ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

新地町の漁師たち

2017-07-05 17:58:15 | 唐桑日記
新地町の漁師たち という映画を見てきた。

山田監督が見てきた、福島県の新地町のという小さな漁港で生きる漁師を描いたドキュメンタリー。



震災からそれぞれの人が、それぞれの立場で、できることをしている。

「ここは、俺が食い止める!!」

地球にぶつかりそうな惑星を命を投げ捨ててでも食い止めようとする、救世主のヒーローがでてくるわけでもなく。全てが一気に解決する画期的な出来事もなく。3年半の日々が淡々と描かれていた。


震災のドキュメンタリーは毎年311が近づくと、テレビでも沢山やってて。はっきり言ってもう見たくないよ。という思いがあった。そこに映っているものは、ただ、撮りたい人の「仮説」を証明するために集めてきた素材に感じて、なんだか冷めてしまう。

「被災者はいまだに悲しんでいるのではないか?」
「原発に反対しているのではないか?」
「高い防潮堤には、反対しているのではないか?」

そういう仮説を証明するために、現場に運んで、色々なことばの中で

「そうなんだよね、あれは、高いと思うよね。」

ほらきたー!!探していた素材ゲットー!!!ってな感じで、話が進んでいく。
そこには、リアルはないよ、と感じることが多かった。
「新地町の漁師たち」は、仮説を証明するための作品ではなく、リアルな時間がちゃんとそこにあった。

どっちがいいとか、どっちの作り方が正しいとか。そういうことではなくて。
「こういう作り方もあるのか」というか「こういう作り方でも成り立つんだ」という発見があった。



新地町この辺。


漁師のおっちゃんたちのことばに字幕がついてて「そうそう、何を言っでっが、字幕ねぇとわがんねっがら。」と笑えたり、悲しくなったり。うわっ、今日の海、めっちゃ時化てるやん、これ山田監督船酔いするわぁ、とか。

3年間過ごした唐桑がめちゃくちゃ懐かしくなった。そう思えたのも、リアルな時間を切り取っただけの作品だからだと思う。

「どうせ、いつものお涙ちょうだいでしょ?」と震災関連のテレビ見るの億劫な人も、これは見て欲しいなと思いました。





7日まで、ポレポレ中野という映画館で、やっています。監督のトークショー付きなので、明日、あさって、時間があえば遊びに行ってくださいー。今日も9割席も埋まっていて、よかったー!!

評判よければ、アンコール上映とか、別の場所での講演もできるのかな。
山田監督、どうもありがとうございましたー。





今の僕に足りないもの。

2017-07-04 00:22:08 | ぼくらのありのまま記
それは、信用だ。

「何してるの?」

「ほんとは寿司職人なんすけど、今は無職なんです」

結局、「今」しかないんだと。「ほんとは」の言い訳は無意味で「ほんとはただの無職」だ。


そして、今、自分に超絶必要なものは、信用だ。肩書きや、言葉ではなく、作り出したものに対する信用。


口だけの夢なのか、実現するための途中にすでにいるのか。



「元すし職人」なのか「今すし職人」なのか。少しの違いだけど、ぜんっぜん違う。
すし職人じゃないなら、何を目指そうとするのか。


時間はたっぷりあるはずなのに、あせる。


今までの信用で、うちで働きなよ。とか。
寿司パやってー!と。
声をかけてくれる人がいるのがほんとにありがたや。



声をかけてくれた人にも「そんな元気ないよー!!」と思っていたけれど。
そういう時期は過ぎた気がする。





東北の潮風効果ハンパない。