あすかパパの色んな話

日々の暮らしの中で思ったことを書き込んでいきます。
今までのように写真、競馬の予想、スポーツネタも続けていきます。

理解し難い岩隈の現状と見えてくる采配の混乱

2012年05月18日 20時34分32秒 | コラム

2年越しの夢を叶えてメジャーリーガーとなった岩隈だが、登板機会に恵まれていない

15日(現地時間)の試合前のこと。狭いボストンのビジタークラブハウスのソファーで横になりながらテレビを見ていたシアトル・マリナーズのブレンダン・ライアンが、突如として起き上がり、慌ててスニーカーを履くと、「テレビを見ておけよ」と言い残して、脱兎(だっと)のごとくクラブハウスから消えた。

 テレビに目を向ければ、フェンウェイ・パーク内で立ちリポートが行なわれている。隣りのソファーに座っていたブレーク・ビーバンが言った。
「おそらくライアンは、あのレポーターの後ろで何かをやるつもりなんだろう」

 確かに実現したら面白かったが、問題があった。リポートは、録画だったのである。
 やがて、戻ってきたライアンは言った。「おい、もうリポートは終わっちゃったのか? 誰もいないぞ」。
 周りにいた選手らはその時、腹を抱えた。

 今のチームには欠かせない存在と言える。彼がいなかったら今頃、連敗を重ねるチームは、いっそう暗い雰囲気になっていたに違いない。彼は意識して道化を演じているわけではないが、天然のキャラクターがチームに癒やしをもたらしている。

■ロングマンの役割を果たすも増えない登板機会

存在感の意味合いはちょっと違うが、今の岩隈久志にとっては、イチローと川崎宗則が同じチームにいることが救いになっているのではないかと想像する。

 彼の置かれた状況を考えたら、1人で乗り切れているかどうか。時間があれば、イチロー、川崎らが声を掛け、ときに気の置けない時間を過ごすことで気持ちを切り替えているように映る。

 今、それほどまで彼の登板機会が少ないのだ。

 開幕から40試合(5月17日現在)が経過したが、岩隈の登板はわずか4試合。内容は以下に記す通りである。

4月20日 対ホワイトソックス 4回1安打1失点
4月28日 対ブルージェイズ  1回3安打4失点
5月7日  対タイガース    3回3安打1失点
5月16日 対インディアンズ  4回3安打1失点

 ロングマンという、先発が早い回で崩れた時、あるいはアクシデントがあった時にマウンドに上がるのが役割である以上、どの投手よりも展開に登板が左右されるのは理解できるが、それでもなかなか名前が呼ばれない。

 彼の登板が多いようでは、先発投手陣が崩壊しているということなので、見方を変えれば、先発が安定しているということなのだろうが、実際は先発が序盤で4~5点を取られながらも中盤まで持ちこたえるケースが多く、5回を越えればほぼ岩隈の登板はないので、こういう形になっていると言える。

 突発的な起用が多いにも関わらず、内容が悪いわけではない。ブルージェイズ戦を除けば、結果も出している。持ち味である緩急とコーナーを使ったピッチングは、若い投手のお手本となりそうだ。


「いろんなことを知っていく意味では、ブルペンでも勉強できる」と岩隈。現状を前向きに捉え、できることに集中している

■見えてこないウェッジ監督の方針

ならば、もう少し違う使われ方をされてもおかしくないが、そこに関して、エリック・ウェッジ監督の方針が見えてこない。

 先日も、7日の試合で右肘に打球を受け、途中降板したビーバンの代わりとして岩隈を13日のヤンキース戦に先発させることを示唆していたが、最終的にはケビン・ミルウッドの先発を前倒しして穴を埋めた。

 そういえば、8日の監督会見が不可解だった。

 米国人記者が「13日は誰を先発にさせるんだ」と聞くと、ウェッジ監督は急に不機嫌になって「重要なことじゃない」と、口を尖らせたのである。

 あれはどういうことだったのか?

 いずれにしても理解に苦しむ岩隈の現状についてジャック・ズレンシックゼネラルマネージャーに聞けば、彼もまた「岩隈を必要とするときはきっと来る」と、曖昧にしか答えなかった。

 考え方を変え、岩隈がリリーフに不慣れだと考えているなら、マイナーから誰かロングマンを昇格させ、岩隈をマイナーで先発させながら、調整させる選択肢はないのか――とも聞いたが、「その考えはない」と明言している。

 その裏には契約上“マイナーに落とせない”という縛りがあるのかどうかも確認したものの、答えは「NO」だった。

「そういう条項はないと理解している」

 なかなか腹を割らないが、考えてみれば今、起用が読めないのは岩隈だけではなく、クローザーのブランドン・リーグ以外のリリーフ投手全員が役割を把握せず、ウェッジ監督のパニック的な起用に振り回されている。

 スティーブ・ディレイバー、トム・ウィリヘルムセンなど、負けゲームでも勝ちゲームでもマウンドに上がり、明らかに登板過多。果たして後半まで持つかどうか……。

■「岩隈の使い方」こそ監督の選手起用、采配の混乱の象徴

もっとも采配の疑問を挙げ始めたら最近はきりがなく、先日のタイガース戦でも、2点を追う9回、無死一、二塁でダスティン・アックリーにバントを命じ、失敗して三振に終わると反撃の勢いがしぼんだが、それについてはシアトル・タイムズ紙のラリー・ストーン記者が、「チームの将来を背負う選手に、なぜバントなど命じたのか? 自分だったらあんなサインは出さない」と明確に批判している。

 こうして見ると、岩隈の使い方というのは、ウェッジ監督の選手起用、采配の混乱の象徴のような一面が伺え、そんな指摘が地元メディアから出始めている。

 例えば、「U.S.S. Mariner」というブログがあり、ここはデータを交えながら、的確にマリナーズの現状を分析することで知られ、地元紙以上に影響力があるが、彼らはもう「ビーバンと岩隈の役割を変えるべきだ」とはっきり書いている。

 彼らに言わせれば、ウェッジ監督は選手の役割を見極める力に欠けるそうで、「あまり意味を持たないキャンプの成績を重視しすぎ」と主張。先のアックリーのバントについては「愚かの極み」と切り捨てていた。

 こんな混乱した状況では、岩隈の役割もしばらくはこのままかもしれないが、彼に「今の自分が何を試されていると思うか?」と聞けば、「我慢の時期なんじゃないでしょうか」と、自分に言い聞かせるように言った。

 その間はできることに集中する。

「いろんなことを知っていく意味では、ブルペンでも勉強できる。あとは気持ち的にはいつでもいける用意をするだけ」

 耐えるしかない現状。岩隈のメジャー1年目は、かくも不透明な中で2カ月を終えようとしている。(スポーツナビ)

熱闘甲子園!栗山采配で日本ハム連勝

2012年05月18日 20時25分59秒 | 野球

九回、ついにマウンドの中心で“甲子園愛”を叫んだ栗山監督に刺激され、日本ハムは交流戦を連勝でスタートした
(セ・パ交流戦、阪神1-4日本ハム、2回戦、日本ハム2勝、17日、甲子園)監督版“熱闘甲子園”だぜ! 日本ハムは17日、阪神2回戦(甲子園)に4-1で勝利。栗山英樹監督(51)が、キャスター時代に高校野球の取材で何度も訪れた“聖地”で躍動した。九回には監督就任後初めてマウンドへ出動するなど、特別な球場で高校球児もビックリの熱血采配を展開。新監督が初の交流戦を連勝でスタートした。

ジッとしていられなかった。3点リードの九回。増井が連打で無死一、二塁のピンチを迎えた。逆転を願う虎党の大歓声のなか、栗山監督はさっそうとマウンドへ向かった。

 「初めてだよね。俺が行くと選手は力が入っちゃうから、行かないようにしていたんだけど。甲子園が動かした? そうなんだろうね」

 今季39試合目にして初のマウンド出動。実は吉井投手コーチに「行ってくれ」と声をかけたものの、「あ、俺が行くわって、自然と動いていた」と“甲子園の土”に招かれるように、ほぼ無意識に飛び出していたのだ。

 「聖地であることを、思い出してほしい。高校のとき全力で、命がけで目指した場所。そこで大人になってやれるんだから。全部出し尽くせ!」

 技術論でも精神論でもない。東京・創価高時代は出場できなかった栗山監督の“甲子園論”。これに奮い立った増井は、後続を見事に断った。

 昨年までの3年間、テレビ朝日系「熱闘甲子園」のメーンキャスターとして大会を取材した。甲子園での練習日となった15日、高校野球開催時の取材エリアの場内通路で、思わず足を止めた。

 「ずっとここで選手を待っていたんだよ。島袋(興南高-中大)、雄星(花巻東高-西武)、吉永(日大三高-早大)…。俺にとっては、甲子園のなかでも“ここ”が特別な場所なんだよ」

 聖地に込めた熱い思い。これに自軍の選手は後押しされ、阪神の選手は気押された。“甲子園愛”で連勝した指揮官は「甲子園から力をもらっていると感じた。阪神と甲子園に感謝したい」と、最後まで感動モードのまま、名残惜しそうに移動のバスに乗り込んだ。(サンスポ)

【プロ野球】移籍選手の交流戦。 山崎武司、杉内俊哉、井川慶が古巣相手に秘める思い

2012年05月18日 20時22分27秒 | コラム

楽天から戦力外通告を受け、10年ぶりに中日に復帰した山崎武司

5月16日から交流戦がスタートしたが、勝敗とは別に交流戦ならではの楽しみがある。それが古巣との対決だ。今季、シーズン開幕の時点で移籍選手は48人(育成1人含む)おり、そのうちリーグを替えた選手は30人。移籍の裏には、チーム事情や様々な思惑が絡んでおり、選手たちにとって交流戦はまさに格好の「恩返し」の場でもある。

 昨年の交流戦でも、打率.326、4本塁打、20打点でMVPに輝いた内川聖一は10年間在籍した横浜からソフトバンクに移籍しての大活躍だった。その中で、ヤフードームで行なわれた古巣との初対決では、レフトスタンドの横浜ファンから痛烈なヤジを浴びた。

「いろいろな声が聞こえてきました。覚悟はしていましたけど……あれでモヤモヤしていたものが晴れました。正直、踏ん切りがついた部分もありました」

 場所を横浜スタジアムに変えて行なわれた第2ラウンドで、内川は見事にホームランを放った。ダイヤモンドを一周しながら高々と拳を突き上げた姿に、内川の思いが伝わってきた。

 そして今年、古巣との対決に誰よりも強い意欲を燃やしているのが山崎武司(中日)だ。前球団の楽天では、新規参入となった2005年から7年間チームの中心選手として活躍。しかし昨年は打率.229、11本塁打、48打点の結果に終わり、戦力外通告を受けた。球団からコーチ要請の話もあったが、現役続行にこだわり中日に復帰した。

 楽天とのオープン戦では塩見貴洋から一発を放ち、「今日は公式戦のような緊張感があった。120%のフルスイングでホームランを打ってやろうと、気合いも入っていた。今日のこれをKスタでもできるように頑張りたい。田中将大の結婚祝いに打ってやろうかな」とスタンドを沸かせたが、笑顔の裏には古巣への思いがあった。

「最初、楽天に来たときは、チームのためというより、自分自身やるだけやってダメだったらユニフォームを脱ごうと思っていました。でも、結果的に活躍することができて、野球の面白さも知ったし、ファンの方との絆も深まりました。正直、チームを離れる時は寂しかった。僕にとって楽天はやはり特別なチームなんです。だからKスタで行なわれる楽天戦は、なんとしてもバッターボックスに立って、ファンの方にプレイしているところを見てもらいたい」

 山崎は4月25日からインフルエンザ感染のため登録を抹消されていたが、5月10日に一軍復帰。パ・リーグの本拠地で行なわれる試合はDH制が採用されるため、ブランコとの併用も可能になり、爆発に大きな期待がかかる。Kスタでの楽天×中日戦は、5月22、23日に行なわれる。

また、ソフトバンクから巨人に移籍した杉内俊哉も、古巣相手にどんなピッチングを見せるのか興味深い。

 今年3月、ヤフードームで行なわれたソフトバンクとのオープン戦では、長谷川勇也、ペーニャに一発を浴びるなど5回7失点と打ち込まれた。「(ヤフードームの)三塁ベンチから出て行くのは違和感があったし、力んでしまった。久々にマウンドで焦った」と経験豊富な杉内でさえも、古巣相手に普段の精神状態ではいられなかった。それでも「僕は打たれるのは嫌。次は絶対にリベンジしたい」と語り、再戦を心待ちにしている。

 5月16日現在、杉内は勝利数(4勝)、防御率(1.20)でリーグトップをマークするなど、実力をいかんなく発揮。このまま順調にいけば、6月5、6日に行なわれるヤフードームでのソフトバンク戦での登板が濃厚で、来るべき時に向けて準備は万端だ。

 そしてもうひとり注目したいのが、かつて阪神のエースとして活躍し、6年ぶりに日本球界に復帰した井川慶(オリックス)だ。5月9日のソフトバンク戦で一軍登板を果たした井川だが、その前にウエスタンリーグで古巣相手に甲子園凱旋を果たしている。この時は6回を1失点と好投し、一軍昇格に弾みをつけた。試合後、「お客さんから歓声があって、正直嬉しかった」と甲子園での登板を振り返った井川だったが、日本球界復帰に際し、古巣への復帰も考えていたという。

「岡田(彰布)監督をはじめ、いちばん熱心に誘ってくれたのがオリックスだったので入団を決めました。でも、もしセ・リーグだったら阪神に復帰していたと思う。僕を育ててくれた球団なので……」

 その井川だが、一軍復帰登板となったソフトバンク戦で負傷し登録抹消となったが、岡田彰布監督が「もともと1回投げさせたら(登録を)抹消しようと思っていた」と語ったように、予定通りの抹消だった。では、次の登板予定はいつなのか? 幸いケガは軽症で、抹消期間が最も短い10日間で済めば、5月22日から京セラドームで行なわれる阪神との2連戦が有力になる。2年連続最下位で交流戦に突入したチームにとっても起爆剤が必要で、井川が古巣を叩いて勝利を挙げれば、大きな弾みになるだろう。

 もちろんこの3選手以外にも、古巣に対して特別な思いを抱いている選手は多いだろう。華やかな舞台の裏で、男たちの感情が交錯する交流戦。勝敗だけでなく、人間ドラマも楽しみたい。(スポルディーバ Web)


ザッケローニ監督、本田は「状態をチェックし可能なら起用したい」

2012年05月18日 20時18分06秒 | サッカー
日本サッカー協会は18日、静岡エコパスタジアムで23日に開催する「キリンチャレンジカップ2012 対アゼルバイジャン代表戦」の日本代表メンバーを発表した。

 アルベルト・ザッケローニ監督は会見で、試合にあたる意気込みと狙いについて述べている。

「最初は大学生と練習試合ができればと思っていたが、カレンダーを見た上で、最終予選の前に一つ試合を入れたほうがいいのではと思い、入れてもらった。大きな目的としては、5月頭にシーズンが終わっている海外組に、6月の試合の前に試合勘を取り戻してほしいということ。リーグ戦が早く終わった選手にこの試合の意味がある」

また、約9カ月ぶりに代表に復帰したMF本田圭佑については、「去年の8月から、我々のもとでプレーしていないので、状態をチェックしたい。今日、明日とトレーニングをしてコンディションをチェックし、スタッフや本人と話をして試合に出られるようであれば、ぜひ使いたい」と、起用を示唆している。(SOCCER KING)

松坂、手術後初七回投げる!松井秀は無安打

2012年05月18日 20時16分42秒 | 野球

1回、松坂(手前)は松井秀を一ゴロに打ち取った=ダ-ラム

ダーラム5-0ポータケット(17日、ダーラム)レイズ傘下3A・ダーラムの松井秀喜外野手は「4番・指名打者」で出場し、3打数無安打。レッドソックス傘下3A・ポータケット先発の松坂大輔は、右ひじ手術後初の七回二死まで95球を投げ、7安打、3奪三振、1死球、5失点(自責4)で負け投手。2年ぶりに実現した対決は一ゴロ、左飛、打撃妨害だった。

雨で57分遅れて試合開始。3A3度目のマウンドに立った松坂は初回、フェルシアーノに右翼ポール際に先頭打者弾を被弾。一死一塁で迎えた松井との対決は、併殺打にはならなかったものの、一ゴロに打ち取った。

 三回、二死から死球をぶつけ、松井と2度目の対決。3球連続でボールとなったが、カウント3-0からの外角球を松井が打ちにいき左飛。

 六回、一死一塁で3度目の対戦。松坂が遊ゴロ併殺打に打ち取ったが、前日に続き捕手のミットがバットに当たり、打撃妨害で一、二塁に。続くリグレーに内角球を左翼のブルーモンスターを越える3ランを浴びた。

 右ひじ手術後初めて七回のマウンドに上がったが、先頭のフィゲロアに右翼線への三塁打を打たれ、9番のアコスタ中犠飛で5点目。フェリシアーノを投ゴロに打ち取ったところでマウンドを降りた。

 松井秀は八回、2番手の右腕・ペーニャからあと50センチで本塁打という超特大の打球を放つも中堅・林がジャンピングキャッチ。3A3戦目は無安打に終わった。(サンスポ)

日本代表メンバー発表!!本田復帰、長谷川初選出

2012年05月18日 20時13分34秒 | サッカー


日本サッカー協会は18日、23日のキリンチャレンジ杯・アゼルバイジャン戦(エコパ)に臨む日本代表メンバー23人を発表した。MF長谷川アーリアジャスール(F東京)がA代表初選出となったほか、相次ぐケガの影響で代表から遠ざかっていたMF本田圭佑(CSKAモスクワ)が、途中離脱した昨年9月のW杯アジア3次予選以来、約9か月ぶりの代表復帰を果たした。

 原博実技術委員長はアゼルバイジャン戦の2日後にJ1第13節を控えるG大阪、鳥栖、名古屋、C大阪について「Jリーグの実行委員会で、5月25日に試合が入っているチームの選手は23日の試合をやらせないという前提があって、この試合を入れた。月火(21、22日)の練習だけ参加する案もあったが、試合に出られる選手だけでやろうということになり、その4チームからは呼んでいない」と説明。DF今野泰幸(G大阪)、MF遠藤保仁(G大阪)、MF清武弘嗣(C大阪)、MF藤本淳吾(名古屋)らは、これも理由で招集されなかったとみられる。

 また、エールディビジのプレーオフが20日に控えるDF吉田麻也(VVV)、FWハーフナー・マイク(フィテッセ)も招集を見送った。アルベルト・ザッケローニ監督は「先のことも考えて、この2人は休みを取れていないし、他の欧州組の選手も1週間弱は休みを取っているので、2、3日は休みを与えないといけない。他のメンバーでもコンディションをチェックしないといけない選手もいるので、この試合には招集しなかった」と説明した。

 3月29日のW杯アジア3次予選のメンバーからは上記以外で、故障離脱中のFW李忠成(サウサンプトン)のほか、GK山本海人(清水)、MF増田誓志(鹿島)、MF柏木陽介(浦和)、FW乾貴士(ボーフム)も選考から外れた。

 6月のW杯アジア最終予選3連戦前のラストゲーム。「欧州組が最終予選の3試合に入る前に試合勘を取り戻させたい。その意味で、リーグ戦が早く終わった選手にこそ意味があると思う」。そう指摘した指揮官は「海外組のコンディションのチェックとともに、Jリーグで最近いいパフォーマンスを見せている選手も手元に置いて確認したい」と、テストマッチの狙いを語った。

▽GK
川島永嗣(リールス)
西川周作(広島)
権田修一(F東京)

▽DF
駒野友一(磐田)
栗原勇蔵(横浜FM)
徳永悠平(F東京)
伊野波雅彦(神戸)
長友佑都(インテル)
槙野智章(浦和)
内田篤人(シャルケ04)
酒井宏樹(柏)

▽MF
中村憲剛(川崎F)
長谷部誠(ボルフスブルク)
細貝萌(アウクスブルク)
本田圭佑(CSKAモスクワ)
高橋秀人(F東京)
長谷川アーリアジャスール(F東京)

▽FW
前田遼一(磐田)
岡崎慎司(シュツットガルト)
森本貴幸(ノバラ)
香川真司(ドルトムント)
原口元気(浦和)
宮市亮(ボルトン) (ゲキサカ)

未来の落合博満や野茂英雄のため、プロ野球界は育成システムの強化を!

2012年05月18日 06時03分27秒 | コラム

昨年まで和田毅がつけていたホークスのエースナンバー「21」を背負う千賀滉大。2度の1軍登板は自滅の形となったが、19歳右腕の可能性は首脳陣も認めている。

5月11日、0.5ゲーム差の中にいる1位ロッテと3位ソフトバンクの首位攻防戦を見にQVCマリンフィールドまでやって来たのは、予告先発で「ソフトバンク→千賀滉大」とあったからだ。

 千賀がどんな選手か知らない人もいると思う。“本ちゃん”のドラフトで指名された選手ではないからだ。2010年の育成ドラフト4位で入団……1位ならわかるけど、4位です。これだけでいかに無名だったかわかる。出身高校も無名の蒲郡高で、千賀がいた'10年は愛知大会3回戦で岡崎商に1対7で敗れている(2回戦から出場)。

 この日の両軍スターティングメンバー18人のうち育成ドラフト出身は千賀以外にもいた。ロッテの1番打者で、昨年のゴールデングラブ賞受賞者の岡田幸文がそうで、何と'08年の育成ドラフト6位で入団している。

渡邉元巨人オーナーの鶴の一声で始まった育成制度。

元巨人球団代表・清武英利氏の著書『巨魁』(WAC刊)によると、この育成システム、元々は川島廣守コミッショナー('98~'04年在職)が渡邉恒雄・巨人オーナー(当時)の「支配下選手70人枠の撤廃」発言を受けて、'02年11月8日のオーナー会議で「(それを)やらないとプロ野球の将来がないことは明白だ」と発言したことから始まる。

 巨人オーナーのプランだけに資力のあるチームとの連携が考えられたが、これに真っ先に賛同したのは最も資力のないチームと言われる広島の当時オーナー、松田耕平である。早速、鈴木清明・広島常務が「70人の支配下選手に加え、準支配下選手と育成選手(練習生)の身分で枠外の選手を保有する」というプランを作成し、これに同じ思想を持っていた清武・巨人球団代表(当時)、瀬戸山隆三・ロッテ球団代表(当時)が同調し、紆余曲折を経たのち育成制度が'05年からスタートした。

 清武氏は同書に「新人ドラフトでアマの有名選手を指名するのは、宝石店で保証書付きのダイヤモンドを買うようなものだ。一方、入団テストでスターを見つけるのは、浜辺でダイヤモンドを探すのに近い」と書いている。

育成ドラフト出身者が主力に成長する確率は低いが……。

アマチュア野球を見続けている私には、この発言が痛いほどよくわかる。

 たとえば、'11年のドラフトで指名された72人を私はほとんど知っている。見たことも聞いたこともない選手は3人しかいない。ところが、ドラフト会議のあと時間を置かずに行なわれる育成ドラフトで指名された26人のうち、14人は見たことも聞いたこともない選手だ。

「見たことも聞いたこともない」多くが日本の独立リーグの選手たちで、彼ら独立リーグ出身で活躍する選手は、「活躍基準」を下げても内村賢介(北信越BCリーグ/石川→楽天 '07年育成1位)、角中勝也(四国アイランドリーグ/高知→ロッテ '06年7巡)、金無英(四国・九州アイランドリーグ/福岡→ソフトバンク '08年6位)くらいしかいない。独立リーグの選手が多くを占める育成ドラフト出身で活躍する選手が少ないのは当然である。

 これまで育成出身で主力選手になったのは次の選手たちだ。

◇'05年……山口鉄也(投手・巨人1位) 
◇'06年……中村真人(外野手・楽天2位)、松本哲也(外野手・巨人3位)、山田大樹(投手・ソフトバンク1位) 
◇'07年……内村賢介(内野手・楽天1位) 
◇'08年……岡田幸文(外野手・ロッテ6位) 
◇'09年……国吉佑樹(投手・横浜1位)

 過去7年で131人が育成ドラフトで指名され、一軍の戦力になっているのはわずか7人。成功率は約5パーセントである。そんなに活躍する選手が少ないならやめちまえ、と言う人がきっといると思う。しかし、今後この制度がなければ生み出されないであろう選手がいて、そういう中に本来は日本の野球界を背負って立つ選手がいるかもしれないと思うと、私にはとても「やめちまえ」とは言えない。

育成システムは埋もれた才能の受け皿であるべき。

今縮小している社会人野球がもし'70~'80年代から縮小していたら、東洋大を半年で辞め、帰郷した秋田のボウリング場で働いていた落合博満(東芝府中→ロッテ '78年3位)や、無名の高校時代を過ごした野茂英雄(新日鉄堺→近鉄 '89年1位)のプロ入りはなかったかもしれない。当時、広大な裾野を持つ「社会人野球」という受け皿があって初めて、落合も野茂もたっぷり蓄えていた潜在能力を発揮することができたのである。

 今、社会人野球は長引く不況を受けて数を減らし、'63(昭和38)年には237あった企業チームが'11年には83まで数を減らしている(日本野球連盟ホームページ「加盟チームの推移」より)。日本の野球界のために受け皿になっていた社会人野球が低迷しているなら、今度はプロ野球が選手の受け皿になってやろうじゃないか――育成システムにはそういうプロ野球人たちの意気込みが感じられるのである。

プロと社会人の垣根を取り払う、レンタル制度の検討を。

私案だが、社会人野球とプロ野球の間にある垣根はもっと低くしたほうがいいと思っている。野球選手には稀に「超」の字がつくほど遅咲きの選手がいる。現在なら、三橋尚文投手(JFE東日本・32歳)がその典型で、今年の3月12日に行われたスポニチ大会、JR東日本東北戦ではノーヒットノーランを達成している。

 ストレートはゆうに150キロを超え、コントロールが安定し、変化球のキレ味も抜群。しかし、32歳という年齢を考えると、三橋がドラフトで指名されるのはかなり困難である。三橋がドラフトで指名されるには、プロ野球の一軍で高い確率で戦力になると信じられることが重要である。そのためには、アマチュアの身分でもプロの試合に出場できる、“レンタル”制度を立ち上げればいい。

 プロ野球のシーズン中、二軍から一軍に選手を昇格するように、社会人の選手を一軍の試合に出場できるようにすれば、その選手の力量は容易に判断できる。社会人野球がチーム数を減らし、少ないチームに好素材の選手が満杯状態に詰め込まれているなら、実力上位の選手がプロに入れるように環境を整備するのは、これまで数多くの恩恵を受けてきたプロ野球のなすべきことである。レンタル制度はそういう需要に応えることができる。

 なお、この話に独立リーグを加えていないのは、同リーグに開かれているプロ入りの門戸が、育成ドラフトによってかなり広くなっているからだ。反対に社会人野球は、統括する日本野球連盟が「社会人選手を育成ドラフトで指名するのはNO!」と昨年プロ側に通告したため、現在は同連盟傘下の選手を育成ドラフトで指名することができない。

「本人とチームの監督が承認すれば育成ドラフトで指名してもいい」というのが知り合いのスカウト氏の意見で、私も異論はない。これにはセカンドキャリアなど様々な問題が絡んできて簡単にはいかない話だが、見直しを是非検討してもらいたい。

未知の才能を発掘するためのシステム整備が必要だ。

これまで散々、野球界の構造改革の私案を提案したが、目利きのスカウトがいればすべて解決する話だと、言う人がいるかもしれない。三橋が活躍するしないを確実に判断できれば、レンタル制度なんて面倒なことを引っ張り出す必要はないし、育成ドラフトだって必要ない。高い確率で活躍できる選手を毎年3、4人獲得すれば、支配下登録選手だって60人で大丈夫だ、と。

『巨魁』の著者、清武氏は同書の中で'08年の新人王、育成ドラフト出身の山口鉄也がここまで伸びることを予期していた者はいるか、スカウト会議の最中に質問したことがあると書いている。

 山下哲治スカウト部長はそれに対して「スカウトの名誉のためにも申し上げますが、彼の素質をわが方も含め、だれも見抜けなかったということですよ」と答えている。

 清武氏は「若者の可能性、飛躍的成長はどんな目利きにも予測できないということだ」と書き、目利きが予測できないなら制度で補うしかないと、育成システムを立ち上げる必要性を説くのである。こういう考え方こそ、今のプロ野球関係者は持つべきである。

千賀滉大の才気溢れる投球から伝わってきたもの。

ここまでに書いたことを私は5月11日、ロッテ対ソフトバンク戦が行なわれているQVCマリンフィールドのバックネット裏で考えていた。選手のプレーを見ていなかったのではない。千賀滉大のピッチングを見ているうちに、そういう考えがどんどん湧いてきたのである。

 千賀は先発しながら2回途中で降板している。成績は1回3分の0を投げて被安打3、与四球4、失点4と散々である。ゲーム終了後、秋山幸二監督から二軍降格を宣告され、出場選手登録を抹消されている。

 しかし、私には素晴らしさばかりが印象に残った。打者の手元で伸びるストレートは最速149キロを計測し、縦に割れるスライダーは不必要な横ブレを排除し、打者の腰を折るようなキレ味で落ち込んでくる。そういう質のいいボールは、投球フォームがよくないと投げられない。

 投げ始めから投げたボールが捕手のミットに収まるまでに要するタイムは、涌井秀章(西武)クラスのゆったり感で2.4秒ほど。じっくり体重を軸足にかけ、やはりゆったりとした体重移動でステップ幅も十分取って、オーバースローから投げ込んでくる。

若さゆえの荒さは目立つが、素材のよさはドラ1級。

 1回裏、井口資仁の顔面近くを激しく襲う146キロを投げてヒヤッとさせたが、これは抜けたというより、意図的に“その近辺”を狙ったボールだろう。当てないで顔面近くに投げる程度のコントロールはフォームがいいので可能だと思う。

 それでいて4四球を与えたのは若さのせいである。サブロー、角中、里崎智也はいずれも3ボール2ストライクのカウントから歩かせたもので、ノーコンではなく根負けと言ったほうが適切。また、根元俊一には148キロストレートを中前打、井口には130キロの縦割れスライダーを右中間安打され、これで投げる球がなくなったと思ってしまった。そのあとにサブロー、角中にフルカウントから連続四球を献上してピンチを広げてしまったが、もっと自信を持って投げることが千賀には必要だと思った。

 選抜甲子園期間中、永山勝ソフトバンクスカウト部長から「今、千賀がアマチュアの選手なら、間違いなくドラフト1位で指名されますよ」と自信を持って言われたことを思い出す。それだけの素材のよさは確かに伝わってきた。一軍に復帰したときどんなピッチングをするのか今から本当に楽しみでならない。(Number Web)


【オークス】ジェンティル2冠へ7枠14番!

2012年05月18日 05時50分49秒 | 競馬の話題

桜花賞を制したジェンティルドンナ。14番枠から2冠を狙う!馬券は19日から全国発売開始

20日に東京競馬場で行われる牝馬3冠クラシックの第二弾「第73回オークス」(GI、東京11R、3歳牝、オープン、定量、芝2400メートル、1着賞金9700万円)の枠順が確定した。

 桜花賞馬ジェンティルドンナは7枠14番、同レース2着ヴィルシーナは5枠9番、同3着のアイムユアーズは1枠1番、トライアルのサンスポ賞フローラS勝ちのミッドサマーフェアは4枠8番、昨年のオークス優勝馬エリンコートを輩出した忘れな草賞勝ちのキャトルフィーユは8枠16番にそれぞれ決まった。

 枠順は17日(木)に確定したが、勝ち馬投票券の金曜日発売はなく、19日からJRAの競馬場、ウインズ等で全国発売する。

 オークスは20日、東京競馬場(11R)、午後3時40分にスタートが切られる。(サンスポ)

清武「真司君が活躍できるのなら、自分も絶対できる」

2012年05月18日 05時34分38秒 | サッカー


ニュルンベルクへの移籍が発表されたセレッソ大阪のMF清武弘嗣が17日、記者会見を行なった。

 冒頭に「このたび、セレッソからニュルンベルクに移籍が決まりました。とても迷いましたが、チャレンジするということで、移籍しようと思いました。でもまだ1カ月セレッソに残りますし、セレッソのためにしっかり戦いたいと思っているので、よろしくお願いします」と挨拶した。

 そして、これまで応援したサポーターに向けて「移籍にあたって、今年8番を着けさせていただいていながら、あんまり結果も残せていないですし、セレッソに(今シーズン)最後まで残るかというのも今週まで迷っていたんですけれど…。このタイミングで発表して、サポーターの皆さんやスポンサーの皆さんには、本当に裏切った気持ちで、そんな感じで思ってもいます。まずは自分が結果を残していないですし、その中で移籍をするというのは、正直すごく苦しみました。スポンサーやサポーターの皆さんには本当に感謝していますし、これからも応援してほしいなと思ってます」と語っている。

 7月1日からはニュルンベルクの選手となる清武をJリーグで見られるのは、あと1カ月。6月30日の浦和戦がラストマッチとなる予定だ。

 以下、クラブ発表の会見の質疑応答

―移籍にあたって先ほど「迷い」という部分がありましたが、どんなところで一番迷ったのですか?
「そうですね。今年はセレッソ3年目で、中心選手としてスタートし、森島さんや真司君がつけていた8番を着けさせていただいていながら、結果も残していないのに(海外に)行くのはどうかな、というのは自分の中ではずっとありましたし、そういうので迷っていました」

―その中で移籍を決断したその理由と言うのはどういったところにありますか?
「ずっと自分が迷っていて、初めて嫁さんに相談したんですけど、『悪いときもあればいいときもある』って言われて、『チャレンジすることがすごく大事』と初めて自分に意見してくれたんで、それが最終的に決め手だったと思います」

―実際、海外でのプレーとなりますが、海外でプレーしたいと思ったのは、いつ頃からですか?
「僕はあんまり海外意識とか無くて、セレッソに来ても無かったですし、去年の夏ぐらいからそういう話がちょっとずつ出るようになって、そこから意識し始めたというか、ここ1年くらいですかね」

―その中で、元チームメイトの香川(真司)選手だったり、乾(貴士)選手だったり、いろんな一緒でやってきた選手が海外に移籍されましたけれども、そのへんの刺激というのも多少ありましたか?
「真司君があれだけすごい活躍をして、家長(昭博)君も行って、乾君も行って、というのを見てれば、次は僕だなとは自然に思っていました」

―さきほどの話に戻りますが、家族の言葉が最後の後押しになったというところですけれども、ご家族とは今後どう暮らす考えですか?
「たぶん一緒に行くと思いますし、自分がいろいろ迷っていても、家族が不安になるだけですし…。自分がしっかりしないといけないなと思います」

―その中で決断をされたこの時期、ロンドン五輪であったり、W杯のアジア最終予選が控える中、ここで決断するというのは、ご自身どのように考えられましたか?
「本当はもうちょっと結果を残してから発表したかったんですけれど。でも、なんか自分の心の中でモヤモヤしてたんで、これからはちょっとスッキリして、プレーに集中したいなと思います」

―少し先の話になりますが、ニュルンベルクというクラブに移籍するにあたり、まずチームのイメージと言うか、知っている部分をお話しいただければと思います。
「あまり知らないですね。試合は何試合か見てるんですけど、すごく『蹴る』イメージというか、いつもこう(ボールが)中盤の頭の上を越えてるサッカーなんで、まあどうなんだろうと思いますけど。そういう流れを変えるためにも自分が行くんだと思ってますし、だから活躍したいなと思います」

―ドイツリーグ「ブンデスリーガ」というのは、どのようなイメージをお持ちですか?
「あんまり分からないですね。真司君が活躍しているくらいです。真司君が活躍できるのなら、自分も絶対できると思いますし、そのぐらいの自信を持って行きたいなと思います」

―実際ドイツでプレーするとき、自分はどういうプレーをしたい、どういうプレーをしていこうというイメージがありますか?
「攻撃の選手なんで、セレッソでもそうですけど、常にゴールを目指して点に絡めるようなプレーができれば一番じゃないかなと思います」

―海外に行きますけれども、海外で対戦してみたい選手だったり、クラブというのはあったりしますか?
「全然ないです。(憧れだったりとかは?)全然ないです」

―実際にブンデスリーガには、たくさんの日本人選手がいますけれども、そういったところの話などはあったんですか?
「あんまり乾君だとか、真司君とかしか話してないですけど、ドイツはすごく住みやすいと聞いていますし、プレーしやすいっていうのも聞いています。そういう面では、すごく環境はいいのかなと思います」

―実際にそのアドバイスというのは、プレーであったり、生活であったりというのは具体的には何か聞きましたか?
「どうですかね。いや、そこまでは全然詳しくは聞いてないんで…。まあ、たまに話すぐらいで、『日本の方が楽しいよ』とは言っていました」

―家族を一緒に連れて行くというお話ですけども、家族の反応というのはどのように?
「そうですね。むしろ俺より楽しんでるかのような感じです。自分がビビってるだけで、家族は全然。子供は小さいですし、嫁さんは全然気にしてないというか、『楽しみだね』というのは言ってますけど」

―清武選手のご両親含めてというところは、どういったお話があったんですか?
「行かないより行った方がすごい経験になりますし、これからのサッカー人生を考えても海外でプレーするってことはすごく経験になると思うので、そういうチャレンジをしてこいってのは、いつも言われていました」

―ドイツに向けてのそのチャレンジというもくろみと、今後残り少ないかもしれませんがセレッソで戦う試合、両方の思いを教えてください。
「まだセレッソの選手ですし、自分ができることをあと残りの試合はしっかりして、全部勝つつもりでやりたいなと思います。ドイツに行ったら、まだまだわからないことがたくさんありますけど、遠慮せずにガンガン行ければいいなと思います」

―ニュルンベルクだけじゃなくて他のクラブからも関心を持たれいてたと思うんですけど、その中でニュルンベルクに行くことを決断した理由というのは、どこにありますか?
「そうですね。去年の夏ぐらいからずっとニュルンベルグが誘ってくれていましたし、今年もでした。だから一番熱意が伝わったというか、自分はそういうクラブに行きたかったんで。だから、ずっと言ってくれていたニュルンベルクに決めました」

―さきほど奥様にご相談されたとおっしゃってましたけど、いつどういうタイミングで相談しようと考えられたのでしょうか?
「今年あんまり自分のプレーに納得していないですし、最近チームも2連敗していて、この前引き分けましたけど、そういう状況で自分がすごく悩んでいるときに話をしました。そうしたらそういう言葉が返ってきたので、『そうなんやろなあ』と思っています」

―大分トリニータからセレッソに来られて2年半近く、結構濃い期間だったと思うんですけど、改めて振りかえって、清武選手の中でどのような期間になったか教えてください。
「正直、最初セレッソに来る前も来たときも不安でいっぱいだったんですけど、セレッソというチームはすごく若いチームですし、みんな温かくて、みんないい人だったんで、すごくいいチームに入ってよかったなと思います。最初は真司君がいて、乾君がいて、家長君がいて、出られない時期がたくさんありましたけど、その中でもセレッソの選手・サブのみんなが腐らずやっているのを見たら、自分もひとり腐ることはできないなと思いました。だからそういう部分ですごくいい経験になりましたし、自分もこのセレッソですごく強くなれたなと思います」

―セレッソから香川選手だったり、乾選手だったり、家長選手だったりとかが、海外に行っていますが、クラブの海外に行きやすい雰囲気だとか、そういう部分とかはどう思っていますか?
「そうですね。毎年みんなが行っていましたが、正直、自分はすごく迷いましたね。最初は行く気だったんですけど、途中でやっぱりどうしようって思いましたし。真司君、乾君、家長君は、なにかしらチームにとって結果を残して行ってたんで、自分は今年まだ結果を残してないですし、そういう中で行くっていうのはどうなんやろってすごく思っています。みんな結果を残して行ってるけど、自分は残してないんで、そこはあと1カ月で結果を残せるように、がんばろうかなと思います」

―今、自分のプレーで、ドイツで通用するなと思う部分と、あとはここが課題だなと思う部分は、どういうところがありますか?
「あんまりドイツのサッカーはわからないです。(自分の具体的にどういうプレーを出せたらと思いますか?)得点に絡めるプレーができればいいんじゃないかと思います。(よくパスが評価されていますけど?)どうですかね。まあゴールには、こだわりたいなと思います」

―U-23日本代表でオリンピックもありますが、このあたりの兼ね合いはどうなっていますか?
「オリンピックは出られますし、あとはメンバー発表を待つだけです」

―今、海外でプレーしている日本人選手の中には、たとえば香川選手でしたらバルセロナに行きたいとか、本田選手でしたらレアルマドリードに行きたいとか、そういった目標を持っている人もいます。清武選手自身の中で将来的に、たとえばこのリーグ、このチームでプレーしたい、ここまでのぼりつめてみたいという、なにか目標みたいなものはあるのでしょうか」
「ないです。(なぜないのですか?)わからないです。まあ、目の前にあることを一個ずつやれればいいなと思います」

―さきほどニュルンベルクは中盤の頭を越えていくようなサッカーも、という話でしたが、そういうところにわかって行くというのは、その中でも自分の強みが出せるという自信もかなりあると捉えていいのですか?
「どうですかね。自分が入ってつなげればいいと思いますし、別にそういうサッカーも嫌いじゃないです」

―ニュルンベルクの、たとえばテクニカルディレクターだとか、監督からかけられた言葉、期待の言葉などは何かありましたか?
「本当に来てほしいというのはすごく伝わりましたし、自分が入ることでチームを変えられる力があると思うので、そういうのは期待されているなと思います」

―この移籍に関して、チームメイトもしくはセルジオ・ソアレス監督から言葉をかけられたり、話されたことがあれば教えてください。
「まだ監督とは話してはないんですが、チームメイトは新聞にも載っていましたし、いろいろ知っているわけで、祝福してくれました。あとは監督と話せればいいなと思います」

―セレッソに来る前、8年間トリニータで過ごされたと思いますけど、トリニータに対して思うことを今、お話しいただけますか?
「トリニータには自分が中学3年のときに取っていただいて、すごく感謝していますし、高校3年生のときに一年間サッカーしていない中で、トップチームに上げてくれたということは、すごく感謝しています。J2に落ちて自分がチームを離れるということはすごく申し訳なかったと思うんですけど、これからどんな形であれトリニータにもセレッソにも恩返しができればいいなと思います」(ゲキサカ)


オーウェン、マンU退団「素晴らしい時間を過ごした」

2012年05月18日 05時29分27秒 | サッカー

マンチェスター・U退団を表明したオーウェン

元イングランド代表FWのマイケル・オーウェンが17日、自身の公式ツイッターでマンチェスター・Uから退団することを明らかにした。

 オーウェンは、「火曜日の親善試合のあと、監督からクラブは契約延長のオファーをしないだろうという話があった。僕は素晴らしいクラブで過ごした3年間を愛しているし、選手、スタッフ、ファンのサポートに感謝すると同時に、彼らの未来の幸運を祈っている。これから短い休暇を取って、その間に次について考えたい」とコメント。

 アレックス・ファーガソン監督は、「マイケルをユナイテッドに迎えたことを光栄に思う。マイケルは素晴らしいプロサッカー選手で、みんなにとって影響力の大きい選手だった。今季は残念ながら怪我の不運に見舞われてしまったが、彼の得点率は素晴らしいもので、この先の幸運を祈っている」とコメントを発表している。

 イングランド代表としても活躍したオーウェンは、2009年の夏にニューカッスルから移籍し、52試合で17得点をマークしていた。(SOCCER KING)