記事「"Original Sin" (Would Java be Better Off Without Primitives?)」
http://www.infoq.com/news/2009/06/java-without-primitives
(日本語訳
http://www.infoq.com/jp/news/2009/06/java-without-primitives
)
より。
プリミティブ型を排してすべてをオブジェクトにすべきだ、というもの。
そうすれば、「charが16ビットであるために、最初は文字だったのが、エンコードされたコードポイントを扱わなくならなくなった」といったような事態をさけることができたはず、という議論です。
言いたいことはわかるけど、ほんとの原因はそこかなあ?という感想。
Write once, run anywhereなどというスローガンのために、intのビット数とか、桁あふれしたときの丸め方とかまで仕様として決める必要があったわけで(記憶によると)。それがなかったら、Javaが今のように普及してたかどうか。
特に、charに関して言えば、当時から日本では16ビットの文字集合に非難ごうごうだったわけで、馬耳東風で採用した段階でこうなるのは見えてたわけだし。
個人的には、言語のプリミティブを変更できるほど、コミュニティに体力(気力)が残ってるのかなあ、というのも疑問です。
http://www.infoq.com/news/2009/06/java-without-primitives
(日本語訳
http://www.infoq.com/jp/news/2009/06/java-without-primitives
)
より。
プリミティブ型を排してすべてをオブジェクトにすべきだ、というもの。
そうすれば、「charが16ビットであるために、最初は文字だったのが、エンコードされたコードポイントを扱わなくならなくなった」といったような事態をさけることができたはず、という議論です。
言いたいことはわかるけど、ほんとの原因はそこかなあ?という感想。
Write once, run anywhereなどというスローガンのために、intのビット数とか、桁あふれしたときの丸め方とかまで仕様として決める必要があったわけで(記憶によると)。それがなかったら、Javaが今のように普及してたかどうか。
特に、charに関して言えば、当時から日本では16ビットの文字集合に非難ごうごうだったわけで、馬耳東風で採用した段階でこうなるのは見えてたわけだし。
個人的には、言語のプリミティブを変更できるほど、コミュニティに体力(気力)が残ってるのかなあ、というのも疑問です。