京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

栓がぬけてしまったじょ。

2008-02-26 23:49:15 | インポート

夕方5:30夕食の支度をするてんてんの後ろで娘のまゆっちがテーブルに座り

音読(国語の本読み)をするのが毎日の日課だ。

娘にはほんとーに申し訳ないけれど、あまりほとんど内容を聴いていないことが多い。

どうもてんてんは娘のまったりした声がBGMになり、

ついつい他の考え事をしてしまうのだった。

2年生にもなると結構長い文章を読むようになる。

ここ4日間ほど連続で「スーホーの白い馬」という物語を読んでいる。

てんてん自身も昔小学校で習ったようなかすかな記憶があるけれど全く内容を

覚えていなかった。

又今日もその「スーホーの白い馬」の音読が始まった。

ところが・・今日のてんてんは他になんの考え事も浮かんでこなくて、

真剣に娘が読んでいる内容を聴いてしまった・・・。

(;ω;) (;ω;) (;ω;)

『おろろ~ん、おろろ~ん、なんていい話なんや・・。』

感動の涙が抑えきれなくなってしまった。

娘:「お母ちゃん、泣いてんの?」

てん:「あんたこの物語読んで泣けへんのか?」

娘:「ぜんぜん。」

てん:「小学校でも誰も泣かへんのか?」

娘:「誰も泣かへん。」

こんな可愛そうでいい話を聴いて泣けないなんて・・・。

「みんな大丈夫かぁ!?」

京都の小学校2年生のお子さんを持たれているお母さん達ぃぃぃ。

「スーホーの白い馬」・・・絶対泣けますよね。

娘のまゆっちはどうやら人前で涙を流すことを恥ずかしいと思っているようだ。

テレビドラマや映画でも必ずそういうシーンになると、くるりと後ろを向いて

必死に泣かないように歯をくいしばるのだった。

誰に似たのか・・なんて頑な小2の娘なのだろう。

お正月前「マリと子犬の物語」を一緒に見にいこ~!!って誘っても

「いや!絶対感動して泣けるから」と断られたのだった。

あと地震のシーンを見るのも辛いようだった。

この間のブログにも書いたけど娘はとっても心配症なのだ。

これも担任の先生からこっそり懇談会のときに聞かせていただいのだが、

学校の避難訓練で「不審者がでた!」という想定で訓練が行われたことがあった。

その時、クラスの中でまゆっちともう一人男の子の2人が非常ベルが鳴ったとたん

恐怖でパニックになってしまったそうなのだ。

先生が「訓練やから大丈夫やで・・」と何度も言い聞かせてくださったのだけどしばらく

恐怖で泣きが治まらなかったらしい。

・・・かと思うと、このようにテレビドラマなどを見て涙を人前で流すことは

どうも恥ずかしいらしいのだ。

てんてんは「人前で泣くことは恥ずかしいことじゃないよ。」と伝えるのだけど

必ずそういうシーンのときは必死でこらえている様子・・。

素直に泣けば気持ちいいのにね・・。

・・・というてんてん自身も・・やっぱり親子だね。

幼い頃、娘とまったく同じだった。

人前で涙を流すことをとても恥ずかしいと思っていた時期があった。

別に親になにかを言われたわけではない。

人前で泣くな~とか言われた記憶もない。

物心ついたときからそのように思っていた。

てんてん母は、、、まぁ~こりゃこりゃというぐらいほんとによく泣く人だった。

そういえば、、てんてんが母が仕事をしている前で音読していた時も

鼻水を垂らして泣いていたのを覚えている。

なんていう題名だったかな・・確か小6のときに習った「コスモスの花」という

戦争のお話だったと記憶している。

土曜ワイド劇場を見ても泣く人だった。

でもどんなに泣けるドラマやアニメを見ても幼い頃のてんてんも今の娘と

同じように歯を食いしばった。

しかぁ~し!!そんな頑なてんてんも思わず我慢できないで母の前で

ぽろり・・と涙を流してしまった作品がある。

多分その頃てんてんも小1か小2の頃だったと思う。

それは「アルプスの少女ハイジ」の中でハイジがフランフルトからやっとおじいさんの

住むアルムの山へ帰ってきたシーン。

「おじぃ~さ~~ん!!」

「ハイジ!!」

(あか~ん、これ書いてるだけで泣けてくる。)

ハイジが全速力でおじいさんの元に駆け寄り抱き合って泣くあのシーンだ。

あのシーンにはさすがのてんてんも涙を抑えることができなかった。

母がその時、「あんたは本当はいっぱい優しい気持ち持ってる子なんやなぁ~」と

ぼそっと言ってくれたのをはっきり覚えているが、そういうことを言われると

やっぱり照れるので泣くのを我慢してしまう偏屈な子供だったのだ。

我が家には全巻ハイジのビデオが揃ってるが未だにあのシーンを見ると

必ず泣けてしまう。

それからあとにも先にもテレビで感動して母や家族の前で涙をみせることはなかった。

てんてんの中の大名作・・「北の国から」も絶対一人で部屋に閉じこもって誰も

入ってこないように・・と釘をさして一人号泣していた。

(未だにてんてんの中で「北の国から」の右にでる名作には出会っていない。)

そんな頑なてんてんがどこでも・・誰の前でも・・全く気にしないで大泣きできるようには

なったのはアロマに出会ってからかな・・。

(あ・・でもやっぱりちょっと家族の前では正直今も恥ずかしいという気持ちは残っている。)

抑えられないのだ。抑えきれるはずもなかった。

素直に・・感じたままに泣ける・・ということがどれだけラクなことか・・・。

涙を流す度に自分が癒され、目の前の曇りがどんどんとれていく・・・。

身体中の溜まった毒素が涙と共にどんどん流れ出していくような感覚もある・・・。

どうして、てんてんも人前でなかなか素直に泣けなかったのかなぁ・・。

今では考えられないほど泣き虫てんてんだけどね・・。

やっぱり人に自分の弱いところを見られるのがイヤ・・って思ってたのかな?

自分が弱くない!って必死に片意地張ってたのかもしれないね。

アロマの生徒さんの中にも数は少ないけれど泣けない方がいらっしゃる。

今は立派なセラピストに成長され活躍されているCもかつて生徒時代

人前で涙を流すことができなかった。

いやそれどころか、「我慢」しているのだ。

眼球のフチは真っ赤になっているのに絶対涙を流さないのだ。

こちらから見ていて「ぐっ!」と涙を必死でこらえていることがすぐにわかった。

そんなCにもついに「その日」がきたのだった。研究課に上がってからのことだったかな・・。

内容は覚えていない。なにかてんてんがお話させていただい後ついにCの目から

大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちたのだった。

今まで抑えていたものが一気にあふれ出すかのようにまさしく「滝のように」Cは

おもいっきり泣き続けたのだった。

その時のCの美しい姿をてんてんは今でもはっきり覚えている。

そして人間らしくてとても可愛らしかった。きらきらと輝いていた。

それからのCは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

泣く・泣く・泣く 

ほんまに同一人物ですかぁ?というくらいに・・。

なにかの栓が抜けてしまったかのように、自分で話していても人の話を聴いても

いっつも泣いている。

涙を我慢しないで・・・ありのままの姿で泣けるって本当にいいね。


けれど・・・「栓が抜けてしまう」のもちょっと困ってしまうこともある。

そう・・・何を見ても何を聴いてもどんなささいなことにもすぐに感動して

人前でもついつい涙がでてしまうのでかなり怪しい人になってしまう。

空を見ても、道端に咲いている花をみてもその美しさに涙がとまらなくなってしまう

ことだってある。

それに一番困ってしまうのが、娘の授業参観だ。

まず、毎回娘の成長を見て「よくここまで大きく育ってくれたなぁ~」と

泣けてくる。

だいたい授業参観は道徳が多く、またその内容がてんてんの涙腺を弱らせる。

先週今年最後の授業参観。

その日は「のび太が生まれた日」という道徳の授業だった。

のび太が相変わらずテストで悪い点をとり、パパもママもいつになく揃って大激怒!!

あまりの怒鳴られようにのび太は「あんなにひどく怒るなんて!

僕はパパとママの子じゃないんだ!」と言って

それを確かめるために、ドラえもんとタイムマシーンに乗って自分が生まれた日に

行くのだった。

パパが会社から大急ぎで走って病院へ向かう。

そしてパパとママは手を取り合って息子の誕生を心から喜んでいた。

「本当になんてかわいい子なのだろう~」

そしてパパが「この子にはまっすぐにのびのびと育ってほしいので、のび太という名前

にしよう!」と決めるのだった。

2人の姿を影からみていたのび太は「自分はパパとママに本当に愛されて生まれて

きたんだぁ~」ということを知り、タイムマシーンで今に戻って一生懸命自分から

勉強を始める。

という内容だった。

もう・・これ・・あかんよ・・・。こんな内容されたら・・ぼろぼろよ・・・。

案の定、てんてんはまゆっちが生まれてきた日のことと重ね合わせて聴いてしまった。

そして夫と2人一致で「まっすぐにおもいやりのある優しい子に育ってほしい」という

願いを込めてつけたのが娘、真優香の名前なのだ。

涙を抑えきれるはずもなかった。

やっぱり教室の後ろで怪しい母になっていた。

今は違う意味で涙をこらえる努力をしているてんてんだった。

う~ん、これはかなり難しいよ~~。

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