マシマロ日記

つれづれなるままに。ぼちぼちっと更新中。
建築から遠ざかってますけど。
専業主婦体験中。
日常の記録的なものを。

友人の告別式

2010-04-19 17:58:14 | 考えること
土曜日に大学時代の友人の告別式があった。
新幹線で雪の仙台へ向かった。

交通事故による突然の訃報。
信じられないし、信じたくなかったことが
告別式に出ることで、実感した。

まだ30。
事故の2日後に面接を受けていた店舗デザインの会社から
内定通知が来たそうだ。
無念としかいいようがない。

東京で学んで、地元に帰り、ちょっと休養をとって
これから、というときだった。

人生は何があるものか。
どうしてこんなにも悲しいことがあるのか。

友人の死を身近に感じたことが無いという人が
今回の中では多かったが、
私はそうではなかった。

5年程前に地元の友人が交通事故で運転中に亡くなり
一昨年には祖父が亡くなった。

親しかった人との別れはいつもつらい。
受け止めたくはない現実に押しつぶされそうになる。

今回は大学時代の友人も多く駆けつけていたので、
少し気分も和らいだ。

亡くなった友人の死を悼むと同時に、自分の今ある姿に嫉妬した。

何もせずに
ただ漠然と自分のプライドを保つ為に
何となく生活している毎日。
周りの人たちの支えに甘えきって、動くことが不安でしょうがない、
そうおびえきって、抜け出したいのに抜け出さない弱い心に
怒りすら覚える。

時がなんとかしてくれるだろうと、どこか他人任せになっているんじゃないだろうか、
自ら行動を起こすことを忘れてしまっている。

でも、踏み出せないでいるのはなんでだろうか。

考えることでまた不甲斐なく思い、自分を責めて立ち止まってしまう。

悪循環なのだ。

どうしてこのループにひっかかってしまったんだろう。
人生は一度しかないのに、ここ数年というもの、あまりにももったいない生き方をしている。

すべて他人任せだ。

発言することも、反発されることが怖くておっくうになってしまた。
もっぱら聞き手になっているような気がする。

これは単に歳だから、と言ってしまえることではないだろう。
明らかに、一人の人間としての自律ということから大きく外れてしまった。

悩みも考えもなんだか自分の中で溜め込みすぎてしまった。
きっかけがわからないままここまで来てしまった。

だから、時折かけられる励ましの言葉だとかに過敏になる。
張りつめていたものが、ぱんっとはじけたようになってしまう。
こんな状態では社会に出られない、とまた自分を責める。

あー
どうしたらいいんだろ。
はっきりしないこの春の中で
より自分のことがはっきりしないまま、
時間だけが過ぎてゆく。

考え過ぎなんだろうけど、時間がある為に
考えてしまう。

せっかくなのだから図面をひく仕事につけば、
と言われても、さっぱりその気が起きない。
むしろ興味が無くなってきている。

あれだけ頑張った試験勉強は何だったのか。
時間とお金は無駄になったのだろうか。

もうゆっくり考えているだけでは
解決できないのかもしれない。

無くなった友人のことを思えば、
資格も経験も無く、それでもデザインの仕事に就きたい
という純粋な気持ちを持って行動して、
精一杯30年生きたのは、本当に頭が下がる。

私は何なのだろう。
贅沢なわがままばかりを言って、周りに優しくされるがままに
それに甘え、弱音ばかりを吐いている。
最低じゃないか。

なんだかあまりにも自分が馬鹿みたいで
友人に申し訳なくなった。

でも一歩が踏み出せない。
きっかけがとこからかやってくるのを期待してしまう。

最近ネガティブ思考が日常になってきていて、
だからなのかなんだか一人が多い。
楽しいことを考えなくちゃ人も集まってこないって言うし。

暗い暗い!!
私の春はまだまだ先になりそうだ。

今日はとりあえずいろいろ吐き出してみた。