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1975年の吉田拓郎 その3

2019-04-14 13:27:00 | 僕の音楽日記
コンサート イン つま恋
 
中津川フォークジャンボリー
とは違うコンセプトのもと
オムニバス形式のコンサートではなく
 
いわばトライアル的な
趣旨も吉田拓郎さんの中にあったのだろうと
思う。
文献を辿ると
ユイ音楽工房の後藤由多可さんが拓郎と組んで
大きな事をやる
という漠然とした思いと、
アメリカで行われた
ウッドストック級のコンサートを日本でも
やりたいと考えていたことが発端だったとして、
 
そしてその頃の拓郎さんも既成のやり方
コンサートツアーも含めて
煮詰まった状況の中で
次への道を模索してた中
ザ・バンドとのジョイントを企画し、
日本の国立競技場での7万人規模のコンサートと、数カ所のツアーコンサートを計画しながらも
ボブディランの復活でツアーが組まれ
立ち消えになった、その計画はそっくりそのまま
中核だけを残し
拓郎だけでやるとして
新たな企画としてオールナイトで
拓郎のオリジナル曲を歌い切る
としたものに変わっていった。
いかざるをえなかった。
 
会場選びから始まり
企画の段階で
拓郎ひとりではオールナイトでの歌うことの
体力的な不安とかを考え
急遽
4月に解散した
かぐや姫に白羽の矢が立った
同じユイ音楽工房事務所の同士が
共にコンサートをやるとして、
 
その雛形は
沖縄で拓郎とかぐや姫のジョイントコンサートが
以前行われたことから
この時の雰囲気がすごく手ごたえがあって
よかったと
言われていた。
 
その形を大きな会場で
オールナイトで行なうとして
 
会場は静岡県 ヤマハリゾート施設
つま恋 で行われる事となった。
 
 
いくつか候補はあったと聞く
交通アクセスも比較的よく、オールナイトで
やらせてもらえる施設
 
今や拓郎さんの聖地としての位置付けにも
なってる
つま恋。
 
ap bank.band のコンサート
ポルノグラフィティ
パヒュームとかの
コンサートなんかも
近年利用されることで
拓郎さんの聖地から音楽の聖地としての
意味合いに変わろうとしている。
 
 
あの暑かったと言われる
1975年の夏
8月2日〜3日
 
参加できずに
その事実も知らずに
僕は夏休みの宿題に明け暮れていた
夏休み中だった
小学生だった僕。
 
つま恋という 若者を集めた
音楽の箱舟は
その日を機に大きな音楽のムーブメントを
起こす扉を開いた
一つのキッカケともなったという。
 
 
その後一年後
二年後、三年後
しばらく 8月2日につま恋詣で
なるその日を思い出し
集まる事が続いたという。