書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

法性寺入道前関白太政大臣

2010-07-08 08:15:47 | Weblog
和田の原 漕ぎ出てみれば ひさかたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波

海原に漕ぎ出すと水平線の彼方は白雲とも白波とも、水と空の境を茫々としているさまはあたかも水天一色風月無辺の如くじゃ。

法性寺入道前関白太政大臣(1097~1164)
藤原忠道。摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。従一位・摂政・関白・太政大臣などを歴任した後、法性寺に隠居し法性寺殿と号す。
白河法皇の養女藤原璋子(後の待賢門院)と忠道との婚姻を断った父に代わり藤原氏長者となり25歳にして鳥羽天皇の関白、その後も崇徳・近衛・後白河の3代に摂政・関白を務める。 忠通は父忠実・弟頼長と対立しこれも保元の乱の一因になっている。
尚、前項の藤原基俊との約束を反故にしたのはこの忠通とされている。