ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

若き日のあの道の近況ですが

2018-01-04 08:21:33 | 里山に捧ぐ
 1月2日、部活の蹴り初めの日に、水戸駅からの通学路を歩いた。



久々にくぐった、柵町地下歩道。



ついでにここで、振り返ってみた。
練習が遅くなった時などは、一時間に一本の電車に乗り遅れぬようにと。
竜馬の如く駆け抜けることもしばしば。



 さて、トンネルをくぐると再びゆるい登りとなるが、擁壁は城址風に、石段も一緒に改修されていた。
あの頃、水郡線の土手際の空き地には、ご近所の花好きおじさんの手作り花壇があった。
「花お取らないように」との立て札、をではなくておの一字に、皆の心はなごんだものだ。



その先に続く坂道も、石段同様に装いは新ただが、傾斜と幅は昔のままだった。
このあたりは車道が並走、おそらくグーグルアースでも、沿道の現況確認は可能と思われる。
一方の変化としては、お向かいの女子高の体育館、復元成った旧水戸城の門の一つと、歩道脇にどこまでも続く白壁など。



その柵町坂下門付近より、城址の空堀越しに、母校を望む。
当時のブログ主は、時々あの土塁上から、こちらを眺めることもあった。
別段、女子高を覗き込む意図があったわけではないが、ナントカと煙と同様、高いところに登りたがったのか。



 話を戻して、さらに歩いたところで、橋を望みつつ一枚。
さすがにあれにはよじ登らなかったが、ユリノキの大木は健在。
そういえば、その奥から急斜面を下る細道も、よみがえる大自然を体感すべく、しばしば人知れず探訪した。



時に現在の橋は、天狗も渋面になるほどに防護厳重だが、変な人も増えた世相ゆえ安全策も大切。
空堀を走る水郡線は、現在は那珂川手前から高架になり、右に分かれて行った引き込み線は外された。
個人的には当時の眺め・人生の分かれ道のようなYの字の鉄路の冷たさが、わが身を暗示するようで好きだったのだが。



まさに光陰は矢の如しと、久しぶりのグランドの風に吹かれた後(→昨日の記事)、橋を戻った。
正面に続く大手橋への途上にも門が復元され、白壁巡る水戸城址一帯の変貌は、目を見張るばかりであった。
以上9枚、同期ラグビー部9人分の絵葉書として、節目の年頭のアルバムとします(→続き)。

 その他、路上や校内の現況は、ウェブ上の各種画像に託しつつ。
まずは遠方の同期諸兄姉への、地元からのご報告として。
格別に有難いこの正月、楕円のマスコットボールに代えて、感謝で進呈いたします。
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