昨日、近所の盆踊りに行きました。いつも、家からお囃子を聴くばかりでしたが、本当に久しぶりに行きました。
「盆踊りも今年で終わりにするらしいよ」
朝、母から聞いてずっと気になっていたのです。
ほんの小さな子供の頃からお盆には盆踊りがあるものだったし、淡い思い出のようなものがぷかぷかと浮かんできたりして、落ち着かない気持ちで一日を過ごしました。
幼い私にとって、小さな神社の境内で行われる盆踊りは、よく顔を知る友達や近所の人たちがなんとなく別人のように思われる不思議な場所で、大人の後について櫓をぐるぐると回るのは少し恥ずかしくて少し楽しくて、なかなか好きなイベントでした。
大人になってからは(高校生くらいからかなぁ)、田舎の子供ばっかりが集まる盆踊りなんて魅力的じゃなかったし、他にもっと面白いことが溢れていたから見向きもしなかった。
それでも、お盆に家にいるとお囃子の音が聞こえて「あぁ、今年の夏もそろそろ終わり…」なんて感傷的に思ったりした。
盆踊りなんて全然好きじゃないしなんとも思ってなかったのに、来年はもうお囃子が聞こえないんだと思ったら酷く悲しくなった。大事なことは、それが失われたあとにやっと気付くものなんです。
盆踊り復活運動なんてものを展開する気はさらさらないけど、子供の私が親やもっと上の世代から貰った楽しかった時間を、今の子供たちにあげられなくてごめんなさい。
コンビニやショッピングモールでは買うことのできない、屋台や虫や草が放つ夏の香りとぼんやりとやわらかなちょうちんの明りは心をうきうきさせてくれる夏休みの思い出のひとつだったのよ。
「盆踊りも今年で終わりにするらしいよ」
朝、母から聞いてずっと気になっていたのです。
ほんの小さな子供の頃からお盆には盆踊りがあるものだったし、淡い思い出のようなものがぷかぷかと浮かんできたりして、落ち着かない気持ちで一日を過ごしました。
幼い私にとって、小さな神社の境内で行われる盆踊りは、よく顔を知る友達や近所の人たちがなんとなく別人のように思われる不思議な場所で、大人の後について櫓をぐるぐると回るのは少し恥ずかしくて少し楽しくて、なかなか好きなイベントでした。
大人になってからは(高校生くらいからかなぁ)、田舎の子供ばっかりが集まる盆踊りなんて魅力的じゃなかったし、他にもっと面白いことが溢れていたから見向きもしなかった。
それでも、お盆に家にいるとお囃子の音が聞こえて「あぁ、今年の夏もそろそろ終わり…」なんて感傷的に思ったりした。
盆踊りなんて全然好きじゃないしなんとも思ってなかったのに、来年はもうお囃子が聞こえないんだと思ったら酷く悲しくなった。大事なことは、それが失われたあとにやっと気付くものなんです。
盆踊り復活運動なんてものを展開する気はさらさらないけど、子供の私が親やもっと上の世代から貰った楽しかった時間を、今の子供たちにあげられなくてごめんなさい。
コンビニやショッピングモールでは買うことのできない、屋台や虫や草が放つ夏の香りとぼんやりとやわらかなちょうちんの明りは心をうきうきさせてくれる夏休みの思い出のひとつだったのよ。