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穿つ者 5: マンデラ 3

2015年02月16日 | 連載中 穿つ者

< 1. ノーベル平和賞の受賞 >

今日は、マンデラ氏の改革の素晴らしさを考えます。
それは内戦勃発を避けて強固な差別支配を終わらせたことにあります。



< 2. ウクライナ紛争 >

はじめに
世界で、いつも30件以上の武力紛争が起き、世界人口の1/3が紛争地域に住んでいます。
難民・避難民の総数は4000万人を越え、ルワンダ内戦では3ヶ月で約90万人が殺害されました。
ここで武力紛争を止める困難さを見てみましょう。


< 3. 世界の紛争地 >

武力紛争はなぜ起こるのか
武力紛争が始まる前に、国内では貧富の格差、民族の対立など、国家間では領土や利権争いと歴史的遺恨などによる対立が生じている。
そして対立集団が次のステップを駆け上がり、武力紛争が勃発する。

ステップ1:「人間は目的の為には殺人を行う」
ステップ2:「集団や国家は一致して武力闘争を行う」(武器は戦火拡大を容易にする)
ステップ3:「世界は武力紛争を未然に防止出来ない」(開始後の和平は更に困難)

例えば、一人独裁者が戦争を始めようとしても、集団が対立感情(蔑視、憎悪、恐怖)を共有出来なければ無理です。
武力紛争には必ず根深い対立と悲劇の歴史があり、このような状況で和平を達成することは至難の業です。
しかしそれでもここ20年の間に、南アフリカやエストニア、北アイルランドにおいて紛争を回避し終息させた事実はある。
しかも、それは対立する相手を殲滅して成し得たのではない。



< 4. 南アフリカの少年達とジャカランダ >

マンデラ氏偉業の要点
1. 彼は、殺されている味方に武装蜂起を思い留まらせた。

彼は、既に始まっている武力攻撃の被害者(黒人)に、ただただ「挑発に乗るな」「我慢しろ」と訴えた。
彼は、内戦を始めてしまえば泥沼に陥ることを深く認識していた。
これは彼の人望と指導者の品格によって成し得たのでしょう。
「マンデラ1」に詳しい。

2. 彼は、殺している敵に武装解除と政権参加を実行させた。
大事なことは、彼は敵側(白人)の罪悪感と恐怖心を和らげることに腐心したことです。
彼は相手の理解こそが、平和構築に最も重要だと考えた。
これが敵の更なる増大を防ぎ、沈静化を生んだのです。
一部については有効ではなかったが、圧倒的多数の白人代表は受け入れたのです。
「マンデラ2」に詳しい。

3. 彼は、白人政府に彼の釈放を踏み切らせた。
白人政府代表は国際的な圧力に促されて、釈放前にマンデラ氏と面談を重ねています。
この時、前述したと同様に、白人代表はマンデラ氏に政権を任せても安心だと感じたのです。


< 5. 映画「インビクタス/負けざる者たち」 >

4. 彼は、南アのラクビー・チームのワールドカップを応援した。
これは最後の仕上げでした。
黒人は、ラクビーを白人のものとして嫌悪していました。
マンデラ氏は国民が一緒になって応援することを望み、自らも暗殺の危険を覚悟でスタジアムに乗り込みました。
そして南ア・チーム優勝と国民の一体感が生まれました。
映画「インビクタス/負けざる者たち」に詳しい。

最後に
マンデラ氏は、差別と暴力が蔓延する国家にあって、ここまで鮮やかに平和裡に社会改革を成功させた。
世界では、多くの紛争がマンデラ氏と異なる従来の手法から脱却出来ずに混迷を深めています。
私は、世界に模範を示してくれたマンデラ氏が同じ時代に生きたことに感謝します。

残念ながらマンデラ氏は2013年に永眠されました。
冥福をお祈り申し上げます。
今回で、マンデラ氏の記事を終わります。


主要な参考資料
「二人のマンデラ」ジョン・カーリン著
「南アフリカ 『虹の国』への歩み」峯陽一著
「よくわかる世界の紛争」毎日新聞画外信部編
「現代世界の紛争解決学」オリバー・ラムズボサム他著

借用した主要な画像
各国の「ウィキペディア」
ブログ「ネルソン・マンデラ、哀悼と回顧」
HP「Gallery Ezakwantu」




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