久し振りの建築に関すること。
仕事がだいぶ落ち着いてきて、休憩がてらGA JAPAN 78号を読んでいた。
そこに、西沢立衛と入江さんとの対談の特集があり、それを読んでみた。
内容は、西沢氏の新作、「森山邸」について。
私個人的には、あれが雑誌に発表された時、正直嫌煙した。
白くって、すけすけで、薄い。
最近もワーストフレーズだからだ。
懐かしのシルバニアファミリーを思い出してしまった。
学生の模型かと思う程、おもちゃみたいな建物。
これが。。。
これが人の住まう処?
・・・で、話を戻すと、この設計に当たって、西沢氏の目指したところは、
「開放性」
だという。
物理的にも。概念的にもと彼は言っている。
そして、<どうやって環境に対して開くか>、ということに苦しんでつくったのだと言っていた。
「開放的で、周辺との関係の中で住まうという快適な住空間を。建築空間として提案したかった。」
と。インタビューの中でこう答えていた。
まずそこで、え~?????ってつまずく。
「開く」ってことの必要性って本当に求められてるの?
社会に開いて、常に見られているという自分を感じながら、日々を過ごすことが、果たして快適なのか。
映画の「トゥルーマン・ショー」を思い出した。
マゾヒスティッック以外の何ものでもない。
カーテン引けばいいじゃないですか、という建築家は自分で自分を否定することになってしまってるんだよな~、ということを入江氏が突っ込む。
みられてもいいじゃん、という吹っ切れた調子がいいんだと言う。
本当??
むずむずしながら読み進めた。
この森山邸では、とにかく開口(窓)を大きくとる、ということに挑戦しているようだ。
それに関して。
「窓を小さくするとツマラナイだろうな。」
と、西沢氏は言っている。
「窓が小さいと、中が暗くなるし、外が感じれなくなるし、外からも中が見えなくなるし・・・・」
のだそうだ。
本当???
窓が小さいことがツマラナイ。
見られていないという安心感から解放されよ!って言いたいのだろうか。
小さい窓では中が暗くなる、ってのもなんか違う。
彼の初期の作品とはまるで正反対の考え方を言ってるよ、自身が。。。
外から中が見えないのがツマラナイ。
そんなのってホント?!
極端言えば、のぞきの正当化?のぞくことが楽しいって言っちゃってるみたいに聞こえる。。。
変態だ、この人、変態だ!
他人に見られるという事実を、どのように西沢氏本人が捉えているのか疑問を抱かずにはいられない。
社会に開く、というこが本当に住宅の役目なんだろうか。
その欲求の根源がいたいどこからくるのか、ものずごく疑問。
社会に開くっていう程、うさんくさい言葉はないなぁ。
それよか、建築業界をもっと社会に開いてみてください。
一般の人と、建築家といわれている方々との考えのギャップを、もっともっと感じてみてください。
最近じゃ、お洒落雑誌が建築を特集するような始末。
美味しい料理を食べるように、建築も味わおう、ってんですよ。
なかなかそりゃ難しいと思います。
その流れに乗せられて、今の学生とか、まんま白い家とかがかっこいい、みたいな常識になってきちゃってるじゃないすか。
四角いのがいいの、とか。
そういうのって日本人の悪いところな気がする。
右向け、右!的な性格。
ほとほと自分でも嫌になる時がある。
軍国主義じゃないくせに。。。ああ、悲しきかな日本。。。
まあ、たわごとですが、最近評価されてる建築ってなんかマニュアルあんじゃね~かい?ってぐらい似てる。
ミラコレ、パリコレと同様な扱いな感じがするんです。
でも、最近じゃ学生が批判してるってのに、お偉い方々はものすごく評価してるっていう建物沢山ありますが、それって、単に経験の差だけなんでしょうか?
違うだろうな。
なんか黒いです。
建築業界って真っ黒いです。
ここに吸収されないようにやってかないと、ろくなものつくれなくなっちゃいそうで先が怖くなることがあります。
この先、やってけんのか?って。
だからって、流されたくない。
それはもう負けです。
そんなのコギャルと同じだ。
みんなと同じじゃないと生きていけない、なんてことになっちゃ、負けだ。
なんて、今日はひねくれてみた一日。
仕事がだいぶ落ち着いてきて、休憩がてらGA JAPAN 78号を読んでいた。
そこに、西沢立衛と入江さんとの対談の特集があり、それを読んでみた。
内容は、西沢氏の新作、「森山邸」について。
私個人的には、あれが雑誌に発表された時、正直嫌煙した。
白くって、すけすけで、薄い。
最近もワーストフレーズだからだ。
懐かしのシルバニアファミリーを思い出してしまった。
学生の模型かと思う程、おもちゃみたいな建物。
これが。。。
これが人の住まう処?
・・・で、話を戻すと、この設計に当たって、西沢氏の目指したところは、
「開放性」
だという。
物理的にも。概念的にもと彼は言っている。
そして、<どうやって環境に対して開くか>、ということに苦しんでつくったのだと言っていた。
「開放的で、周辺との関係の中で住まうという快適な住空間を。建築空間として提案したかった。」
と。インタビューの中でこう答えていた。
まずそこで、え~?????ってつまずく。
「開く」ってことの必要性って本当に求められてるの?
社会に開いて、常に見られているという自分を感じながら、日々を過ごすことが、果たして快適なのか。
映画の「トゥルーマン・ショー」を思い出した。
マゾヒスティッック以外の何ものでもない。
カーテン引けばいいじゃないですか、という建築家は自分で自分を否定することになってしまってるんだよな~、ということを入江氏が突っ込む。
みられてもいいじゃん、という吹っ切れた調子がいいんだと言う。
本当??
むずむずしながら読み進めた。
この森山邸では、とにかく開口(窓)を大きくとる、ということに挑戦しているようだ。
それに関して。
「窓を小さくするとツマラナイだろうな。」
と、西沢氏は言っている。
「窓が小さいと、中が暗くなるし、外が感じれなくなるし、外からも中が見えなくなるし・・・・」
のだそうだ。
本当???
窓が小さいことがツマラナイ。
見られていないという安心感から解放されよ!って言いたいのだろうか。
小さい窓では中が暗くなる、ってのもなんか違う。
彼の初期の作品とはまるで正反対の考え方を言ってるよ、自身が。。。
外から中が見えないのがツマラナイ。
そんなのってホント?!
極端言えば、のぞきの正当化?のぞくことが楽しいって言っちゃってるみたいに聞こえる。。。
変態だ、この人、変態だ!
他人に見られるという事実を、どのように西沢氏本人が捉えているのか疑問を抱かずにはいられない。
社会に開く、というこが本当に住宅の役目なんだろうか。
その欲求の根源がいたいどこからくるのか、ものずごく疑問。
社会に開くっていう程、うさんくさい言葉はないなぁ。
それよか、建築業界をもっと社会に開いてみてください。
一般の人と、建築家といわれている方々との考えのギャップを、もっともっと感じてみてください。
最近じゃ、お洒落雑誌が建築を特集するような始末。
美味しい料理を食べるように、建築も味わおう、ってんですよ。
なかなかそりゃ難しいと思います。
その流れに乗せられて、今の学生とか、まんま白い家とかがかっこいい、みたいな常識になってきちゃってるじゃないすか。
四角いのがいいの、とか。
そういうのって日本人の悪いところな気がする。
右向け、右!的な性格。
ほとほと自分でも嫌になる時がある。
軍国主義じゃないくせに。。。ああ、悲しきかな日本。。。
まあ、たわごとですが、最近評価されてる建築ってなんかマニュアルあんじゃね~かい?ってぐらい似てる。
ミラコレ、パリコレと同様な扱いな感じがするんです。
でも、最近じゃ学生が批判してるってのに、お偉い方々はものすごく評価してるっていう建物沢山ありますが、それって、単に経験の差だけなんでしょうか?
違うだろうな。
なんか黒いです。
建築業界って真っ黒いです。
ここに吸収されないようにやってかないと、ろくなものつくれなくなっちゃいそうで先が怖くなることがあります。
この先、やってけんのか?って。
だからって、流されたくない。
それはもう負けです。
そんなのコギャルと同じだ。
みんなと同じじゃないと生きていけない、なんてことになっちゃ、負けだ。
なんて、今日はひねくれてみた一日。