下総国・古城の旅 2回の国府台合戦の舞台、国府台城 2018年05月25日 | 千葉 北総鉄道・矢切駅です。矢切の渡しの船を展示しています。松戸市立博物館で「松戸の江戸時代」展を開催中。駅前の笑がおの湯矢切駅駅前ロータリー 松戸街道・県道1号沿いの式場病院の入口。式場病院は千葉にあるのは知ってましたが、たまたま偶然に見つけました。犬も歩けば棒に当たる、です。 有名な式場隆三郎が創設した精神科病院です。式場医師は天才画伯・山下清の才能を見つけ清の活動を支援しました。 式場医師の甥っ子が日本モータースポーツ界の草創期に活躍したレーサーの式場壮吉。壮吉は1963年第1回、翌年の第2回日本グランプリでクラス優勝。とくに第2回グランプリでは式場のポルシェ904は生沢徹のスカイラインGTと激闘を展開し日本レース界の神話ともなっています。壮吉は歌手欧陽菲菲と結婚しました。式場病院は1955年に火災が発生し患者18人が焼死しました。病院はその後再建されています。 国府台(こうのだい)ふれあいの道入口国府台天満宮総寧寺 曹洞宗里見城跡総寧寺の石碑。お寺の名前に城跡と入っているのは奇妙です。 総寧寺の鐘楼 本堂里見公園国府台周辺は戦前は軍隊の街でした。明治中期に陸軍の教育施設・教導団が移設され、次いで砲兵連隊の駐屯地や陸軍病院となって終戦まで続きます。国府台城跡。国府台は江戸川の東岸、下総の入り口に位置し戦略上重要な場所でした。太田道灌の弟・資忠は1479年に国府台城を築いて北方の臼井城を攻撃しました。1538年に古河公方足利政氏の子・足利義明が里見勢を味方に北条を主力とする足利公方家と戦い敗北したのが第1次国府台合戦。1563~4年に里見氏が国府台城に入り北条と再び戦ったのが第2次国府台合戦です。信長・秀吉・家康の戦国時代の歴史のメインストリームに対して関東の歴史は私にはどうも苦手です。大河ドラマでは取り上げられたことがないし、これまで扇谷上杉、足利公方、北条など関東の歴史は誠に不勉強でした。里見氏が2度の国府台合戦の主役であったことから国府台城は里見城ともいわれるようです。藤棚国府台合戦での小弓(足利)義明戦死の図バラサンクガーデン 北原白秋の紫煙草舎羅漢の井 北原白秋の歌碑安藤広重の江戸百景里見公園入口旧陸軍国府台病院、のちの国立国府台病院、現在の国立国際医療研究センター国府台病院門前調剤薬局 東京医科歯科大学教養部市川市立第一中学校県立国府台高校 市川スポーツセンター 和洋女子大学2018年4月看護学部がスタートです。千葉商科大学。臨調委員、税調会長を務めた慶応大学加藤寛教授は慶応を退職後、千葉商大の学長を務めました。陸軍の跡地は東京医科歯科大学、千葉商大、和洋女子大、国府台高校、第一中学となり国府台は学園地帯です。そういえば文京区の茗荷谷周辺も陸軍の跡地で今は大学がたくさんあります。京成電鉄・国府台駅式場病院と千葉商大の広告 « 松戸の旅 空母ホーネットの... | トップ | 駿河台の旅 明治大学駿河台... »
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