たつた良子のページ

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和太鼓に元気をもらって

2023年01月07日 | 日記
 私が和太鼓を始めて約30年が過ぎました。

夢見によって始めたという話を信じてもらえないかも知れませんが。
私は40歳になったばかりの時、癌の手術を受けました。ステージ4で、夫は医師から「あと2,3年かな」と言われていたそうです。
手術で麻酔から覚める前に不思議な夢をみました。
大好きな祖母、祖父、曾祖母たちが、そろって、「よし子行こう」と迎えにきてくれました。どこに行くのかわかりませんが、懐かしい祖母たちが来てくれたのがうれしくてうれしくて、ついていきました。
途中、どこからか「どんどこどんどこ」と太鼓の音が聞こえてきました。
私は、太鼓を打っている所をぜひ見たかったので、「ばーちゃん、ちょっと待っとって。太鼓見てくる」といって音のする方に歩いていきました。
 どこかの大きな神社の祭礼のようで、広場の中央に舞台があり、そのうえで台に乗せた太鼓を、女性が楽しそうに打っていました。
赤い衣装を着けて、リズミカルに力強く打っているのです。私は「いいなあ、楽しそうだなあ」と思ってじっと見ていました。
よく見ると、その太鼓を打っている女性は、なんと、私だったのです。
「私は、いったいいつ太鼓を練習したのかしら。習った覚えがないのに、なんで打てるんだろう」と不思議に思って眺めていました。
そしてふっと思い出しました。「そうだ、ばーちゃんたちと行く途中だった。行かなくては」と、祖母たちに待ってもらっている所まで引き返しました。ところが誰もいないのです。
「ばーちゃん、ばーちゃん、どこ?」と呼んでも返事がありません。
ここはいったいどこなんだろう、道に迷ってしまった、と途方に暮れていると、
「たつたさん、たつたさん、わかりますか、気が付きましたか。」と、どこからか声が聞こえてきました。
ふうっと目をあけると、手術してくれた院長先生が枕元に立って、様子をみてくれていました。

 迎えに来てくれていた祖母たちは、もうこの世にいない人たちでした。ものすごく懐かしく嬉しかったけど、ついて行ってたら、助かっていなかったのかもしれません。太鼓の音が引き戻してくれたんだと思いました。
 その後、抗がん剤治療、放射線治療と、治療が約1年半つづきました。この間、機会があれば、祭り衆、鼓童、林永哲さんなど、和太鼓集団の演奏公演を見に行きました。そのたびに元気をもらった気がします。
 そんなことがあって、私もいつからか、太鼓を練習し始め、子ども太鼓や、大人のチームを作りかかわるようになっていきました。私にとって、和太鼓は、楽しいものですが、私を元気にしてくれるものなのです。

 「2,3年かな」と言われていましたが、あれから約30年。ずっと太鼓を続けてきた割には、私の技術は向上していません。夢の中で楽しそうに打っていた私をまだまだ超えられません。