を育て、
大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、らの逸才を送り出した。
数多くの医学書を残す。
温厚誠実にして生涯を医に捧げた高い精神性を感じる気骨有る筆致だ。
臨事無為賎丈夫
貫名海屋(1778-1863)
江戸時代末期の儒者、書家、画家。
特に書については市河米庵、巻菱湖と共に幕末の三筆として名高い。
空海の真蹟に心酔しその筆法を習得する。
中国の法帖、日本の古名跡を臨書する事により独自の書風を確立した。
明治になって日下部鳴鶴、厳谷一六らに賞賛され、
以降の書壇に大きな影響を与える。
この書は83才の書であるが若々しい気概に溢れ、
古典を基礎にした迫力ある筆致には一部の隙も無い。
いろはにほへとちりぬるを
江戸時代末期の儒者、書家、画家。
特に書については市河米庵、巻菱湖と共に幕末の三筆として名高い。
空海の真蹟に心酔しその筆法を習得する。
中国の法帖、日本の古名跡を臨書する事により独自の書風を確立した。
明治になって日下部鳴鶴、厳谷一六らに賞賛され、
以降の書壇に大きな影響を与える。
この書は83才の書であるが若々しい気概に溢れ、
古典を基礎にした迫力ある筆致には一部の隙も無い。
いろはにほへとちりぬるを
井伊直弼(1815-1860)
15年に及ぶ部屋住みの間、武術・学問を学び、茶の湯、詩文にも親しんだ。
長兄直亮の養子になり直亮没後藩主となる。
幕府大老として、強引に列国との通商条約を調印し、反対派に対し安政の大獄など武断的な弾圧を断行しがこの強硬な画策に対し反対派の怒りを買い水戸・薩摩の浪士等により暗殺される。
一方で風流を愛した雅味溢れる豊かさのある書だ。
天生丞民氏有物有則民之乗彝好是懿悳
15年に及ぶ部屋住みの間、武術・学問を学び、茶の湯、詩文にも親しんだ。
長兄直亮の養子になり直亮没後藩主となる。
幕府大老として、強引に列国との通商条約を調印し、反対派に対し安政の大獄など武断的な弾圧を断行しがこの強硬な画策に対し反対派の怒りを買い水戸・薩摩の浪士等により暗殺される。
一方で風流を愛した雅味溢れる豊かさのある書だ。
天生丞民氏有物有則民之乗彝好是懿悳