足摺岬 天狗の鼻展望所
「月日は百代の過客にして 行きかふ人もまた旅人なり」 奥の細道より・・・ああ~~駄目ですね。このフレーズは中学校時代に何度も暗唱で教師の前で言わされましたから。でも、まあ良いかな。わたしの足摺岬への旅は思い返しても重なるものがありますです。その頃の教師の口癖は絶え間ない習熟が大切!習熟することによっておのずと答えはもはや明確となるのです。というようなそういえばなんとなくわかるような気がしますです。現場百回という言葉もありますですね。
ここは足摺岬にある天狗の鼻展望所。男性の後ろ姿からやや背中が丸くなり壮年というよりは初老にかかる年代ではないか。このおそらく夫婦であろうと思われるカップルは展望所に座り何を考えているのだろうか。あまり他人が詮索するこではないのですがやはりちょっと聞いてみたくなります。もちろんわたしが想定するような理想的なあるいは印象に残る足摺岬観光の明るい明日への架け橋となる答えではないかもしれません。ひょっとしてお互い重い決断をしようと足摺岬の旅を選択したのかもしれません。まあ、そんなことは十中八九ないのだと思うしどうでも良いことだと思うのです。が、わたしに問われるとどうなんでしょう。月日は百代の過客にして云々とは言わないと思うのです。で、わたしも足摺岬へは幾度となく訪れていますから時としてアンケートに答えてくださいという人に出会うことも過去に二回位あったような。移動手段、何日の予定、旅行に使う一日の費用、良かったこと、悪かったところなどなど。・・・
わたしにはいい夫婦に見えまた今の足摺岬の情景にマッチしているように感じられました。
基本的に天狗の鼻展望所に腰を落ち着けて足摺岬灯台を視界にとらえてたたずむ人、好きですね。
で、ちょっと前の天狗の鼻展望所はどうだったかというと・・・
天狗の鼻休憩所 以前
以前と言っても二十年前くらいでしょうか、その当時でも柱の鉄筋が露出しているくらいでちょっと不安な感じもしないでも・・・そして現在のものになりましたです。右手の当時もたばこの吸い殻入れになっていましたが今はスマホやデジカメを置くとちょうど灯台を背景に収まるように撮影できるカメラ台というのでしょうかあります。初期のものは使い勝手が悪いのか不明ですがたぶんそうだと思うのですが今は作り変えられています。で、ちょうど太い支柱がありなかなか二人の絵になるような光景が撮れませんでした。
足摺岬 天狗の鼻展望所
ほぼ現在の展望所ですね。こんな風に変貌しています。この当時はまだ残っているでしょう。あの吸い殻入れみたいなもの。いやまだ残っているのかな。近々に訪れる予定ですので確認してみます。
そんなことより、・・・いいんですよ潮騒の音。
天狗の鼻 潮騒
で、潮騒の音が聞こえるともう最高です。BS放送でしょうか盲目のヨットマンが太平洋横断する物語ドキュメンタリーだと思うのです。以前某民放のキャスターと二人で太平洋横断をする企画でした。出航してクジラと衝突し自衛隊の飛行艇による決死の救出により九死に一生を得た方だそうです。民放のキャスターは感謝の言葉とともに日本に生まれてよかったと話していたことが印象に残っていました。その相棒の盲目のヨットマンが今回のドキュメンタリー番組の主役でした。キャスターと同じく九死に一生を得た体験は海に対する恐怖も感じたと思います。しかし、番組の中で海岸を散策して立ち止まり潮騒の音を聞き「魂がこの潮騒を聞いていると浄化されるようです。」というようなお話をされていたことが印象的です。
足摺岬 天狗の鼻 潮騒
いつ訪れても良いのは良いものです。時間的制約で展望台までという方もいらっしゃいます。健脚では5~6分、ゆっくりでも10分あればゆくことができます。おすすめしたいですね。
足摺岬 天狗の鼻 潮騒
台風などが日本の遥か沖合にある頃には大きなうねりとともに荒々しく打ち付ける波の音を聞くこともできるのだと思います。旅の宿で聞く夜の潮騒というか波動はそれは独特で足摺岬へやってきたのだと実感させるものでもあると思います。
足摺岬 台風接近
観光ボランティアの方が説明されるのは足摺岬の灯台直下の崖に洞窟があって(実際あります)そこは金剛福寺の下までつながっているのだそうです。その洞窟に打ち寄せる波動があたかも地獄の窯の音のように聞こえるのだそうです。確か足摺七不思議にもそのような記述があったでしょうか。
で、わたしは足摺岬では特にこの天狗の鼻展望所が好きです。夕方はその中でも特に好きですね。黄昏も良いし灯光が次第に明瞭になってゆく様を見るのも好きですね。
黄昏時の天狗の鼻
足摺岬沖を行く船に黄昏時かすかに残照に照らせれるように浮かびあがります。もうそろそろ足摺岬灯台が灯る頃です。
そうそう、この画像はリバーサルフィルムをスキャナーでスキャンしたものです。どうなんでしょうね。今回、わたしの大切に保存していたハードディスクにトラブルがあり2TBから8TBまでの十台くらいのHDを今修復しています。仕方ないのでリバーサルフィルムをスキャンして使用していますが・・・でも、考えてみるとやはりプリントして残すのが素人には一番のような感じを今回の出来事で思いました。スキャナーはなんとウインドウズXPバージョンです。現在アマチュアが購入できるフィルムスキャナーはないのではないか。もちろん簡易なものはありますがどうなんでしょう高解像度のものはフラットヘッドスキャナーしかないのではないでしょうか。
足摺岬灯台の清掃
この写真は数十年前にわたしが足摺岬を訪れて天狗の鼻から撮影したモノクロームの写真です。次の画像の一部を拡大したものです。カメラはミノルタのC330プロフェッショナルよりもっと古いマミヤ6ではなかったかと思います。前者は二眼レフといってレンズが撮影用とファインダー用と二つありました。後者は蛇腹でノッチをずらすと四角いカメラ胴体からビロ~~~ンとレンズが蛇腹と一緒に出てきますです。フィルムはフジのネオパンSSのブローニーだったと思います。その当時は全く意識していなかったのですが拡大してみると灯台を清掃する人が映っているではないですか。その当時の海上保安署の職員の方でしょうか。今でも灯台の清掃は行われているのだと思いますが手すりに足をかけて窓の掃除をすることはおそらくないのではないでしょうか。ちょっと信じられませんでした。現在ではおそらくコンパクトデジタルカメラで2000万画素くらいあればもっと解像度の良い写真を撮ることもできるのだと思います。が当時のおそらく硫酸紙か何かでできたネガアルバムからどことなく酸性臭のツンと鼻をつく匂いを感じながらフィルムを取出しスキャナーにセットして画像を取り込む。結局デジタル処理ということになるのだと思います。その当時は写真雑誌が多く出版され紙面も今でいうところのわら半紙のような紙でした。撮影法や現像法などいろいろな書籍がでていました。わたしもフィルム現像は自家処理していました。ありましたでしょう。片溝式、両溝式、ベルト式、ナイコール型。タンクはキングとかハンザとかLPLもありました。印画紙の焼き付けも同様。憧れはフォコマートこれは4×5インチまでできたような。今は辛うじててラッキーのカラー対応の引き延ばし機がまだ稼動しています。
カラープリントもチャレンジしましたが上手くゆくはずもありません。当時はコダックのカラー現像キットでドラム式だったと思います。
足摺岬 天狗の鼻
前述のブローニー6X6マミヤ6でおそらく撮ったものの原画の一部です。自家現像ですので撹拌ムラが顕著ですがな~~~~んかいいんですね。これはもちろん自画自賛。ありましたでしょう。「ネガシャン」分かる人は分かると思います。フィルムを現像してみてハッとするような画像でもいざ印画紙にプリントするとどろ~~~としていくら諧調の硬度の高い4号の印画紙に焼き付けてもしっかりしない感じ。その後コダックかイルフォードの多諧調印画紙これは引き延ばし機のフィルターを変えることによって1号から5号までの諧調を自由に変えることができるものでしたがやっぱり駄目なものはダメ。
今回HDが壊れとてもへこんでしまいました。壊れるのは一瞬。
今日は今日でとても変な話になってしまいました。思い出話で恐縮です。ですので、お口直しに貴兄に!
高知の夏の味覚 小夏献上!!!
いかがですか、足摺岬へ行ってみたいと思いませんか!
うっふふ~~~ パクリ!