身長は縮んでも、爪が伸びるのが早い。
因みに、私の身長は158センチから157センチに縮みました。
今日、爪を切りながら、ふと、姑のことを思い出しました。
爪切りは35年以上も使用しています。
この爪切りと夫と姑の話を、昔、エッセーに書きました。
32年前のことです。
拙い文章で、古いお話しですが、掲載させて頂きます。
『爪切り』
日曜日の朝、居間で、のんびりとコーヒーを飲んでいると、パジャマ姿の夫が
新聞を持って現れる。眼鏡を持っていないから、新聞は読むためでないことを
確信する。「やれやれ、またか」という私の渋顔を尻目に、夫は庭に向かって
廊下に腰を下ろす。そして、ごそごそと床の上に新聞を広げる。
やがて、ぱちん、ぱちんと爪を切る音が、私のコーヒータイムのムードを壊す
のである。
ここ数年来、頭髪に白いものが増し、少し、ねこ背気味になってきた後ろ姿を
眺め、その音を聞いていると、八十歳で亡くなった姑の顔が浮かんでくる。
都心に住む姑は、よく我が家を訪れた。
「ここんちは、緑がたくさんあっていいねぇ」
と、いつも庭に出て木や草花を眺めていた。姑は小平の生まれで武蔵野の自然
に囲まれて育った。明治生まれの彼女は、当時、自転車を乗り回すおてんば娘だ
ったそうだ。小平小町と言われながら婚期が遅れたのはそのせいだと聞いたこと
がある。
「ほら、おふくろ、ここに座って」
夫は廊下に椅子を持ち出すと、姑に声をかけた。
散髪と爪切りをしてやるのである。
五男二女を育て、五十歳で夫に先立たれた姑の指は節くれだち、その爪は硬く、
切る度にぱちん、ぱちんと大きな音を響かせた。
爪切は、夫が奈良を旅した際に買ってきた少し大きめの物で、黒地に金文字で
「奈良若草山、三條小鍛治宗近」と記されてあり、よく切れた。しかし、私はその
色彩が抹香臭く感じられて好きではなかった。
「すまないねぇ」
姑は、白髪のおかっぱ頭を傾げて四十歳半ばを過ぎた息子に、子供のように手を
差し出して目を細めた。
その姑が、八十歳の初夏ガンで逝った。入院したときはすでに手遅れであった。
子供たちが交代で病院に泊まり込み看病した。
ある日、交代のために私が病室を訪れると、夫は姑の爪を切ってやっていた。
姑は意識がなくなってから一週間を経過していて、点滴で命をながらえているよ
うな状態にあった。
「こんなになっても、爪は伸びるんだよなあ」
夫は、細くなった母親の手を握りしめてつぶやいた。
ぱちん、ぱちんと爪を切る音が病室に響いた。
「あっ」 と、夫が小さく叫んだ。
誤って、母親の指先を切ってしまったのだ。意識がなく、息子にされるままに
なっていた姑が「痛い」というように手を引っ込めた。
「ごめん、ごめん」
夫は謝りながら、母親の指に滲んだ血を拭い、ばんそう膏を貼ってやった。
その二日後に、姑は亡くなった。
最期の時に間に合わなかった夫は号泣した。
胸の上で組み合わされた姑の指のばんそう膏が、私の目にかすんで見えた。
1984年2月記