さった峠に行く前に、
水口屋(みなぐちや)ギャラリーに、
ギャラリーある近辺・興津地区は、
鉄道や国道が出来るまで、東海道の重要地点、
宿場や別荘地帯だったと書かれている。
水口屋も高級な宿だったとか、
皇族や議員が、多く宿泊されたらしい。
その遺品が展示されていた。
その一つ。
岩倉ともみ氏の、写真と書
ボランティア・ガイドが観てほしいと言われて・うん
日本国を一時期支えていた、蚕・絹製品の輸出のための倉庫とか、
『あぁ野麦峠』の絹製品も、もしかしてもしかして・・・。
みのぶ道入り口でもあり、お寺が昔有ったらしい。
女体の森=そうぞう神社
何ですか・ねぇ~。
女体をそうぞうして、別の標識に小学校の通学路と書かれている。
なんじゃ・こりゃ