あすかパパの色んな話

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【ドイツ】ブンデスリーガ総括~活躍がめざましかった3人の日本人

2012年05月10日 17時57分23秒 | コラム

フライブルク戦終了後、マイスターシャーレを掲げる香川とドルトムントの選手たち

ブンデスリーガの全日程が終了した。第32節にドルトムントの優勝が決まったこともあり、上位陣にとって、最後の2節はやや気が抜けた感は否めなかった。それでも残留争いは最後までもつれ、ドイツメディアの関心もそちらに注がれた。

 最終節に16位ケルンと17位ヘルタ・ベルリンが入れ替わり、古豪ケルンが自動降格してしまうという波乱もあった。もっともケルンはスポーツディレクターをつとめたフィンケがシーズン途中で去り、監督解任劇もあるなど、お家騒動的な見苦しい状態が続いており、メディアの視線も厳しいものがあった。ポドルスキーのアーセナル移籍も決定しており、来季はガラっとカラーの変わった戦いを見せてくれるだろう。

 さて、今季ブンデスリーガで活躍した日本の3選手についてまとめておきたい。
 
 まず、もっとも成長を見せたのは後半戦からシュツットガルトに新加入した酒井高徳で間違いない。コートジボワール代表のボカがアフリカネーションズカップで欠けたことから、1月中にチャンスがまわってくるかと思われたが、この時は指揮官のおメガネに叶わなかった。だが、2月11日の第21節ヘルタ戦に左サイドバックで先発出場すると、最終節まで連続フル出場を果たした。

 これまでの日本人選手に比べ、圧倒的なチームへの適応力、コミュニケーション能力を見せ、ごく自然にプレイしている。まるで昔からこのチームにいた選手かのように、味方を叱咤、鼓舞し、スタッフや選手とともに喜びをぶつけ合う。同僚の岡崎慎司は「日本でのプレイはあまりよく知らなかったけど、こっちでは本当によくやっている。周りの選手だって、サイドバックがやりやすいようにと考えてプレイしているわけではないのに、その中で、攻撃の際のストロングポイントも本当によく出している。もしかしたらこっちのほうが向いているタイプなのかもしれない」と、感心しきりだ。 

 ミックスゾーンでの取材対応も礼儀正しく、物言いもハキハキしていて分かりやすく、ピッチ内外で高い評価を得ている。最終節ボルフスブルク戦でも2アシストと、逆転勝利に貢献した。

続いて高評価だったのは細貝萌だ。アウフスブルクのクラブ史上初の1部昇格に貢献した昨季よりも、今季はさらに中心選手としプレイ。前半戦は相手の布陣によってサイドバックなども経験したが、最終的にはボランチに落ち着いた。チェルシーに移籍を果たしたブレーメンのマリンや、シャルケのラウル、ドルトムントの香川真司ら、相手の攻撃の中心選手へのマンマークを命じられることもあったが、見事なまでに自由にさせなかった。ドローに持ち込んだホームのドルトムント戦では、キッカー誌のベストイレブンにも選ばれている。

 もっともこのアンカー的なマンマーク、本人はお気に入りではないようで「もっと攻め上がりたかったりする気持ちを抑えて、ボールをさばくことと相手の攻撃の芽をつむことに徹した」などと、憮然とした表情で話すことも多かった。だが、後半戦のチームの安定した戦いぶりは細貝の活躍なくしてあり得なかった。1シーズン、ここまではっきりとチームの中心として過ごしたことは、彼にとっても財産になるだろう。監督の退任がすでに決まっているアウフスブルクに、細貝も残留しないことを早くも公言している。次の行き先は保有権を持つレバークーゼンになるのか、それとも……。

  そして、なんといっても香川真司だ。1年目の活躍を遥かに越え、文字通りチームを優勝に導いた。苦しんだ前半戦は、ゴール前に入れない分プレイスタイルを広げ、今では中盤からの決定的なパスも彼の持ち味の一つとなった。13得点9アシストという数字以上にチームに貢献している。6日に発表されたビルト紙の今季のベストイレブンにも文句なく選ばれている。

 ドイツ国内での注目度も高いことから、あいかわらす去就に関しては連日何かしら報道されている。日本のメディアに対しての発言もドイツメディアで取り上げられ、大きな話題になった。最終節当日には、「試合数時間前にできたツイッターのアカウントで、マンチェスター・ユナイテッド入りを明言した」などという英文の怪文書も出回った。もちろん本人は、これに対して「言っていないです」と断言している。12日のドイツ杯決勝が終わるまで去就については口にしないとしており、まだ先は読めない。

  今季は尻上がりに調子を上げる日本人選手が多く、序盤に比べて華やかな印象でシーズンを締めくくった。来季はさらに数人の日本人が加わるのが決定的、とされている。ブンデスリーガで日本人がある程度通用することはもはや周知の事実。すでにドイツでの期待は高まっている。(スポルディーバ Web)


わずか64球でソフトB退団のペニー「米国に帰ってきて最高!」

2012年05月10日 17時50分30秒 | 野球

ソフトバンクを退団し「米国に帰ってきて最高!!!!!」とつぶやいたブラッド・ペニー投手

ソフトバンクを退団し、米国に帰国したブラッド・ペニー投手が9日、自身のツイッター上で、「米国に帰ってきて最高(原文=It’s great to be back in the states!!!!!)」とつぶやいた。

06年に米大リーグで最多勝に輝くなど、メジャー通算119勝の右腕は、鳴り物入りで今季入団したが、初登板だった4月4日の楽天戦で右肩の痛みを訴え、3回1/3を6失点、64球を投げて降板。結局日本での登板はこの1試合に終わった。

 現地メディアでは、ペニーは米大リーグ復帰へ向けて、すでに交渉を進めているとも報じられている。(デイリースポーツ)



OA候補は異例の6人!憲剛、遠藤、今野、麻也ら

2012年05月10日 17時46分20秒 | サッカー
ロンドン五輪に出場するU―23代表のオーバーエージ(OA)候補が異例の6人にもなる。JFAハウスで9日、Jリーグの強化担当者会議が行われ、日本協会の原博実強化担当技術委員長(53)が6月中旬にFIFAに提出する35人のリストに「OAは5、6人入れる」と各クラブに通達した。

 OA枠は本大会では3人まで。過去はメンバーを絞って“一本釣り”してきた。しかし、08年の北京大会ではFW大久保嘉人(29)=神戸=に所属クラブから断られ、MF遠藤保仁(32)=G大阪=は大会直前のウイルス感染症で辞退と、OA枠を使えず3戦全敗で1次リーグ敗退。多数の候補を挙げるのは、不測の事態に備え、何としてもロンドンでメダルを取るという、関塚監督の執念だ。

 現時点のOA枠候補には、MF中村憲剛(31)=川崎=、MF遠藤、DF吉田麻也(23)=VVV=、DF今野泰幸(29)=G大阪=らの名前が挙がっている見込み。6月下旬にはOAを含めた本登録の18人に補欠の4人が決定する。

 さらに原技術委員長は7月16日から25日までの英国直前合宿で「クラブではなく、できれば他国代表」との2試合の親善試合を行うと明言。関塚監督は「シードクラスの相手とできれば」とメキシコやブラジルなどとの対戦を熱望している。(スポーツ報知)

松井、初実戦で2安打=マイナー練習試合

2012年05月10日 17時44分34秒 | 野球

ツインズのマイナー選手相手の練習試合に出場し、第1打席で内野安打を放つレイズの松井=9日、ポートシャーロット

【ポートシャーロット(米フロリダ州)時事】米大リーグのレイズとマイナー契約した松井秀喜外野手(37)が9日、当地の球団施設でツインズのマイナー選手相手の練習試合に初めて出場し、4打数2安打1打点、1四球だった。
 松井が実戦に臨むのは、アスレチックスでプレーした昨年9月の大リーグ公式戦以来。試合は指名打者の松井に毎回打席が回る変則ルールで行われ、第1打席に一塁強襲安打で打点を挙げ、第2打席で中前打を放つなど5打席に立った。松井は「強く振れていたし、全体的には悪くなかった」と話した。
 松井は今後も練習試合を重ね、ビザ取得後に傘下の3Aダーラムでメジャー昇格を目指す。(時事通信) 

メッシ「グアルディオラ監督をこれからも尊敬、感謝し続ける」

2012年05月10日 06時14分53秒 | サッカー

固い信頼関係で結ばれているグアルディオラ監督(中央)とメッシ(左)

5日に行われたエスパニョールとの“バルセロナ・ダービー”の終盤、これがカンプ・ノウでの最後の指揮となるジョゼップ・グアルディオラ監督と大黒柱のアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが固い握手と熱い抱擁を交わし、チームメートも輪を作って祝福したシーンは、バルセロナにとって本拠地最終戦に相応しい感動を呼んだ。

 これについてメッシ本人が、同試合4点目となるPKを決めた直後にグアルディオラ監督の下に駆け寄った背景を、簡易ブログ『Tencent Weibo』の自身のアカウントを通して説明した。

「とても感情が高ぶる試合だった。“ペップ”(グアルディオラ監督の愛称)との抱擁は、自分の気持ちを伝えるために必要だと感じたから行ったものだ。プロの選手としても人間としても自分に多くのものを与えてくれた彼は、僕のキャリアにとってあまりにも重要な存在となった。“ペップ”のことはこれからもずっと尊敬し、感謝し続ける」(SOCCER KING)

前夜、落球の阿部 汚名返上の2安打2打点

2012年05月10日 06時11分28秒 | 野球
◇セ・リーグ 巨人8―5DeNA(2012年5月9日 東京D)

 巨人はDeNAに打ち勝ち、前夜の悪夢を払しょくした。ホールトンがDeNA・ラミレスに先制2ランを浴びた直後の初回、阿部の適時打で1点を返すと、3回に高橋由の適時打などで逆転。4点リードの6回にも高橋由、阿部にそれぞれこの日、2本目となる適時打が飛び出す。

 中でも阿部は前夜、試合終了かと思われた中村の飛球を落球。その後、同点に追いつかれる大失態を招いただけに汚名返上の活躍となった。

 結局、巨人は8回からホールトンに代わった真田、福田の中継ぎ陣の乱調で3点を失ったものの、辛くも東京ドーム初登場の中畑DeNAを振り切った。

 試合後、原監督は5本のタイムリーが飛び出した打線には「いい形でよかった」と及第点を与えたものの、前夜に続きピンチを招いた中継ぎ陣に苦言。「もう一枚出てきてほしいがなかなかうまくいかない」と勝利にもさえない表情だった。(スポニチアネックス)

猫宣言 リオデジャネイロ五輪を目指す

2012年05月10日 06時09分33秒 | その他スポーツ情報

ラジオ番組に生出演した猫ひろし

カンボジア代表としてのロンドン五輪男子マラソン出場が“取り消し”となったタレント・猫ひろしが9日、都内で、自身がメーンパーソナリティーを務めるレインボータウンFM「猫ひろしのキバRunラジオ」(水曜、後9・00)に生出演した。

猫はカンボジア代表として、2016年、ブラジルで行われるリオデジャネイロ五輪を目指すことを宣言した。猫魂とかかれた赤いTシャツに半ズボン姿で登場した猫は「お騒がせしてます。ヤフートップニュース芸人の猫ひろしです」と第一声。

 夢がかなわず気落ちしているかと思いきや、「4年後、39歳になりますが、体が持つならリオデジャデイロ狙いますよ。カンボジア選手として」と力強く宣言した。(デイリースポーツ)

【プロ野球】古田、稲葉、宮本――名球会3人を輩出した90年代ヤクルトの遺伝子

2012年05月10日 06時05分14秒 | コラム

宮本と稲葉は同期入団で、2000本安打を達成したもの同じ1976試合目だった

5月4日の試合でヤクルトの宮本慎也が史上40人目の2000本安打を達成した。『守備の名手』として誰もが認める宮本の偉業達成はさまざまな点で画期的だったが、もうひとつ驚くべきことがある。

 それは今回の宮本の達成によりヤクルトでキャリアをスタートした選手の2000本安打は、若松勉、古田敦也、稲葉篤紀と合わせて4人になったわけだが、そのうち古田、宮本、稲葉の3人が同時期に同じチームでプレイしていたということだ。つまり、3人もの2000本安打達成者を輩出した当時のヤクルトのすごさをあらためて証明することになった。

 万年Bクラスだったヤクルトが劇的な変貌を遂げたのは、1990年に野村克也氏が監督に就任してから。データ重視の『ID野球』を打ち出し、92年に14年ぶりのリーグ優勝を果たすと、翌93年にはリーグ連覇と日本一を達成した。

 当時の主力野手メンバーは、通算304本塁打の池山隆寛と通算306本塁打の広沢克己の”イケトラコンビ”に、センターで鉄壁の守備を誇った飯田哲也、勝負強い打撃が光ったジャック・ハウエル、そしてID野球のキーマン・古田らたちだ。

 そして94年オフに広沢、ハウエルが巨人に移籍すると、入れ替わるようにその年のドラフトで宮本と稲葉が指名され入団する。ルーキーイヤーの95年、宮本は主に守備固めとして出場し、稲葉はシーズン中盤からレギュラーを獲得するなど、ともに1年目から活躍して日本一に貢献。そして2年目からは、ともにレギュラーとして出場するようになり、97年、01年にも日本一を果たした。

 宮本は少し前にあるラジオのインタビューで面白いことを言っていた。

「僕が2000本安打を打てたとしたら、それは古田さんのおかげ」

首位打者にもなった古田から打撃の極意でも伝授されたかというとそうではない。宮本が古田に感謝したのは、何よりも古田の打撃力だった。どのチームも、投手を除けば捕手の打力が弱いチームがほとんどだ。ところがヤクルトには古田という4番も打てる捕手がいた。そのおかげで監督は、打撃に少々目をつぶっても守備のいい自分を起用してくれたというのだ。だから古田が恩人というわけだ。

 出場機会が増えるにつれて徐々に打撃力も身に付けていった。しかし、宮本にしても稲葉にしても、当時はチームの中軸というより2番や下位打線など、いわば脇役的な存在だった。

 その宮本と稲葉の打撃のルーツをたどると、ひとりの名コーチにたどり着く。かつての西鉄ライオンズの大打者で、70年代にはヤクルトの打撃コーチを務めた中西太氏だ。宮本は中西臨時コーチの元で99年、ほとんどマンツーマンのような指導を受け、打撃に開眼した。それまでは一度も3割を打ったことがなかったのに、中西コーチの指導を受けたあとは実に6回も3割をクリアしている。「中西コーチとの出会いが自分の打撃のすべて」といった意味のことを、宮本も発言している。

 一方、法政大学時代に野村監督が目を見張ったほどの打撃術の持ち主だった稲葉は、プロに入ると内角打ちで苦労した。入団当時の二軍監督で、のちに監督となる若松氏によると、「バットが外から大きく回ってしまう、いわゆるドアスイングで、内角がうまくさばけなかった」という。

 その稲葉を若松氏や八重樫幸雄打撃コーチが徹底的に鍛えた。このふたりは現役時代、ともに中西コーチの指導を受けた選手である。つまり稲葉は打撃術の流れでいうと中西コーチの孫弟子に当たるわけだ。また、ふたりは配球の読みや戦術眼では野村監督やその愛弟子である古田の影響もたっぷり受け取った。

 92年から01年までの10年間でリーグ優勝5回、日本一4回――メンバーは変わってもこのような結果を残してきたのは、ヤクルトに流れる『技術』と『頭脳』の遺伝子がしっかりと受け継がれてきたからだろう。脇役だったふたりの2000本安打を見て、あらためて当時のヤクルトというチームの奥深さを感じた。(スポルディーバ Web)