「貧困旅行記」つげ義春 1991/9 読了 ☆☆☆☆
若き日の九州への蒸発行。養老鉱泉の宿の、ミシミシきしむ階段とかしいだ畳。親子三人、ヤドカリを放しにいった外房の大原。薄紫色の夕映えのなか、ちらりとその姿をかいま見せ、幻のように消えてしまった旧甲州街道犬目宿。山ずまいへの断ちがたい憧れを胸に訪ねた山梨の秋山村…。ふらり、村里や宿場、鄙びた漁村や温泉宿に足をのばせば、身も心も解き放たれ、平らかな思いに満たされる。「つげ式」旅行術の深奥を明かす、紀行13篇。(「BOOK」データベースより)
著者が好んで旅した村里や街道や宿場、ひなびた漁村や温泉場などで、そこの人の営みや温もりの感じられる著者の独特の世界が味わえられる。「貧困旅行記」としたのは、貧乏な旅と、旅の内容と自分の内容の貧困に拠るものである、とあとがきで記載。また、自分のことばかり書いて、客観的な描写に欠け、やはり紀行文になっていないように思える、ともあるがそれがよかった。
若き日の九州への蒸発行。養老鉱泉の宿の、ミシミシきしむ階段とかしいだ畳。親子三人、ヤドカリを放しにいった外房の大原。薄紫色の夕映えのなか、ちらりとその姿をかいま見せ、幻のように消えてしまった旧甲州街道犬目宿。山ずまいへの断ちがたい憧れを胸に訪ねた山梨の秋山村…。ふらり、村里や宿場、鄙びた漁村や温泉宿に足をのばせば、身も心も解き放たれ、平らかな思いに満たされる。「つげ式」旅行術の深奥を明かす、紀行13篇。(「BOOK」データベースより)
著者が好んで旅した村里や街道や宿場、ひなびた漁村や温泉場などで、そこの人の営みや温もりの感じられる著者の独特の世界が味わえられる。「貧困旅行記」としたのは、貧乏な旅と、旅の内容と自分の内容の貧困に拠るものである、とあとがきで記載。また、自分のことばかり書いて、客観的な描写に欠け、やはり紀行文になっていないように思える、ともあるがそれがよかった。