ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

稲刈り終えて振り返る朝です

2012-09-29 06:44:04 | ほんとの話はマサカサマ
 今朝も、お陰さまで、散策ができました。
黄金色の、朝雲さんのお招きで。
明け方も、夕方も、とても大事な時間です。

光と影が、一緒に見えるからでしょう。
神様、仏様も、このひと時を大事にします。
光と影の、この、わずかなひとときにこそ、永遠に持続する何かが垣間見えるもの。



一寸手前のひと時は、影さんが勝っていました。
その陰さん前は、闇さんでした。
闇さんに向かって、ヤミロと言っても始まらない。
時を待つことも、必要だったのかもしれない。
お日様と、お陰様の、有難い朝には。



お陰さまで、稲刈り終わりました。

稲は、かなりの大昔に、大陸さんから直接伝わったようですね。
最近、DNAの研究などもあり、興味深いことが明らかになりました。
日本に伝わったその後に、再び海を越え、朝鮮半島さんに伝わったようです。



田んぼの害草、コナギさんが、ひっそりと、刈られた畝間に咲いております。
コナギさんが好む田んぼは、よく実るとも。
厄介ながら、すべてに無駄なし自然さんです。

 さて、光と影の話に戻ります。
本当の歴史には、光と影があります。
光と影があるのが、本当の歴史です。

古来、王朝が変わると、焚書といって、貴重な記録を全部燃やしてしまう国もあります。
その国に、貴重で過分な砂金を持参して、書物を購入した島国さんもあり。
その島国さんには、まじめな坊さんがいて、長い長い間、虫干ししながら、今に伝えた。
そんな奇特な国があったからこそ、今の人が知る史実もあり。

光も影もあるのに、光だけしか教えない国もあり。
反対に、光もあったのに、近頃は、影ばかり教えている国もあり。
影とされる記述が、本当に史実であったならば、まだしも。

和をもって尊しとなすとの名言から、千四百年余り。
和のワが、ワーワーとなって、わからなくなってしまって、幾十年も過ぎ。
それでも、最近、いろんなことが、わかってきたようですから、楽しみです。



影ばかりを語りたがる、ワーワーさんの背後構造はさておき。
全国津々浦々、善良な里の人々は、井戸端で本当の歴史の光と影を語りましょう。
地に足のついた、本当の歴史を知ることが、持続する未来の種になります。
黄金雲さんと、種まきしたい里の朝でございます。

【お時間有る方への、長い追伸】
日本を含む東アジアは、信長・秀吉さんの時代、大航海の時代からが激動です。
その激流を意識しながら、個別の渦を検証したいと願う、今日この頃。
史実を隠す、意味不明の目隠しを外すこと。
当たり前のことが、当たり前に語られなかったことが、無用の対立と焦燥の真因ではないか。
今日は、ひとつだけ、あるエピソードを貼り付けます。↓

加瀬俊一(日本、初代国連大使)さんのお話より。

1955年4月、インドネシアのバンドンという所でバンドンA・A会議が開かれました。
A・Aというのはアジア・アフリカです。
この中心はインドと中国とエジプトです。
...インドのネール、中国の周恩来、エジプトのナセルが中心になって、独立したばかりの新興諸国29ヵ国代表が集まりました。
その時、日本にも招待状が来たんです。

国内ではアメリカに気兼ねして参加に慎重な人が多かったんです。
私は『出た方がいい』と言ったんです。
敗戦後間もない日本にとっては、国際社会に復帰する絶好のチャンスだった。
それで出席することにはなったけれども、外務大臣は都合が悪くて私が行くことになったんです。

特命全権大使として『出た方がいい』と言ったのは私だけなんだけれども、内心不安だった。
というのは、アジア・アフリカというけれども、アジアは大東亜戦争の戦場でした。
日本はいいこともしているけれども、ご承知のように悪いこともしなかったわけじゃない。

それでね『行ったら白い目で見られるんじゃないか』と思ってあまり気がすすまなかった。
しかしその会議に行くとね、あちらこちらからアフリカの代表、アジアの代表が出て来てね、『よく来たね!』『日本のおかげだよ!』と大歓迎でした。
それは
『日本が大東亜共同宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした。
その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然としてイギリスの植民地・オランダの植民地・フランスの植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある。』
ということだった。

この時は『大東亜共同宣言』を出してよかった、と思いました。
我々が今日こうやって独立しました、といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがA・A会議の本来の目的だった。
こんな会議が開けるのも日本のおかげですと、

『やぁー、こっちへ来てください』
『いやぁ、今度は私のところへ来てください』
と言ってね、大変なモテ方だった。
やっぱり来てよかったなぁとそう思いました。
( 中略 )
その翌年、日本は晴れて国連に加盟して、私は初代国連大使になりました。
アジア・アフリカグループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい。
A・A諸国から大きな信頼と期待を寄せられて、戦後我が国は今日の繁栄を築いてきたのです
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