![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/85/262b349f1542b268c6416c30758c2132.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/28/517ac105a4287df0f5baf7a5e1bfa41b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/45/62d69468ba036ef25a47b2881bfb1e96.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/74/51a1dfe0a6b3aafc0217675f4acf19d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/65/75ec53791df92b96682680d598cea9b8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9a/b843cedb45277a07a3eb23eebecf26d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e2/5da992e2a0efce5984741b83a71cad66.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/44/64562d3346f3c48567b651718b182a84.jpg)
街の北にある伊藤中将のお墓を訪ねました。伊藤中将は伝習館中学から海兵、海軍大学へ進まれ昭和20年4月に大和を旗艦とする第二艦隊を指揮され坊の岬で戦死されました。ご子息も特攻隊として戦死されたので、ご生家も今はありません。航空隊の援護のない出撃には、3千名を超える部下を犬死させることは出来ないと最後まで反対されたそうです。長官は出航前に奥様・子供達に最後の手紙を書かれています。
「此期に臨み 顧みると吾等二人の過去は幸福に満てるものにて 亦私は武人として重大なる覚悟を為さんとする時 親愛なる御前様に後事を托して何等の憂なきは此上もなき仕合と衷心より感謝致居候 御前様は私の今の心境をよく御了解なるべく 私は最後迄喜んで居たと思はれなば御前様の余生の淋しさを幾分にもやはらげる事と存候 心から御前様の幸福を祈りつつ いとしき最愛のちとせどの 整一 」
「私は今 可愛い貴方達の事を思つて居ります。 さうして貴女達のお父さんは御国の為に 立派な働きをしたと云はれるやうになり度いと考へて居ります。もう手紙も書けないかもしれませんが 大きくなつたらお母さんの様な婦人におなりなさいと云ふのが私の最後の教訓です 御身大切に
父より」
このお墓は地域の方々により守られています。
日本の若人が多数亡くなりました
かの国が大っ嫌いな日の丸がかかってますね。
抑止力という名目の集団的自衛権の行使は、戦争への道を歩くことになるのでは
コメントありがとうございます。
当時、軍国主義の教育を受けた若者達は
神風特攻隊を志願し、次々に沖縄へ向けて
飛び立ち、帰らぬ人となりましたね。
二度と有望な若者たちを戦場に送り込まない
世の中であって欲しいです。
世界の国々が平和である事を願っています。
コメントありがとうございます。
数年前に知覧平和祈念館を訪れた時に
特攻隊員の遺書が展示してありましたが
とてもその手紙は読めませんでした。
今、集団的自衛権とかを政治家は言って
いますが、また戦前に帰りそうですね。
戦争をする事によって愛する家族や友人を
失いますので、何時までも平和な世の中が
続く事を願っています。
小学校は国民学校でした。
神国日本は神風が吹いて絶対負けないと教えられました。
この繰り返しを絶対してはいけません。
悲惨な体験の無い国会議員が増えて心配です。
コメントありがとうございます。
私は戦後のベビーブーム生まれの一期生です。
物心ついた時にはまだ戦争の傷跡が残って
いました。
両親からは戦争の話は聞いたことはありません
でしたが、終戦後学校の教科書は墨でほとんど
塗り潰されたそうです。
今、日本は戦後生まれの人が多くなり戦争体験
者が少なくなっています。
彼らが体験した戦争は二度としてはいけません。
平和な世の中が長く続く事を願っています。
伊藤整一大将は山本五十六に次ぐ偉人でしたね~。
ただ違いは、体を張って戦い山本五十六は決して戦場の指揮は執らずで大罪を犯しましたね。
此の戦いで亡くなられた方々のご冥福を祈ります。合掌
集団的自衛権~戦争を知らない国会議員が多くなり心配です~!戦争のない日本であって欲しいですね。
コメントありがとうございます。
伊藤中将は職業軍人でありながら家庭では
家族思いの人だったようです。
今は生れ故郷の高田町の地において静かに
眠っていらっしゃいます。
もう悲惨な戦争は二度としてはいけませんね。
平和な世の中が続く事を願っています。
コメントありがとうございます。
伊藤中将は部下を犬死させてはいけないと
戦艦大和での出撃に最後まで反対されたそう
ですが、最終的には上からの命令に従われたと
聞いています。
今、集団的自衛権とかを政治家は言って戦前に
帰りそうな政策を取ろうとしています。
現在、戦後生まれの人が多くなり戦争体験者は
少なくなっています。
愛する家族や友人をなくす悲惨な戦争は二度と
してはいけませんね。
平和な世の中が長く続く事を祈っています。