![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/24/820abe4350958328ad4088572b1d0c8f.jpg)
1月2日、部活の蹴り初めの日に、水戸駅からの通学路を歩いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/73d6446db5a4db1600c3e8b9470e9e29.jpg)
久々にくぐった、柵町地下歩道。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ee/87db0854694e27a08240591af1588b36.jpg)
ついでにここで、振り返ってみた。
練習が遅くなった時などは、一時間に一本の電車に乗り遅れぬようにと。
竜馬の如く駆け抜けることもしばしば。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bb/60508a1c85f08190d8b263e00511cc14.jpg)
さて、トンネルをくぐると再びゆるい登りとなるが、擁壁は城址風に、石段も一緒に改修されていた。
あの頃、水郡線の土手際の空き地には、ご近所の花好きおじさんの手作り花壇があった。
「花お取らないように」との立て札、をではなくておの一字に、皆の心はなごんだものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/bd/bc9379524b1059cc070d729d1731362c.jpg)
その先に続く坂道も、石段同様に装いは新ただが、傾斜と幅は昔のままだった。
このあたりは車道が並走、おそらくグーグルアースでも、沿道の現況確認は可能と思われる。
一方の変化としては、お向かいの女子高の体育館、復元成った旧水戸城の門の一つと、歩道脇にどこまでも続く白壁など。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/71/2d273d88e7691c117c8e394476a728ca.jpg)
その柵町坂下門付近より、城址の空堀越しに、母校を望む。
当時のブログ主は、時々あの土塁上から、こちらを眺めることもあった。
別段、女子高を覗き込む意図があったわけではないが、ナントカと煙と同様、高いところに登りたがったのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/14/3728a1ccbae3b727d78d07d0e3422a99.jpg)
話を戻して、さらに歩いたところで、橋を望みつつ一枚。
さすがにあれにはよじ登らなかったが、ユリノキの大木は健在。
そういえば、その奥から急斜面を下る細道も、よみがえる大自然を体感すべく、しばしば人知れず探訪した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ed/828c0716d54e4378e53a5bc166b3adcb.jpg)
時に現在の橋は、天狗も渋面になるほどに防護厳重だが、変な人も増えた世相ゆえ安全策も大切。
空堀を走る水郡線は、現在は那珂川手前から高架になり、右に分かれて行った引き込み線は外された。
個人的には当時の眺め・人生の分かれ道のようなYの字の鉄路の冷たさが、わが身を暗示するようで好きだったのだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/74/2e1f4036f7cfdeb111d63fd1d5604fea.jpg)
まさに光陰は矢の如しと、久しぶりのグランドの風に吹かれた後(→昨日の記事)、橋を戻った。
正面に続く大手橋への途上にも門が復元され、白壁巡る水戸城址一帯の変貌は、目を見張るばかりであった。
以上9枚、同期ラグビー部9人分の絵葉書として、節目の年頭のアルバムとします(→続き)。
その他、路上や校内の現況は、ウェブ上の各種画像に託しつつ。
まずは遠方の同期諸兄姉への、地元からのご報告として。
格別に有難いこの正月、楕円のマスコットボールに代えて、感謝で進呈いたします。
☆今日も有難うございます*よろしければ人気ランキングも↓オン願い申し上げます。
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久々にくぐった、柵町地下歩道。
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ついでにここで、振り返ってみた。
練習が遅くなった時などは、一時間に一本の電車に乗り遅れぬようにと。
竜馬の如く駆け抜けることもしばしば。
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さて、トンネルをくぐると再びゆるい登りとなるが、擁壁は城址風に、石段も一緒に改修されていた。
あの頃、水郡線の土手際の空き地には、ご近所の花好きおじさんの手作り花壇があった。
「花お取らないように」との立て札、をではなくておの一字に、皆の心はなごんだものだ。
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その先に続く坂道も、石段同様に装いは新ただが、傾斜と幅は昔のままだった。
このあたりは車道が並走、おそらくグーグルアースでも、沿道の現況確認は可能と思われる。
一方の変化としては、お向かいの女子高の体育館、復元成った旧水戸城の門の一つと、歩道脇にどこまでも続く白壁など。
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その柵町坂下門付近より、城址の空堀越しに、母校を望む。
当時のブログ主は、時々あの土塁上から、こちらを眺めることもあった。
別段、女子高を覗き込む意図があったわけではないが、ナントカと煙と同様、高いところに登りたがったのか。
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話を戻して、さらに歩いたところで、橋を望みつつ一枚。
さすがにあれにはよじ登らなかったが、ユリノキの大木は健在。
そういえば、その奥から急斜面を下る細道も、よみがえる大自然を体感すべく、しばしば人知れず探訪した。
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時に現在の橋は、天狗も渋面になるほどに防護厳重だが、変な人も増えた世相ゆえ安全策も大切。
空堀を走る水郡線は、現在は那珂川手前から高架になり、右に分かれて行った引き込み線は外された。
個人的には当時の眺め・人生の分かれ道のようなYの字の鉄路の冷たさが、わが身を暗示するようで好きだったのだが。
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まさに光陰は矢の如しと、久しぶりのグランドの風に吹かれた後(→昨日の記事)、橋を戻った。
正面に続く大手橋への途上にも門が復元され、白壁巡る水戸城址一帯の変貌は、目を見張るばかりであった。
以上9枚、同期ラグビー部9人分の絵葉書として、節目の年頭のアルバムとします(→続き)。
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