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中東に平和を! 27: テロについて 7: モサドの恩讐

2016年08月17日 | 連載完 中東に平和を


< 1. ホテル爆破事件 >


イスラエルのモサドはなぜ苛烈なテロを行うのでしょうか?
その背景から、歴史の重みと中東の悲しみが伝わって来ます。


二人のタカ派

イスラエルの苛烈なテロには二つの背景があり、それは1948年のイスラエル建国以前と、それ以降に分かれます。

例えば、前回紹介したモサド長官ダガンの経歴にそれは現れています。

彼は、1945年にウクライナで生まれたが、彼の一族は当時、ソ連と東欧で吹き荒れていたユダヤ人虐殺でほとんど殺害された(ポグロムとホロコースト)。
彼はやっとの思いで1950年、イスラエルにやって来た。

しかし、既に始まっていた中東戦争により、そこはパレスチナとの攻防の地になっていた。
彼は軍人として、ガザ地区やレバノンにおいて対テロ作戦で功績を挙げ、ゲリラ戦士として「闇世界の帝王」として恐れられるようになった。

こうして彼はイスラエルに不可欠な人物になった。




< 2. ベギン元首相 >

タカ派のベギン元首相(在任1977-1983)にも同様の影があります。

彼は1913年にベラルーシ(当時ポーランド領)に生まれたが、家族はナチスに殺された。
1942年にイスラエルのテロ組織イルグンに参加し、その後リーダーとなった。

この組織はユダヤ機関(注釈1)の武力闘争の証拠を握ったイギリス軍司令部(エルサレム)を爆破し、死者91名の大惨事(注釈2)を引き起こした。
これにより、イギリスはパレスチナとの仲介に及び腰になり、この地から去ることになった。

1977年、彼は少数野党を糾合しリクード党を結成し、右派で初めての首相となり、その後のイスラエルの強硬路線(領土拡大、ユダヤ教尊重)を敷いた。
それまでの与党労働党が唱えるパレスチナとの融和・共存からの方向転換であった。

第4次中東戦争後の1979年、彼は米国の仲介でエジプトと平和条約を締結し、ノーベル平和賞を受賞した。

その後、彼はタカ派の本領を発揮して行く。
1981年、イスラエル空軍は突然イラクの核施設を爆撃し、彼は「大量破壊兵器開発を許さない」との声明を出した。
国連安保理はこれを満場一致で非難したが、イスラエル国民はこれを大いに支持した。

次の年、イスラエル軍がレバノンに侵攻し、レバノン内戦は激化した。
この時、イスラル軍が加担したレバノン民兵によるパレスチナ難民虐殺(注釈3)が起き、2日間で数千人が虐殺された。
翌年、彼はこの侵攻と虐殺で国民の批判さらされ辞任した。





< 3. パレスチナ難民虐殺事件(注釈3)>


中東で何が起きたのか
イスラル建国の初期、国民はパレスチナとの融和派(労働党)を支持していたが、やがてタカ派(リクード党)を支持するようになっていった。
それは中東で進行していた悲劇と関わっていました。

一例として、モサドによる救出作戦を紹介します。
1971年、イスラエル海軍のミサイル艇が悪天候で荒れ狂う夜の地中海をシリアの海岸に向かい、沖で停泊した。
そして、三人のモサド工作員が、船からゴムボートに乗り移り、次いで泳ぎ、浜辺で服を着替えてダマスカスに向かった。

そこで幌をかけた小型トラックに幾人かのユダヤ人の若い女性と少年を乗せ、夜陰に乗じて海岸と向かった。
そこに着くと、懐中電灯で合図を送り、ゴムボートが迎えに来て、皆イスラエルに無事逃れることが出来た。


このシリアからユダヤ人を救出する作戦は1970年から3年あまりの間に約20回行われ、120名ほどがイスラエルの人となった。

工作員は、現地で捕まれば拷問と凄惨な死が待ち受けていた。
また逃亡したことが知れると、シリアに残った家族に被害が及ぶので極秘裏に行われた。



< 4. この救出作戦を命じたメイア首相 >





< 5.アラブ諸国からのユダヤ難民 >


何がイスラエルをより過激にしたのか
昔から、ユダヤ人はアラブで対外貿易を担うなどして平和に暮らしていた。
しかしイスラエル建国以降、周辺のアラブ諸国ではユダヤ人への迫害が強まり、イスラエルに逃げ出すユダヤ人が続出した。

この人々(ミズラヒム)は、ヨーロッパから移住して来た人々(アシュケナジムなど)に比べ下位に扱われており、イスラエル政府に反発を感じていた。
ベギン元首相は、与党の中東戦争の失策を痛烈に批判し、このミズラヒムを味方に着け、政権を奪うことが出来た。


こうして憎しみと差別が更なる憎しみと差別を生み、亀裂は深くなるばかりです。


次回に続きます。


注釈1 : 1929年に創設されたエルサレムに本部をもつユダヤ人の国際的機関。パレスチナにユダヤ人の本拠を設けるというシオニストの計画の対外機関として,資金集め,パレスチナへのユダヤ移民の監督,イギリスとの交渉にあたり,国際連盟ではユダヤ人の利害を代弁した。

注釈2 : 1946年、キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件。

注釈3 : サブラー・シャティーラ事件。





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