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映画や歌舞伎、音楽などのアブクを残すアクアの日記。のんびりモードで更新中。

サンキュー遺伝子

2006-05-17 21:41:18 | art
作陶、なんて言葉を使うとなにかとても高尚な趣味のように思われてしまうけど、何のことは無く土を捏ねるのがとても好き。ただただ無心に菊練りしている時ほど何も考えない平穏な時間はそんなに無くて、それなら焼かなくてもいいのかもしれないな、なんて非生産的なことを考えてしまう。
十分に土を練っていざ成形、となると悩んで、「ああしよう、こうしよう」と考えれば考えるほど思い描くものとは程遠いものになり、最終的にはイメージとはかけ離れたものができあがる。
小さな頃から不器用で、図工の時間は嫌いだった。中でも絵を描くことはとても苦手で、だから今でも器たちに絵を付けることはしない、というか出来ない。
だから私の作る器は不恰好で、同じものは無い。ユニークとかオリジナルって言えば聞こえはいいけど、ただ単にヘタクソなだけなんですね。ええ、下手の横好きですとも。

好きな焼き物も、備前とか萩とかの素朴で優しくてごつごつしたもの。楽、は格別だと思うので、好きと言うのはおこがましい気がする。
結局、「陶器」が好きなんであって、「磁器」はあんまり好きじゃないらしい。
磁器の魅力の多くはその色彩や図案にあって、器を持ったときの質感はあんまり重要じゃないように感じてしまうから。青磁や白磁の滑るような美しさには見とれるけれど、普段に使う器とは一線を画するものだと思う。
シンプルで不恰好だけど憎めない器が私の性に合ってるんだろうな。

5月の始めに「古九谷浪漫 華麗なる吉田屋展」に行ったのは、招待券をいただいたためで、九谷焼という焼き物についての知識なんてまるで無かった。

九谷焼の歴史はなかなかドラマティックでミステリアスのようだ。
1655年に今の石川県山中町(九谷村)に窯が開かれ、後世に残る名品を多数生産しながらも、約50年間で廃窯してしまう。この間に作られた九谷焼のことを「古九谷」と言うらしい。
展覧会のメインである吉田屋は、古九谷再興をめざして1824年に豪商・四代豊田伝右衛門が開いた窯で、伝右衛門の屋号から吉田屋と呼ばれたけれど、7年間という短い期間でまた閉窯してしまう。それは、72歳で窯を開いた四代目伝右衛門、五代目伝右衛門、まだ若い六代目伝右衛門(享年28歳)までもが相次いで亡くなったこと、九谷焼再興のために多額の借金を作り家運を傾けたことなどが理由らしい。
その後も木崎窯(1831~70)、宮本屋窯(1832~59)、松山窯(1848~72)と古九谷の再興をめざして窯が開かれ、こうした九谷焼を「再興九谷」と言うらしい。
九谷焼については、コチラを、吉田屋についてはコチラが詳しいですよ。

吉田屋の作品は、青、緑、黄、紫の古九谷の色彩を使ったもので、赤を使わないことに大きな特徴があるらしい。これが、とっても素敵なの。
九谷の窯には専門の絵付け師がいなかったために、絵師が器に絵を付けたらしいけど、描かれているモチーフはピンピンと撥ねたような筆で、色合わせの美しさや細かい模様(ハート型や波模様、渦巻き模様などがとっても可愛い!)とともにとても楽しい。
赤を使わないことで、ぐっとシックで大人の気品に溢れている。後に、魯山人にも影響を与えたという吉田屋の作品は、凄く凄くしゃれている。

ところで、吉田屋の作品は多岐に渡り、大皿、平鉢、酒器、床飾り、茶道具、懐石道具など様々。
たまたま長くお茶を嗜んでいる友人と一緒に行ったため、お茶道具をじっくりと見たんだけど、香合や蓋置などの小さな道具の可愛らしさにガラスケース越しにうっとりとした。
「眠り鴨香合」や「一閑人蓋置」などの掌に乗る小さな小さな道具に込められた吉田屋の美意識は、現代にも生きていて嬉しくなった。
一閑人蓋置は吉田屋に限ったデザインじゃないけど、井を覗く人を蓋置にしてしまう発想のキュートさっていいなぁ。もともとは、中国から来たものなのかしらね?
友人に聞いたところ、茶の湯ではこの蓋置の扱いも定められているらしい(そうよね、人が井を覗いているんだもの。このままじゃ置けないよ、蓋)けど、それを聞いてまた嬉しくなった。
ごくごくシンプルで機能的なデザインは、優れて美しいと思うけど、余分なものとか必要じゃないものって、大好きだ。
この感覚は、日本人の遺伝子がずっと守ってきたものなのかな、と勝手に想像してみて、また嬉しくなる。
小さきことは美しきかな、だよ。

杉浦日向子さんの漫画で、鎖国後に日本にやって来た欧米人が「この国に芸術なんか無い。あるのは職人と米だけだ」なんてことを言うシーンがあったことを思い出したんだけど、その欧米人は半分当たってて半分外れている。
日本の職人は、意識的に「美」を作っていたんじゃないかもしれない。でも、職人が生み出したものは、こんなにも「美」に溢れてるじゃない。
そして、その感覚を自然に知っていた私たちは、ただただ遺伝子に感謝するばかりよ。

だらだらと長い記事になってしまったけれど、最後に一つだけ。

吉田屋展を観に行く前に、NHKラジオの噺家さんの番組でいっ平さんがこんなことを言っていた。
「伝統文化に携わる者として、脈々と続く歴史の中で、現代という情報に溢れた時代に作品を作ることはとても難しい。
先人の偉大な作品があって、それを超えようとする様々な作品がまたたくさんあって、それでもまだ新しい作品を作ろうとしている。
情報や技術は十分にあるけれど、その作品にかける精神や時間などは先人の頃よりも薄れてしまっているんじゃないか。」
もっと違う言葉で言っていたけど、いっ平さんが言いたかったのはこんなことじゃないかと思っている。
今日の物凄いスピードには目を丸くするばかりで、目まぐるしく回る情報や時間の中で、真実を求めることはとても困難だ。
それでも、真実に果敢に挑み成し遂げる人たちの気高さを、へなちょこな日曜陶芸家はただただ憧れ、私には見ることのできない美しい楽園が彼らの前に広がることを心から祈るのみよ。



茨城県陶芸美術館
九谷焼中興の祖 吉田屋伝右衛門


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