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地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 26: マラガ 2

2016年08月06日 | 連載完 地中海とカナリヤ諸島クルーズ


< 1.ピカソの像 >


今日は、マラガの後半、ピカソに関連するものを主に紹介します。





< 2. カテドラルからメルセー広場に向かう >

上の写真: カテドラルの北側。
中央の写真: 賑やかな通り。
下の写真: 通りのベランダ。







< 3. サンティアゴ教会 >
上の写真: 教会の正面。
マラガがキリスト教徒に奪還された3年後の1490年に建設された。
ピカソが洗礼を受けた教会らしい。
入場しなかった。

下の写真: 教会の尖塔。
尖塔の側面の模様にはイスラム文化(ムデハル様式)の影響が色濃く残っている。








< 4. メルセー広場とピカソの生家 >
上の写真: 通りからメルセー広場が見えた。
中央の写真: メルセー広場。
この広場の奥の方にピカソの像(No.1の写真)と生家がある。
ピカソはこの広場で10才まで遊んだ。

下の写真: 正面の建物の左側1階に、生家への入り口がある。
入場しなかった。





< 5. ピカソ美術館 >

美術館のホームページ。
http://www.museopicassomalaga.org/en/history-mpm

上の写真: 16世紀の宮殿を改造した美術館。
塔の左側に入り口がある。
ピカソの親族からの寄贈された200点ほどの作品が収められている。

下の写真: 美術館内。




< 6. ピカソの美術館作品 1 >
ピカソの作品を古い方から並べました。

No.1: OLGA KHOKHLOVA IN A MANTILLA、1917年作。
No.2: MATHER AND CHILD、1921年作。
No.3: WOMAN WITH RAISED ARMS、1936年作。

ピカソについて
ピカソは1881年にマラガで生まれ、11歳にはここを出てスペイン内の二か所の美術学校で学んだ。
21歳で、パリに居を構え制作に専念し、その後もフランスで活動し、1973年に死去した。


彼はキュビスム(No.3、4のような作品)の創始者の一人ですが、彼の作風はめまぐるしく変化した。
その変化の陰に、数多くの女性がいた。
ピカソはその出会いから多くのインスピレーションを受けたが、悲劇的な結末をむかえた女性もいた。
美術館の解説で、多くの妻や子供のエピソードが絵に込められているのが面白かった。






< 7. ピカソの美術館作品 2 >

No.4: JACQUELINE SEATED、1954年作。
No.5: BATHER PLAYING、1958年作。 
No.6: BATHER、1971年作。




< 8.アルカサバ >

上の写真: パセオ・デル・パルケ通りから見た。
中央の写真: 西側から見た。
下の写真: 埠頭から見た。

この城塞は古代ローマの要塞跡に、11世紀中期にイスラム教徒によって建設された。
残念ながら入場していないが、写真で見る限りグラナダのアルハンブラ宮殿と似た造りです。

やはり、この地にはイスラム文化が色濃く残っていたに違いないと思った。






< 9. 市役所の前で >

街歩きを終えて戻っている時、マラガ市役所の前で、報道陣に囲まれた一団がいた。
彼らは、テロ犠牲者の家族だそうです。

治安が良いこの地でテロがあったことに驚いた。





< 10. マラガとお別れ >

これでマラガの紹介は終わります。

次回に続きます。




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